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『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』🎥を観ました

2021年12月7日 
MOVIX柏の葉 にて

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邦題

原題は「The Song of Names(名前の歌)」で、映画で語られる非常に大切な部分を意味しています。
対して、“天才ヴァイオリニストと消えた旋律”という邦題のつけられ方に違和感を覚えた方も少なくないようです。

でも、映画にいかに興味を持ってもらえるかは、どの映画興行者にとっても重要案件…ポスターでは「天才ヴァイオリニスト」の字の上にドヴィドル少年が弓を構え、パガニーニの再来かという感じ。
そこに「消えた旋律」となって、ミステリー要素も加わり、おおいに興味をあおられる構図。かくいう私こそ、その一人でありました。

入り口はともかく、中身が良ければそれで良しですけどね。

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天才ヴァイオリニスト

1930年代、ポーランド生まれのユダヤ人、ダヴィド・ラバポート(愛称ドヴィドル)9歳。

彼はヴァイオリンの天才で自尊心が強く、高く持ち上げたこうべで、
どんな逆境もはね返さんばかりの強さを示す。
そんな彼の魅力に引き付けられるところから映画は始まります。

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ドヴィドルの父親、ジークムントは、息子の才能を花開かせるため、
ロンドンで音楽出版社を経営するギルバート・シモンズに息子を託します。親子の別れのシーンは、その背景に迫っているユダヤ人の運命を思うと
重悲しく、辛い。
常に強気のドヴィドルの、その内側に隠している、
柔らかく傷つきやすい部分が一瞬露呈するところでもありました。

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兄弟

一方、ギルバートの息子で同じ年のマーティン。
父親が連れてきた、この少年に強い反発心をいだきます。
ユダヤ教の食事制限に付き合わねばならず、同じ部屋での生活も始まる。

最初、この二人のやり取りにハラハラさせられます。
迎える側も遠慮なく敵対心丸出しだし、入っていく方もビビることなく、
その態度はさらに上手。
知らない国の知らない家庭に入っていくのに、こんな態度をとれるってすごいコミニュケーション能力だなって思う。

しかし、ポーランドにナチスドイツが侵攻し、ドヴィドルの家族はトレブリンカ強制収容所に移送されてしまう。
家族の安否を心配し、辛い思いを胸に隠して孤独に戦うドヴィドルを知って、マーティンは彼を励ますようになる。
二人は二人の独特な世界を共有しながら、兄弟のように友達のように成長していきます。

そして、1951年。
21歳のドヴィドルの、満を持しての初デビューの日、皆が待ち受ける会場に彼は姿を現さなかった。

マーティンはドヴィドルの消息をつかめないままに、35年の月日が流れていきます。
ガールフレンドだったヘレンとは結婚して、音楽業界で生計を立てる生活。

21歳から56歳までの人の人生って、おおよそその人の生きた重要な部分じゃないのかな。
映画では一気に時間が経過するけれど、とうとう二人が再会するところから、二人にとってのその35年間と、その後の人生が示唆されていく。

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マーティン

マーティンにとっての35年間とは?
ドヴィドルの失踪事件をどう受け止めていいのか、
裏切りなのか、事故なのか、愛憎や失意・苦悩に惑わされ続けた年月だったと思う。

特にマーティンの父親ギルバートは、コンサート事業の失敗や、息子同然に愛したドヴィドルとその才能を理由もなく失い、まもなくその名を呼びながら死んでしまうことに。
マーティンは、そんな父親の最後を思うとやりきれなかったことだろう。

ドヴィドルはマーティンにとって音楽の才能ごと愛すべき存在だった。
一方、自分の父親の期待と愛情の多くを取られてしまったという気持ちもある。それだからこそ、失意の父親の死に様は納得できない。

生きているならドヴィドルに会って、失踪の真実を知りたい。
そんな気持ちがますます募る35年間だったのではないだろうか。

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ドヴィドル

では、ドヴィドルにとっての35年とは?
あの日、コンサートに急ぐバスの中で眠り込んでしまったドヴィドル。
そのまま、バスごと迷い込んだ場所こそ、ドヴィドルの運命を一変させる場所だった。

道を尋ねた老人とのやり取りの中で、トレブリンカ強制収容所に話が及ぶと、近くにあるというシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)に案内される。
そこは、トレブリンカ強制収容所で亡くなった多くのユダヤ人犠牲者たちの名前を歌で記録するという礼拝堂でした。

