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尊敬と共感

世の中には、多くの珠玉の言葉やセオリーが出回り、自己啓発セミナーなどでも多くを学ぶ事が出来る。 しかしそれは自分自身が感じ取り、自分自身の心にあてていくものであり、他人や部下に押し付ける事ではない。

例えば、とある講演会で人が死に際で口にする後悔の言葉に、「もっとチャレンジしておけば良かった。。」という言葉をよく聞くというお話を聞き、
よし、うちの部下にもこの話を聞かせて、もっと毎日頑張るように仕向けよう。などと思ってる人も結構いるのではなかろうか。

経営者や管理職といった層が、自身やその部下の人材育成の為にと、多くの時間を学びに費やしたとしても、心の底に「人を動かそう」という塊が大きすぎて、いざ実践してもうまくいかない事の方が多いのではないかと思う。

また、会社組織という独自の常識の中で時間を過ごしていると、世間一般常識から遠く離れていくことも一つの懸念材料である。
「上司には逆らってはいけない」、「社長の言うことは絶対だ」、
果たして本当にそうなのか? もちろん業務上はあって然りであるが、
そうでない時にもマウントを取られる必要は無い。

狭い組織の中で独自の常識や固定観念から、部下に対しても他と比較したり、引き算でその人の能力を測り損ねたりということも多々あるだろう。
自分の持っている常識が世間一般と合っているのか、時には考えてみるのもよい。

五木寛之さんの「大河の一滴」に1本のライ麦の苗の話があった。
30㎝四方の木箱に土を入れ、水をやり、1本のライ麦を数か月間育てるというものだ。木箱の中の限られた土と水しかないので、もちろん実もたいしてつかず、色つやも悪い貧弱なライ麦が育つのだが、木箱を壊すとびっしりと根を張っているという。
その根の1本1本、毛根1本1本の長さを測った生物学者がいて、その根の長さは、11,200㎞にもなったそうです。(地球の直径は12,000㎞)

狭い木箱の中で、地球の直径に近い長さまで根を張り広げ、生きるために必要な栄養を何とかして吸収し、1日、また1日と命をつないでいたんだと考えると、生きる事、生きている事自体が見えない多くの力で支えられているという事に気付かされます。1本のライ麦でさえ、それだけの支えがあるのだから、人間1人となるとその何百倍、何千倍もの支えがあって初めて生きていけるのでしょう。

そう考えた時、人間一人一人の存在に対しての見方が、今までとは少し変わってくるのではないでしょうか。人一人の存在は、ただ生きているだけで尊いと考えられれば、部下に対しても好ましい反応が取れるのではないでしょうか。 

丹羽宇一郎さんの著書にも心に響く一節があった。

「部下を気遣う一言をかけることが上司の役割」

社員一人一人の成績など「数値」を管理する事ではなく、そこにいる社員一人一人が充実して働けているかどうか、「顔色」、「表情」、「会話」、「歩き方」など、現場で直に社員と向き合って窺い取ることが一番大切な事だという。 

そうだよな、もともと人なんて一人一人が全く違う唯一無二の存在なのだから、矯正してはめ込むより、共感して互いに実のある時間を過ごせた方が、より多くの課題や、高い壁に向かってチャレンジできる気がしてならない。


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