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efcharistoのツイート集【始まり】

こんにちは。医療分野で働いております、エフハリストと申します。

これまで、発信や仕事における考え方についてツイートをしてきました。

ツイートがかなりたまってきましたので、解説を交えつつまとめようと考えました。

2019年10月にツイートした内容です。



①発信について

2019年10月17日 言葉の力 言葉には力があると思います。現状を描写した言葉は、自分を現状に縛ります。そこからこうなりたい!を言葉にしたら、自分が言葉に向かって行動します。言葉が自分を引っ張っていく、とも言えます。さらに言葉は、人々の目に触れ、人々を引っ張っていく。そんな言葉を発信したい。

言葉は、言い表されると、発した人に影響を及ぼします。おそらく、言葉が脳で認識され、それがイメージとなり、影響を及ぼすのでしょう。

そこで、今自分がそうであったらいいな、と思う言葉を言ってみましょう。その言葉がイメージとなって脳に影響を及ぼします。さらに、自分の行動にも影響が及びます。すぐには大きな結果は出ないかもしれませんが、必ず影響が出てきます。なにより、発想が変わってきます。ポジティブな言葉を言うと、不思議とポジティブな発想をするようになるのです。

そのような言葉の影響を自分で理解できたら、その力を他の方に対して発してみましょう。その言葉が他の方にゆっくりと影響を与えていきます。そのような場は、Twitterが最適です。自分がこうありたいと思う姿、こうしたいという意欲を発信しましょう!そして、実は自分もTwitterで多くのポジティブな言葉に導かれて、発信をしていたことに気が付くのです。

2019年10月23日 あなたの思ったこと、考えたことは、誰かの役に立つ。私は研究をしていますが、過去の文献に示唆を受けることがあります。こんな報告をしてくれて、ありがたい!と思うこともあります。日常のことでも、他の人の感想は視点が違ったりして、新鮮です。みなさん、いつもありがとうございます

私なんかが発信しても…と、思う方もおられるでしょう。ですが、人はそれぞれ環境も違えば立場も違います。そして視点も異なります。自分の視点からしか物事を眺めないと、なかなか新たな気づきを得ることは難しい。ですが、異なる視点から眺めている他の方の発信を読んで、気づきを得ることが多いのです。あなたの発信を待っている方がおられます。どうぞ、勇気をもって発信してみてください。


②気づきについて

2019年10月31日 最も重要なのは、問題に気が付くこと。検査部門の責任者になって知ったことは、最も重要なのは問題に気が付くこと、でした。問題に対応する能力がなくとも、問題の存在を知っていれば、院外の詳しい方(関係する医師やコメディカル、業務に関して詳しい業者)に尋ねれば、なんらかの対応が可能です。

一般に、仕事ができる人は能力がある人だと思われています。では、その能力とは?その分野についての知識が豊富であることでしょうか?あるいは、論理的思考能力があること?いろいろな方とのコミュニケーション能力があること?すべてYesであると思います。しかし、なによりもまず、気づく能力が最も重要であることに気づいたのでした。

2019年10月31日 問題に気が付かないと、そもそもの対応ができないのです。それは、スタート自体ができないということ。客観的に見て必要なことについて、対応ができていないことの恐ろしさを感じることが大事です。そのようなことがないのか、日々自分の身のまわりを見つめなおす日々です。

問題に気づかないと、そもそもの対応ができないのです。どんなに優れた人であっても、対応できなければ事態は好転しません。時間が経つごとに選択肢は限られていきます。気づけば、しかるべき人に助言をいただき、問題に対処することができます。

2019年10月31日 このことについて知ると、いかに自分が対応力がないかを知ることにもなりますし、むしろ、なくて当たり前、ということにもなります。すべての問題を知れる人なんていないでしょう。自分の責任を全うしたい、という立場に立てば、他人の助言を素直に聞くこともできると思います。

日々生じる事態に対して、独力で対応できる人はいないと思います。どんな人でも、いろいろな方との会話や読書から気づきを得て、現場を眺めて問題に気づきます。

そんな中で、大事なことを挙げるとすれば、責任感でしょう。この問題は解決しなければならない、という意識を強く持てば、解決するためにいろいろな方に助言をいただくことも抵抗なくできるのではないでしょうか?

