見出し画像

帰国子女の迷子なアイデンティティ

こんにちは、アンバサダーのErinaです!今回は私がこれまで帰国子女として生きてきて思うことを綴っています。もしかしたら同じ帰国子女であるお子さんと、少し重なる部分があるかもしれません。みなさんにとってなにかのヒントになれば幸いです。

Erinaの他の記事を読む


Edu-more plusはオンライン家庭教師のEDUBALが運営しています!

「わたくし、こういう者です」

まずは私自身の説明を。メーカーに勤務していた父の海外赴任に伴い、両親がドイツへ渡航したのは1970年代。日本人が海外にまだそうたくさんいない時代だったかもしれません。私はドイツで生まれました。2歳半で日本に帰国し、小学1年生の夏までは日本で過ごします。学校で友達ができはじめた頃に、父のアメリカ赴任が決定。祖母からプレゼントしてもらった真新しいランドセルと、泣く泣くお別れした苦い思い出があります。

アメリカでは現地校に転入。日本人が少なく、日本人学校という選択肢は当然ありません。補習校もないぐらいでした。アメリカでの生活も長くなってきて、日本に対する憧れを持ちはじめた頃、父からドイツ駐在の話を聞きます。このとき13歳。アメリカで7年近くすごしていたので愕然とした記憶。「えー、いつになったら日本に行けるの??」と。でも子どもには親についていく以外の選択肢はありません。

ドイツでは日本人学校(全日制)かインターに通うかを選ばせてもらえた私は、迷わず日本人学校をチョイス。「少しでも憧れの日本に近づきたい!」とワクワクした思いでした。現実は日本の勉強が大幅に遅れ「英語しかできないやつ」とまわりにも揶揄される、葛藤続きの中学校生活の幕開け。日本人学校に毎日通い、塾でもしっかり勉強していた同級生たちからしたら「この人大丈夫!?」と心底思われていたに違いありません。

次女のお友達の誕生日パーティーでの一幕は、自分の子ども時代を思い出します

THE憧れの国・日本!

中学を卒業したあと、インターへ進学しました。ようやくのびのびと過ごせる!インターの行事も勉強も、友達関係もすべてがおもしろかった記憶。ところが半年もしない内に、突然父から「日本に帰ることになったよ」と伝えられます。思春期真っ只中の私は「大人ってどうしてこうも勝手なの!?やっとやっと手に入れた楽しい時間なのに!でも憧れの日本に行ける…」と複雑な心境でした。

日本に帰国してからは帰国生の多い公立高校に編入で入り、そこから先はずっと日本…というわけには行かず、そこから現在まで結局4回(通算18年)の海外生活を経験しています。前置きがずいぶん長くなりましたが、これが私のこれまでの歩みです。

自分は何者なのか

さて、あちこち転々とする人生を歩んでいると一体どんな感じなの!?というところですが。まずは日本の学校生活を知らないので、まわりが小学校の頃の給食の話や授業の話など始めてしまうと、話に入れず非常に肩身がせまい。大人になっても「地元どこ?」と出身を聞かれても答えられない。だって自分には地元がない。自分は一体どこから来て、何者なのか。これがずっと付きまといます。

先日、大学時代の友人6人と会う機会があったときに、同じ帰国子女である数名に「みんなのアイデンティティは?」という問いを投げかけてみたところ、非常におもしろい話が聞けました。同じ北米での滞在経験がある友人たちでも、滞在期間・滞在時の年齢・家庭での過ごし方によってぜんぜん違う結果だったのです。ただひとつの傾向として見えたのは、日本で学校生活を経験しているかどうかによって、その人のアイデンティティに大きく関わってくるということ。つまり、それだけ日本人的思考であったり、価値観が集団生活を通して身につくということなのだと思います。

逆に、日本での集団生活をあまり経験することなく、海外生活を過ごしてきた私や友人Mなどは外見は日本人だけど、アメリカ人のメンタリティ、でも日本のことは実体験がないだけによく知らない。そして自分のアイデンティティはと問われると、明確な答えを出せないのです。

3度目のアメリカは自然が豊かで厳しいミシガン州

「どちらも私」でいい

それぞれにバックグラウンドが違う友人たちですが、帰国後は学校の英語の授業で「こんな言い方はアメリカではしません!」と先生に楯突く者あり、帰国子女であることを隠したくて音読のときはカタカナ読みでわざと発音する者あり、逆カルチャーショックで苦しむ者ありと、いろんな(胸の痛い)経験をしていました。自分を含め、みんな手探りで自分の立ち位置を探していたのかなと思います。

話の中で印象に残ったのは、現在も北米在住の友人Kの妹さんの話でした。もう海外生活の方が長い妹さんであっても、自分は日本人であると小さいときから思っていたということ。それはおそらく自分の属性(Sense of Belonging)を決めて自分の軸としてしっかり持つことで、これまで経験してきたさまざまな苦難を乗り越えてきたのだろうと思います。なんて、深い…。のほほんと幾多の波に打たれてきた私とは違う、素晴らしいマインドの持ち主。

こんな風にアイデンティティで悩む帰国子女は、日本人だからこそな気もします。日本は人種構成が単一に近い国。生まれはアメリカだけど、両親はそれぞれに違うルーツを持ち、家では複数の言語を話すなんていう人はアメリカだったら特別珍しくありません。そしてかくいう私はというと日本寄りでありながら、アメリカやドイツもほんの少し混じっているような。そのどっちもな(そしてどっちつかずな)感じも一つのアイデンティティなのかもしれません。