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教員は「プライド」を捨てるべきである

皆さん、こんにちは!!
現在私立中学高等学校で、数学の教員をしながら教員を目指している方や、教員に対する些細な疑問を持つ方たちに向けて情報を発信している、S.Kiriaです。

皆さんが生徒の頃に関わっていた先生方はどういった方でしたか?
「授業分かりやすい先生だったなぁ」
「いつでも俺たちのことを親身に考えていてくれたなぁ」
「ほかの先生と比べて信頼できるなぁ」
とポジティブな印象を持っている方もいれば、
「あいつ課題ばっかでめんどくさかったなぁ」
「部活でめちゃくちゃ怒られたなぁ」
「女性贔屓がひどい先生だったなぁ」
とマイナスなイメージをお持ちな方もいるはずです。

私が教員になった理由の1つに
「誰よりも生徒に寄り添い、充実しか学校生活を送ってもらえるように、そのサポートをしたい」
という気持ちがありました。
(ちなみに、教員採用試験の面接でも全く同じことを話しました 笑)

誰よりも生徒に寄り添うためには、生徒から信頼されることが大切・・・
じゃあそもそも生徒から信頼されるためにはどうすればいいんだろうと、教員になりたての私は毎日のように考えていました。

だからこそ気がついたことがあったんです。

教員は「プライド」を捨てるべきだと

この言葉の意図として、教員としての自覚・覚悟等のプライドそのものを捨てるものではありません。
「教員だから生徒の手本、上に立たなければならない」
という驕りを捨てることを意味しています。

最初の記事でもお話させていただきましたが、教員は1日のほとんどを教室という空間で生徒たち(こどもたち)の相手をしています。
そのため、学校には態度が大きく、プライドの高い先生がたくさんいるなと感じることが多々ありました。

具体的には、生徒や後輩教員に雑務を命令した後に、「ありがとう」の感謝の気持ちがなかったり、何か指摘されたときに、私の考えが正しいと頑なに自分のミスを認めなかったり、とにかく頑固なプライドの高い先生が多いんです。

しかし、そういった先生に対して生徒たちは皆首をそろえてこう言うんです。

「あの先生、うざくない?」
「あいつの授業嫌い」
汚い表現を使ってしまって申し訳ありません。
でも、今の子供たちはこのぐらいあたりまえのように言います。

もちろん、教員である以上、生徒とはある程度の距離感を保ちつつ、指導しなければならないと思ったことはしっかりその子のためにも指導することは大切なことです。

しかし、子供たちは教員であること以上に一人の大人として尊敬できるかどうかを見ています。

普段の授業の雰囲気や、しぐさ、休み時間中のふるまいや、生徒に接するときの態度等、ほんと些細なことすらも尊敬できるかどうかの基準の材料としているため、態度がでかく、プライドの高い教員は生徒にとっては格好の標的でしかありません。

現に私の学校で評判のあまりよくない教員は、教員の立場を利用して、態度の大きい行動をとる一方で、評判のいい先生は、変にプライドが高くなく、常に生徒目線で生徒と接しているイメージがあります。

実は私自身もまだまだ教員としての無駄なプライドが捨てきれていないんです…
生徒へのリスペクトを忘れてしまっているときが多々あります。

しかし
それでは、私の目指す、「生徒に寄り添える教員」を目指すことができません。

生徒に信頼される第一歩として、まずは「教員としての無駄なプライド」を捨て

「人間味あふれる先生」

をこれから目指していきたいなと思います!

本日は、お忙しい中、最後まで記事を読んでいただきありがとうございました!
今後も教員生活のありのままを発信していこうと思いますので、フォローのほどお願いいたします!

また、私が実際授業で扱っている教材を販売していますのでそれも併せて
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