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けふほれて あすわかれ~『動的平衡』について

高校教師の枝瀬です。
主に、
教育、心理、コミュニケーションや自己啓発、
日々の気づきを発信しています。

今日は国語の教材研究も兼ねて
生物学者 福岡伸一さんの
ベストセラー『動的平衡』を
授業で扱うにあたっての
導入を紹介します。

グループワークが主流になり
授業で、教師の話す時間が
ほとんどなくなりました。
(授業時間中、生徒は
 ずっと話すか、書くか、読むか)
僕が話すのは導入のせいぜい5分。

その時間に
どんな話をして、
生徒を惹きつけ、
学習に前のめりにさせるかが
僕の仕事です。

読んでくださった方が
ほんの少しでも、
気づきを得て、心が軽くなり、
行動が変化するタネのようなものを
書けたらいいなと考えています。
どうぞ最後までお付き合いください。


けふほれてあすわかれ(今日惚れて明日別れ)


室生犀星という詩人がいます。
小学校の教科書にも載っている有名な人ですが、
晩年、こんな色っぽい詩も残しています。

何度でも女にほれて見たが
ほれるということに際限がない
際限のないことのうるはしさ
これだけはこころのなかのものであり
誰も何もいへないさかひのものだ
けふほれてあすわかれ
あすまたほれてあさつてわかれ
毎日ほれて毎日失くする
毎日貰ひ毎日こなれてしまふ
茫茫(ぼうぼう) 生きて際限もない

『昨日いらつしつて下さい』〈1952年〉より

みなさんはこの詩を読んで、
どんな感想をもちましたか?
隣同士で感想言い合ってみましょう。
はい、どうぞ(笑)

感想言い合いタイム

この詩、
「女にほれて」と書いてあるから
一見、恋愛の詩に思えます。

もちろん、
恋愛にあてはめてみて
おじいちゃん(当時の犀星は63歳)
若々しいなあ~という
感想を抱いてもいいのですけどね。

なまじ「女にほれて」に
イメージがひきずられすぎて
恋愛だけに意味を限定すると
もったいないとも思うんです。


僕たちは日々、
なにかに惚れて、
夢中になって、
ガムシャラに行動して
なにかしら成し遂げて、
でも、
いつかその夢中になったものから
離れて、
また次なるものに惚れていく

そんなサイクルを
繰り返しているじゃないですか。

「惚れる」っていう営みは
その人にとって
深遠な意味があるんですよ。

「惚れる」対象は人それぞれ。

誰かに恋い焦がれる意味での
「惚れる」以外に、

スポーツに惚れたり、料理に惚れたり、
鉄道に惚れたり、昆虫に惚れたり、

なにに「惚れる」かは
その人の個性につながってます。

そして惚れて夢中になることは、
対象を自分に取り込むことでもあります

つまり、
惚れたものはあなた自身になるということ。

田舎の豚を見たら僕は将来の俺だと思う


タイトルは、
養老孟司さんの言葉を借りました。

養老孟司さんは、
1937年生まれの医学博士で解剖学者。
心の問題や社会現象を、
脳科学や解剖学などの知識を交えながら、
一般の人にもわかりやすく
説明してくださります。
座談の名人でもあり、
養老先生の対談本は広く読まれています。

その養老先生が

田舎の豚を見たら僕は将来の俺だと思う

というんです。

そのココロは?
どんな意味だと思いますか?
隣同士で、
はい、ミーティング(笑)

話し合いの最中

養老さんの発言の意図は以下の通り。

私たちの肉体を構成している分子は、
すべて高速で分解され
食物として摂取した分子と置き換えられている。

だから私たちの肉体を分子レベルで見れば
数か月前の自分とは全く別ものになっている。

つまり
田舎の豚を食べたら、
それは自分自身になる、ということ。

分子は環境からやってきて
一時、私たちの体を仮に作り出し、
次の瞬間にまた環境へと解き放たれていく。
言い換えると、

環境が私たちの体の中を通り過ぎていく、

という捉え方ができる。

この考え方を「動的平衡」といいます。

これ、
イメージ的にわかりやすい動画があるので
紹介します。


イメージは掴めましたか?
じゃあ、この概念について、
筆者はさらに考察を深めているから、
本文を読んでみましょう。
教科書開いてね。


という感じでしょうか?
書きながら、気づきましたが
絶対5分超えるので、
もう少し口数減らさなきゃ・・。

まとめと補足

一昔前、
ベストセラーになった
福岡伸一さん『動的平衡』の考え方の
ほんの触りの部分を紹介しました。

この世界のありとあらゆる現象は
分子レベルで見れば
「流れ」と「循環」です。

僕は、そのイメージが

冒頭に紹介した室生犀星の
「けふほれてあすわかれ」に
通じているなあ、と思ったのです。

そして、こんな想起ができたのは
次の記事を読んだからです。

「動的平衡」というイメージに従うのなら、

ものや情報にあふれた現代人にとって、
自分の存在というのを、
正しく、心地よく
「流し」「循環」させるためには、

別れる
離れる
捨てる

いわゆる断捨離を
積極的に行うべきでもあるなあ、と。

生徒も親も、
僕自身、
どちらかというと
「惚れる」にフォーカスをあてがちでしたが、
よりよく「惚れる」ためには
決然とした「別れ」も必要なんでしょうね。

別れるから出会える。

そう思えたら
別れても元気になれるかなあ、
と思った次第です。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。
これを読んでくださったあなたの
少しでも気づきのタネになれば
嬉しいです。


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