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無知ほど怖いものはない~学校のガラパゴス化について

先日、高校生と話していて感心した言葉。

  ↓ ↓ ↓
自己啓発系の本はもう読むのをやめにします。
あの手の本は読んだ瞬間は、やる気が湧くけど、
一過性の現象にすぎず、栄養ドリンクみたいなもの。
どの本もつまるところ、言っていることは一つで
「行動しろ」ってことですよね。
  ↑ ↑ ↑

おいおい、あなた、高校生ですか??
とツッコミを入れたくなるほど、
素晴らしすぎる名言で、
そうだな、その通りだな、と
聴いていた僕のほうが感激しました。

今は、kindle本はもちろん、
youtubeなどの動画も
学習系、自己啓発系の発信が多いので、
高校生も意識の高い子はよく見ているのかもしれません。
その上でのこの発言。

今どきの若者は、アラフォー以降の世代とは
インプットしている情報の質と量が
もう根本から違うのではないか、と思うことがよくあります。

先日、chatGPTの話題を書きましたが、
AIを用いれば、論文作成もイラスト描くのも、
かなり効果的に作ることができます。
もちろんゼロからイチを作れるわけではないので、
どんなテーマで書くか?
どんな質問をAIに投げかけるのか?
つまり、AIをどれだけ「使いこなせるか」が
これからの教育の腕の見せ所になると思うのですが、
教育委員会をはじめ学校現場は、
こういう時代の流れを
どれだけ正確に把握しているのだろう??と
思うと心もとない気がしています。

SNSがビジネスに応用できる、というのも
高校生にとっては常識です。
どんな情報発信が有益なのか?
これを教えれば生徒はもっと食いつくはず。
逆に、SNSに常につきまとう危険性、
ネットリテラシーを養わないと、
たちまち搾取される恐れがあるのに、
学校ではそこまで手が回っていません。

というか、本音を話すと、
学校って、ガラパゴス島なんじゃないかと思うときがあるのですよね。

具体例を挙げると、国語では、今でも
古典を品詞分解して助動詞の意味を考えさせる先生が多数います。
ノートに本文を写させて、逐語訳する、という
従来型の授業スタイルが未だに変わらないまま。

もちろん、そういう教育は意味があるものです。
ただ、正直なことを言えば、
現代語訳なんて、googleで探せば一発です。
助動詞の意味を専門的にやりたいなら、
文学部国語国文学科に入学して探究すればいい。

じゃあ、なんで古典を学ぶのだろう??

この「古典を学ぶ意味、価値」について
きちんと生徒と対話を重ねて
お互いが納得してからでないと授業は成り立ちません。
意味づけと納得と方向性のすり合わせこそ、
最も時間をかけて教師がやるべきところ。

その前提となる土台作りを見落とすと
たちまちコミュニケーションは一方通行になり、
形骸化し、意味のないもの、
つまり「時間の無駄」になります。

実のところ、学校現場は今までのルーティンを、
あまり何も考えないまま、現在に至っている、
というのが現実に起こっていることなのかもしれません。

これだけ不登校が多いのも、
不登校の子に原因があるようには
僕は思えません。
学校という場が
時代遅れのガラパゴスになっているのです。

社会の変化は不可逆ですから、
望む望まざるに関わらず、
学校の在り方も今後変容せざるをえなくなるでしょう。

知らないことほど怖いことはない。

この言葉を肝に銘じたいと思います。

PS
逆に「知っている」ゆえに、
メンタルブロックを壊せることもあるのですよね。

僕は身近に、一流大学でなくても、専門学生でも、立派に社会人をつとめ、高収入で活躍している人を何人も知っています。
高校は不登校だったけど現在活躍している卒業生もたくさんいます。

それは学歴にこだわり、
受験勉強ループから抜け出せなくなっている
保護者や生徒にとって、
ある種の救いの「知識」になるだろうな、と思っています。

一番、知るべきは
実社会に生きている人間の生の情報ですね。
それは、こういうnoteをはじめとするネット世界でもたくさん得られるということを、恥ずかしながら、僕自身わかっていなかったです。
気づくのが遅すぎました。

だから、余計に「無知は怖いな」という
自戒のお話でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの少しでもお役に立てたら嬉しいです。

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