では、責任者でない方は責任を持たずにいられるのでしょうか?そうではなく、人はすべて自分自身に、自分の人生に責任を持っていると考えます。そう考えると、日頃の日常の生活において自分の人生にとって良い影響を与えそうなこと・人に注視し、気づきを得るという姿勢が大事になってくると思います。

2019年10月18日 無自覚な日常からの超出 日常の生活では、「なんとなく」やっていることがよくあると思います。でも、皆さんのツイートを見ることで、なるほど、そういう見方もあるのかと気がつき、変えてみようかなと思うこともあります。Twitterで日常からの超出。自分を変えたい方は少しずつ

日常の生活では、特に理由もなく、流れでやっていることがあると思います。こうしたことは、やっている自分ではなかなか気がつかないことも多いです。そんなときにTwitterを見ていると、自分とは違う視点のツイートから気づきを得られることがあります。その観点から自分の普段の生活を反省してみると、変えたほうがいいかも、と思うことも出てきます。普段やっている些細なことでも、変えてみるとその変化が脳に影響を及ぼし、新しい発想が生まれることもあります。現在の自分をいい方向に変えたいと思っておられる方は、少しづつでも変えてみるといいのではと思います。


③準備について

2019年10月20日 平時の心がけ 忙しい時にベストを尽くすのは当たり前。暇なときにどれだけ準備できるかが、実は大事です。準備は予見しないとできない。先見性も大事です。日頃どれだけ準備できているかが、いざというときのポテンシャルに反映します。準備すべきことを考えましょう

日々の業務において、忙しいこともよくありますが、前もって準備をしておくことで対応できることがよくあります。その際、大事なのは予見することです。多くの場合、初めてのことを予見することは非常に困難ですので、経験をもとに予見することになります。こうして、日頃の業務の振り返りも必要になります。難しいことですが、振り返りと予見を日頃から繰り返すことで、少しづつ現状に対処できる力が養われていくと思います。


④批判的思考について

2019年10月28日 クリティカルシンキングについてのツイートを見ました。二つの方向性があると思います。①結果を予見する 実行する前に、結果を予見するために行う。無駄な失敗を避けるため。②他人を説得する 計画を他人に説得するために批判的に見直す。以上、コト方向とヒト方向です

この間、ずっと考えていることですが、自分が関心のあるコトを研究しているとき、そのコトだけに関心が向いてしまい、そのコトについてあまり知識を持っていない方々に説明をすることが上手くできない、ということがよくあります。例えば、学会で研究発表するときでも、学際領域になると、専門領域についてはよく理解している聴衆に対して、隣接領域についての説明をしなければならないことがあります。その説明が、われながら上手くいってないと思うことがありました。この問題について無自覚であったことが原因と考えました。そんな中で、クリティカルシンキング(批判的思考)についてのツイートを読みました。

批判的思考の目的には、二つの方向性があると考えました。第一に、自分が行っている仕事なり、研究なりが上手く実現するために考えることです。これを、コト方向と私は呼んでいます。研究では、例えば研究対象を設定するときに、既往の疾患で研究に影響を与えそうな例を除外することが必要になります。検査値に影響を及ぼして、研究が進まなくなることを防ぐために、非本質的な例を除外することが必要となるのです。こうしたことを考えるのは、研究自体を上手く進めるためです。自分の目的を上手く実現するための方向性、ということです。

第二に、自分が計画している仕事や研究を他の方に理解していただくための思考です。これを、人方向と私は呼んでいます。研究は一人で行うことは極めて稀ですので、共同研究者とともに行うことになります。そんなとき、なぜこの研究を行うのかを理解していただく必要があります。これが不十分であると、共同で作業を行う際に動機づけが不十分であったりします。仕事でも、なぜこの業務が必要なのかを上司に理解していただく必要があります。そして、なにより一般の方へ向けた発信も必要になります。研究者は自分の研究を一般の方に知っていただかなければなりません。そのための技術を学ぶために自己発信を鍛えようと思ったのが、自分がTwitterを始めたきっかけでもありました。

大まかな方向性にすぎませんが、物事を考察する際に念頭においていただけると良いのではと考えます。

2019年10月28日 器用な人は、自力でいろいろできるので、人に頼ることが少ないですが、ここに、落とし穴が!人に頼らないとできないことに挑戦しないのです。だから、むしろ不器用でも人に頼って生きてきた人の方が、大事を成しやすい。大事とは、一人でできるようなものではないですから。

私は、決して器用ではないのですが、なるべくなら自力で解決しようとするタイプです。しかしながら、一人では能力的にも時間的にも不可能であることがあると思い、上記のツイートをしました。

