ボカロPは自由と競争に疲れている(ボカロP地域連合について)

なんとなく、TwitterのTLを見ていると、ボカロPとDTM界隈は、承認欲求以外の何かに依存しようとする動きか、「小さな身内」を作って内輪で承認欲求を満たそうという動きになっているように見えます。

音楽のコモディティ化と承認欲求不満の拡大

昨日、こんなことを書いたのですが、なんとタイムリーなことに、ここ数日、ボカロPが地域連合を作る現象が全国的に発生しています。

ネットという地域や所属、ヒエラルキーという制限から解き放たれたステージを手に入れたのに、再び地域という制限でまとまろうとする現象がとても興味深いと思っています。
このタイミングで、というのは、おそらく作品の供給過多で承認欲求を満たされなくなったことが背景にあるのではないかと考えます。
おそらくその仲間内で承認し合う、という現象が発生するのではないでしょうか。

面白いのが「地域」という条件です。 その土着的な関係性で縛るという思想が、ネットの自由とかけ離れていて、ネット疲れみたいなのもあるのかな、と思うのです。
それにしても地域連合というのはヤンキー文化みたいだな、と思います。きっとヤンキーと同じ同じ土着的な関係性、つまり地元意識による安心感みたいなのが欲しいのだろうと思います。

ボカロPは多分、自由と競争に疲れています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?