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🎥『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を観ました

2021年10月23日 
MOVIX柏の葉 にて

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お園さん

上映時間164分で、途中休憩も用意されている長丁場ですが、
私は見入ってしまって、時間はちっとも気になりませんでした。
2007年12月に歌舞伎座で上演された作品です。

第一幕は、うす暗がりの行灯部屋。
病で臥せっている遊女亀遊(きゆう)を見舞うためにやってきた
ベテラン芸者お園。
暗闇を探りながら、舞台右正面の障子窓を開けて、光を入れ、
風を通しながら、海の景色のことなどを感嘆します。

そしてゆっくり振り返る、その人坂東玉三郎に観客は
『待ってました!』とばかりに拍手。
もうここから、私もお園さんの魅力にくぎ付けでした。

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岩亀楼(がんきろう)

幕末期、横浜開港に伴い、オランダ公使からの要請を受け、
1万5000坪の港崎遊郭(みよぎゆうかく)が誕生しました。
今の横浜公園当たり。
作品の舞台、岩亀楼はその中で最も豪華であったそうです。

第2幕からは、賑やかで華やかな“扇の間”。
芸者たちの奏でる三味線やお囃子、唄などの宴の場となりますが、
ここは遊郭、しかも外国客相手を担っており、
リアルな現実がおもしろおかしく描かれています。

幕末、尊王攘夷派にとってみれば、外国人相手になる女性は日本の恥、
そんな立場の遊女は表立って生活するのも難しくなります。
つまり、売れない、奇妙ないでたちの女性ばかりしかなり手がない・・・といった具合。(ひどい話だけど)

実際に外国人を相手にしていた遊女、
あるいは外国人の妾となった女性は、羅紗綿(らしゃめん)という
蔑称でよばれていました。
劇中では“唐人口(とうじんぐち)”などと言われています。

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みんな若い

出演の役者さんたちは、揃いも揃って豪華な面々。
それが14年前のこととなりますので、
亡き中村勘三郎さんや坂東三津五郎さんのお姿もありありと、
それに血気盛んな侍役の中村勘九郎さんや、
通訳・藤吉役の中村獅童さんなど、とにかくお若い!
お顔なども画面に大きく映りますので、フレッシュな感じのあの人この人を拝見するたびにびっくりでした。

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ふるあめりかに

露をだに いとふ倭の 女郎花 ふるあめりかに 袖はぬらさじ
(つゆをだに いとうやまとの おみなえし ふるあめりかに そではぬらさじ)

日本の女郎花は、露が置くのも厭う(いとう)のに、
降る雨(アメリカ)に袖を濡らしたりはしません・・・
の意味を持つ辞世の句。

アメリカ商人イルウスに見染められた亀遊が、
異国人に抱かれることを嫌い自害したということですが、
実際には亀遊が実在したかどうかも定かではないらしいです。

こういった既存のお話から、有吉佐和子さんが書かれた
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」。
劇中の亀遊は文盲で句を作ることもないし、
イリウスからの身受けの話も知らないまま、
ただ恋人・藤吉とのかなわぬ定めに絶望して自害するのです。

そんな事件は、攘夷派の格好の広告塔として利用されて、
やがて岩亀楼やお園たちもその時流に飲み込まれて行きます。

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喜劇

アッパレな攘夷女郎として、遊女亀遊は祭り上げられていく。
噂が噂を呼び、岩亀楼の扇の間は、亀遊自決の場所として、
大人気スポットに。

いつの間にか、お園はその経緯を語る雄弁な語り部となって過ごしている。本人の本意ではないのだけど、いつの間にか自然にそうなっちゃった。
また、そうしなければ、やっていけない大人の事情もある。

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はかないだけの亀遊の死なのに、時と共に尾ひれはひれがついて、
大仰な美談に膨れ上がっていく。
だんだんと部屋の背景も衣装も小道具も揃っていくし、
講談師のようになってしまったお園さんの真面目くさった名調子には、
クスッと可笑しみが誘われます。

しかし、攘夷派の残党に亀遊の辞世の句として“ふるあめりか~”を
歌って聞かせたばっかりに一連の小細工がばれてしまい、
怒った彼らに切り殺されかけてしまう。
“ふるあめりか~”の句が存在したのは10年前のことであること、
それをお園に教えたのは彼らの師・大橋訥庵であったことを
先にお園はしゃべってしまっていたから。

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その場は一人の冷静な武士の判断から命拾いをするお園。
“大橋先生から歌を習ったという話”を買い取るから
今後一切その話はするなと、口封じに金を置いて立ち去っていく。

すっかり腰の抜けてしまったお園は、体を引きずりながら、
男たちの残していった酒をかき集め、飲み干しつつ、
恐ろしさ悔しさに一人毒づきます。
外は雨、
「このお園さんと来た日にゃ、ふるあめりかに袖も何もびしょぬれだよ」 と。

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生き様

胸に迫ったのは、医学を修めるため、渡米を目前にした藤吉に、
お園が今日は何の日か知っているかと尋ねるシーン。
藤吉は答えられません。

亀遊が死んで七十五日目であることを伝えるお園。
人の噂も七十五日・・・、亀遊に対する二人の思いの違いが
歴然と現れます。

藤吉にとっても辛い二か月だったに違いないでしょうが、
彼には自分の大切な志がある。
亀遊が攘夷女郎として名をはせていく顛末に、
「亀遊の死は自分のせい」という心の重荷、自責の念が
解かれる思いを感じている。
そう思わなければ前に進めなかったのだろうが、
お園にはそんな藤吉の考え方は我慢ならないし、
あるのはやり場のない悲しみばかりだ。

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亀遊の薄幸な人生、その死に様に、
お園は自分の人生を重ねて見ていたんだろうなと思う。
図らずも訪れる不幸に打ちのめされながらも、
グッと耐えて強く生き抜いてきたお園さん。

『私も(昔は)若くって、いい女で、随分色っぽかった』というセリフ、
かの玉三郎さんがユーモアたっぷりにすまして言うものだから、
観客からも笑いが起こります。
今だって現役バリバリに美しい方だということは
みんなが知っている上でのお遊び。

でも、「お園」になった玉三郎さんからは、
ちょっと違うオーラを感じる。
風格というか、年輪というか・・・。
口八丁で三味線の名手、人情には厚くて、マイペース。
辛い人生を酒の力で吞み込んで、悲しみを陽気で覆い、
這いつくばって生きる女。

でも、三味線を自分の武器に声を張る、その風情の良いことと言ったら!
また、お着物の豪華さ、その着こなしにもうっとりでした。

「みんな嘘さ、噓っぱちだよ」と嘆く最後のセリフと表情が
心にじんわりと伝わり、この映画の最も忘れがたいシーンとなりました。

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後日談

1866年11月26日、なんと横浜開港場は大火に見舞われ、
400人以上もの遊女が亡くなったといいます。
このお話は創作ですが、お園さんだったら、
きっとその大火を絶対に生き延びたに違いないと思うのです。

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