A.Iは何ができるのか.どこまでいくのか.

 つい先日,新井紀子さんの『A.Ivs教科書を読めない子どもたち』を読み終えました.

 ちょっと前に話題になっていた本ですし,経済学上の労働者の成長のようなものを専門にしたいな~と思っていたので本書は興味もあって出たときから読みたかったのですが,いろいろ忙しくて読めませんでした.

 読んでみて一番興味深かった(というか驚き)だったのはA.Iというのは厳密にはできておらず,コンピューターは文を理解せずにすべて統計的な処理によってタスクをこなしているという部分です.
 A.Iは現実的にはディープラーニングという統計的技術によるものであるというのは知っていたのですが,文章理解はまったくしていないというのはなかなか衝撃でした.作中で例が出されていたのですが,Siriに「まずいイタリア料理店」を検索してもらうと,「おすすめのイタリア料理店」を検索するそうです(現実にまずいイタリア料理店を検索する人はまずいないためデータが蓄積されない).
 

 自分はディープラーニングによる情報の蓄積で単語の簡単な(あるいは頻出の)意味は理解されているものと思っていたのですが,単純に統計的な処理でタスクをこなしているために上の例のことが起こるそうです.
 つまり,コンピューターは帰納はできるが演繹はできないという認識でよいようです.多数の文章の蓄積から英文和訳のようなタスクはできても,英日辞書をつくるようなタスクをするのは難しそうです.
 ディープラーニングを魔法の道具と思っていたわけではありませんが,思ったよりも応用するのが難しそうな印象を受けました(とはいえ,しっかり活用すれば十二分に便利な道具だとは思いますが).

 また,冷蔵庫まで近づいて扉を開ける機械の実現が困難であったという話も本書の中には含まれています.このような人間が簡単にできるような動作でも機械が行うには大量のデータが必要であり,冷蔵庫の色から,大きさ,形,e.t.c....が限定されているという例です.このような”ハード”の実現の難しさという話では井上智洋さんの本を思い出しました.

 この本の中では,技術進歩の中で失業の危険があるのは実は中流労働者なのではないかという記述があります.ここでいう”中流”というのはいわゆるルーティンワークなどを主な業務内容とする事務員などの職とされています.
 この中流労働は繰り返しの要素が多分に含まれているためにディープラーニングなどの技術が導入しやすい.対して,肉体労働は機会を導入するのに実際に作業をするハード面とハードを動かすためのソフト面(ディープラーニングなどはこちらに入ります)の2方面の技術進歩が必要なために技術導入が比較的難しい.ということのようです.

 経済への影響という点では新井さんの完全市場を前提とした考えよりも,井上さんの考察の方が妥当性が高いように思えましたが,どちらにしても経済学のA.I(ないしディープラーニングなどの技術)を考慮した理論拡張は(現在もあるのでしょうが)必須だし,できることも多いのかなと思います.(経済学専門の井上さんと数理学専門の新井さんを比べるのは酷な気もしますが)

 現在でも自分はRなどでパソコンを使って統計をするという世代です.A.Iがどこまでいって,なにができるようになるのかはわかりませんが,良しにせよ悪しきにせよ,共存する道を模索する世代となりそうな予感はしますね.

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