見出し画像

MMTミリしらがMMT入門書を読んでみた話③(財政赤字を気にしなくていいってホント?)

はじめに

この記事の目的

前回は、主流派経済学のモデルを用いてもMMTの提言が成立しうる状況があることを示した。そして今回は、MMTの特徴的な主張である、「インフレが加速しない限り財政赤字を気にしなくて良い」という主張を検証する。

結論だけ手短にお願い

  • 財政赤字がインフレを昂進させないなら、いついかなる時でも財政赤字を気にしなくて良いというのはおそらく誤り

  • ただし、財政赤字を気にしなくて良いタイミングは存在する

  • また、財政赤字はタイミングもさることながら、それが何に用いられるかが重要

財政の持続可能について

主流派とMMTの対立点

MMTでは、インフレを惹起しない限りは財政赤字を気にする必要はないとしている。一方で、多くの経済学者は、財政赤字が積み上がると、いずれ財政破綻がやってくるという。財政破綻に対する明確な定義は論ずる人によるけれど、とりあえず、日本円の通貨価値が毀損され、誰も日本円を持ちたくないと考える状況、すなわち、ハイパーインフレが発生すると考えよう。主流派とMMTの対立点は、突き詰めて言えば、政府がいつかの時点で必ず債務を返済するよう行動する(経済学では「リカーディアン」と呼ぶ。)か、あるいは政府は永久に借り入れをロールオーバーするよう行動する(経済学では「非リカーディアン」と呼ぶ。)かの違いだ。主流派は政府はリカーディアンであると論じ、MMTでは政府は非リカーディアンであると論じる。

ハイパーインフレはいつ起こるのか?

さて、そうなれば気になるのは当然、そのハイパーインフレはいつ起こるのかだ。ところが、主流派でもMMTでも、これに対する明確な回答を出した人はいない。日本の場合、それはもしかするとあと10兆円ほどかもしれないし、あるいは5,000兆円かもしれない。どこかに落とし穴がある道を、目隠ししながら歩いていくようなものだ。結局のところ、我々はハイパーインフレの落とし穴にはまり込んで、初めて教訓を得られることになる。主流派だって、どこかの時点で財政は持続不可能になるとは言うけど、それがどこなのかを明確に示してはいない。一方でMMTも、どんなタイミングで、どういった条件下ならインフレが起こるのかを明確にはしていない

財政の制約条件

さて、主流派とMMTがともに合意できる点はあるんだろうか。あるにはある。財政赤字が無限に発散するような解であれば、それはハイパーインフレを引き起こすだろう。なので、財政赤字は将来のどの時点においても、少なくとも有限の値を取らなければならないものとする。そこで、政府予算の制約を財政学では標準的な以下の数式で表してやろう。

名目公債残高/物価水準=将来の基礎的財政収支の(実質)割引現在価値の合計

これはつまり、政府は将来のどこかの時点で政府は基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字を原資に公債(国債)を返済するだろう、ということだ。普通、左辺の名目公債残高は過去の政策経緯から決定されているので動かしようがない。そうすると、公債残高が高い状況では右辺の基礎的財政収支を増やせ、ということになる。これが標準的な財政学の結論だ。緊縮財政を支持するのは、要は物価安定が大事、と言っていることに他ならない。主流派経済学は、上記の式が財政の持続可能性を担保する制約条件だと考えている。つまり、主流派はいわゆる「財政の崖」、すなわち増税で新たな財源を調達しない限り、それ以上財政拡大を行えないと考える。一方MMTは、インフレを起こさない限り財政出動しても良いという主張、言い換えれば、MMTは政府が徴税能力を持ち、自国通貨建てを維持している限りにおいて、ある程度までの赤字が恒久的であってもインフレを惹起しない、と考えていると言い換えても良いだろう。要は主流派とMMTの対立点は、基礎的財政収支がどれだけ必要か、という大きさの議論にすぎない。

さて、MMTとよく似たもうひとつの理論がある。FTPLだ。日本ではシムズ理論とも呼ばれている。FTPLも財政再建が不要と言っていて、こちらも異端理論だ、という批判がされていることが多い。ではFTPLとMMTの違いは何なのだろうか。FTPLは、上記の財政制約式を、制約条件ではなく均衡式だと考える。つまり、政府が基礎的財政収支を超える支出をずっと続けると、それはインフレによって均衡する、ということだ。これら3つの違いをまとめるとこうなる。

主流派、MMT、FTPLの違い

財政赤字を気にする必要はないのか

財政赤字は結局何が問題なのか

財政赤字が問題と考える人がよく言うのが、それが通貨安や高率のインフレ(定義は人によって異なるけど、ここではとりあえず15%を超えるインフレだとしよう。)を招き、国民生活に混乱をもたらしかねない、という点だ。でも日本においてこれは少し誇大妄想に近い。コアコアCPIが弱い上昇しか見せていない状況で、高率のインフレを気にするのは、それこそリフレ論議が出てきた時のように、ノアの洪水のさなかに火事を心配するようなものだ。それにもちろん、財政出動したからといって一夜にして高率のインフレが起こるわけじゃない。だから国債金利がゼロ近辺をさまよってるような低金利下では、夜も眠れないほど心配する必要はない。もちろん、政治的な利害の関係上、財政出動をいきなり辞められない、という状況はありうるけれど、もしかするとその幅はみんなが思ってるよりはるかに大きいかもしれない。MMTがビルトイン・スタビライザーを重視するのも、こういう裁量的な財政出動で政治的なゴタゴタを避けるためなんだろう。

財政赤字の質

さて、財政赤字はいついかなる時でも削減すべきなのか、というと、そうとも言えない。それはこれまで経済学的にあまり論じられなかった論点があるからだ。つまり、財政出動によって何らかの生産的な財の購入することで、国の潜在的な成長率を押し上げる可能性があるからだ。ごく単純に、政府が何らかの財に投資して、金利を上回るリターンを上げることができるなら、その投資を通して財政赤字は回収できる。典型例はインフラ、つまり道路だったり橋だったり、あるいは先端的な技術の研究、教育だったりだろう。ただし、政府が考慮すべき投資は山ほどあるだろうけど、どれが潜在成長率を高めるかは事後的にしかわからない。という問題がある。結局のところ、成功は運によるかもしれないから、競争的資金のような制度はなんの役にも立たないだろう、ということは言えるかもしれない。

そういう意味では高度成長期が恵まれた時代だと思えてくる。なにせインフラがほとんど未整備だから、何に投資してもそれなりに成長が期待できた。一方で、ある程度インフラが整った現代では、そうした投資に政府がアクセスできるのか、という点を考えると遥かに難しくなっている。でも教育や研究なんかにはまだまだ投資できる余地はありそうだし、なんだかんだでインフラにも投資機会はあるだろう。一方で、単なる消費-何でもいいけど、特に生産的な財の購入にならないもの、例えばブルーインパルスを飛ばすとか-に対して財政赤字を用いれば、将来世代への負担になるだろう。(それでも需要不足ならやらないよりマシではある。)

結論

じゃあ結局、今は財政赤字を気にすべきなのか?そうでもないのか?結論としては、採算が合うなら、何らかの生産的な投資に使うぶんには(さほど)気にしなくていいし、物価も金利も低く、需要が極めて弱々しい現在の状態なら、単なる消費ですら状況を改善できる見込みがある。ただしこれはかなり限定的な状況だ。結局は前回の結論と同じで、MMTはゼロ金利下限制約に直面した需要不足の経済における解なんだということになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?