全部を歌いきるのに4日間は必要だというほどの膨大な悲しい記録。
そしてその歌の中にドヴィドルの家族の名前がしっかりと刻まれていたのだった。

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「ラパポート ああラパポート ラパポート 彼らの思い出に祝福あれ 
  ジグムント・ラバポート その妻エスター 
     2人の娘 ペシア そしてマルカ・・・」


その瞬間から、ドヴィドルを取り巻く世界は、色を変えたのだ。
自分が生きる意味も、戻る世界も変わってしまった。
それほどの激しい衝撃だった。
12年間愛情を注いでくれたシモンズ家をかえりみることもできないほどの。

ドヴィドルの喪失は、一個人の喪失だけにとどまるものではない。
“あの日”を境にドヴィドルが自身の覚醒に至るまでの内面への旅はどんなに険しい道のりだったことだろうか。
一度は捨てた宗教への回帰、そして自分に与えられた才分である音楽は、
無残に散った同胞者たちへの「祈り」、捧げものとなった。
同時にロンドンでの生活は意味のないものに変化する。
シモンズ家へ連絡さえしなかったことについては、
ドヴィドルの気質がゆえなのだろうか。

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ニコロ・ガリアーノ

しかし、ドヴィドルは、シモンズ家やロンドンでの生活を忘れ去っていたわけではなかったと思う。 
マーティンの父ギルバートから送られていた名器“ニコロ・ガリアーノ、1735年”は常に彼の手元にあり、それはゆいいつ彼とロンドンでの思い出を結びつけていたと思うから。

さて、マーティンはとうとう執念でドヴィドルを探し出すに至る。
お互いの空白の35年間、マーティンはその思いを激しくぶつけるが、
一方ドヴィドルはそれを黙って受け入れ、どうしようもなかった自分の変化を静かに打ち明けるのだった。

しかし、ドヴィドルは一少年だった頃に育まれた世界に自分が残してきたものを改めて感じたのではないだろうか。
だからこそ、ドヴィドルはロンドンでの“失われたコンサート”を再演する決意をする。
そこには、かつてシモンズ家を失意の底にたたき落したことへの罪滅ぼしや感謝の気持ちもあったことだろう。
が、さらにはマーティンたちへ最終的な決別を告げるものでもあったのだ。

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35年前に忽然と消えた天才の再登壇である。
待ちわびる聴衆に向けて彼が選んだ曲は『ブルッフのヴァイオリン協奏曲』そして、次にユダヤ教に準じた服装で一人奏でた曲こそ『死者たちの名の歌―The Song of Names』だった。
“あの日” シナゴーグで聴いた「名前の歌」をドヴィドルが曲として完成させたもの・・・会場は感動に包まれます。
が、ドヴィドルは黙ってそのまま姿を消す。
控室の机の上に“ニコロ・ガリアーノ”と、もう自分を探さないで…
という手紙を残して。

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Never Forget Never Again

映画はマーティンが一人書斎にこもって、ユダヤ教のカディッシュをたどたどしく唱えるシーンで終わります。 
カディッシュとは、哀悼の意を表すときに捧げるもの。
マーティンはもうドヴィドルの消息を追うことはないだろう。
でも、ドヴィドルそのものに決別したのとは違うと思う。

ドヴィドルの確固たる強い意志を尊重し、
彼をこのように追い込んだ悲劇の大きさを改めて胸に刻んだのだと思いたい。

たまたま、11月に「ユダヤ人の私」というドキュメント映画を観た。
ユダヤ人のファインゴルトさんは凄惨な収容所から奇跡的に生還した方で、その後の人生を105歳まで語り部として生きました。
彼は戦中だけではなく、戦後もユダヤ人に対する不平等な扱いが存在することに声を上げ続けました。

そのファインゴルトさんと劇中のドヴィドルに共通する訴えが
『Never Forget Never Again』ではないかと感じます。

ホロコーストでは、600万人のユダヤ人が殺害されたという。
ドヴィドルの家族が殺されたトレブリンカ強制収容所においても
「1942年7月23日の開所から1943年10月19日に放棄されるまでの約14か月の間に、ここで殺害されたユダヤ人の数は73万人以上にのぼる」
ということです。

決して忘れないで、再びの悲劇を招かないために・・・と言うメッセージが込められた映画ではなかったでしょうか。そして私たちが喪失の苦しみをより深く理解するための。

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