結局、人に仕事をお願いすることを少しずつ始めましたが、それがなかなか興味深い経験となりました。この経験が今後きっと自分の人生に生きてくるだろうと確信しています。

前に紹介したツイートでの人方向に相当する問題ですが、この問題はどんな仕事であっても、人と共同して仕事をしている方なら直面する問題ですので、Twitterでもさまざまな方が発信をされており、大きな示唆を得ました。

2019年10月30日 認識と実践の、構造上の類似 認識の構造
対象 — 現象 — 認識する人
対象そのものは不可知だが、現象を網羅して記述できる
実践の構造
目的 — 実践 — 実践する人
目的は頭の中にあり、目的そのものは実現できない。実践の結果を目的に近づける。どちらも、中間項が最も本質的。

このツイートはかなり抽象的で、わかりにくいもののように思います。認識と実践の構造上の類似に関して思ったことです。面倒と思われた方は、どうぞスルーしてください。

認識の構造とは、一方に認識する側(主体)の認識する人がいて、他方に認識される側の対象があります。対象自体が完全に理解されることはないと思います。それは、現代科学が今もなお真理を追究するために不断の努力をしていることからもわかると思います。ですから、そのような抽象的な対象の真理とはあまり意味があるものではなく、むしろ認識する人との関係が問題になります。これを現象と呼んでいます。対象は認識する人に対して現象します。椅子はある材質であり、ある大きさであり、ある形であり、ある重さであり、ある価格であり…。これに対して人は特定の関心に合わせて椅子に対して関わります。この材質なら長時間のデスクワークで疲労が少ないとか、この大きさなら動線に対する影響が少ないとか…。人にとって本質的なのは、対象そのものではなく、現象だ、ということです。そして、ある対象が人に対して現象するあり方をまとめ上げることによって、その対象に対する認識が得られます。

実践の構造とは、一方に実践する側(主体)の実践する人がいて、他方に実践する人の頭の中に実践の目的があります。頭の中にある目的が実践によって完全に達成されることはありえないことだと思います。ですから、そのような抽象的な目的の意義は副次的で、むしろ実践する人が実践によって実現した結果が問題になります。ここではこれを実践と呼んでいます。後付けですが、これは「結果」としたほうがよかったと思っています。結果は、いろいろな理由で頭の中の目的と完全に一致することはありません。第一に、頭の中の目的は、事前の(実践をする前の)目的であり、現実を認識する上での誤りがこの目的に影響を及ぼします。第二に、実践をしていく過程で明らかになることがあり、それを知らない状態で目的を設定したという誤りが影響を及ぼします。第三に、実践する人の側の原因、例えばその人の現時点での力量、能力などがあり、第四に、実践の場、環境に起因することがあります。ですから、当初の、頭の中の目的とは、それが存在しなければそもそもの実践が存在できないという意味では重要ではありますが、実践の過程全体から見れば意義は副次的で、第一には結果を出すことが大事、ということになります。第二に、その結果が当初の目的とどれくらいズレているのかということがあり、その結果をより良いものとするためにさらに実践する、ということになります。そして最後に、より良く実践するために、より良い目的を設定しなければならない、という風に循環します。

この、認識と実践の構造の類似点は、最も本質的なのは中間項だ、ということです。


⑤諦めないこと

2019年10月27日 おはようございます 来年4月の学会の締め切りが迫っているのですが、なんとか登録できました!今回は、もともと計画した研究が症例足らずで…急遽別のデータで解析したら、なかなかいい結果に!やはり最後まで諦めないことが大事だと、身をもって知りました

学会に研究の演題を登録する際に、期限があるのですが、このときはフォーカスしている症例群の数が少なく、この研究の登録は断念しました。しかし、後輩が4月の学会で発表できたらいいな…と思い、他の方法を考えていたのですが、並行して進めている別の研究のデータを解析してみると、なかなかいい結果が出ていましたので、これで勝負することにしました。やっぱり、最後まで諦めないことが大事だなという思いを強くしました。そのためのポイントとしては、やはり方針を決めつけない、ということが大事であるように思います。もしもの時のために、いくつかの選択肢を残しておく、ということですね。これは、人との交渉の場面でも役に立つことであると思います。選択肢を三つくらい用意しておいて、上手くいけば①、最低でも③という風にしておくと、強引な交渉を避け、相手に対応して柔軟な交渉が可能になるのではないかと思います。


⑥個人の限界

2019年10月21日 全てをコントロールすることはできない。行動して成功したのは、私の力か?確かにそうかもしれないけれど、助けてくれた人々のおかげだし、行動できる環境があったおかげです。理屈の上ではコントロールすることも大事ですが、人智が及ばない領域があることも心に刻みたい。

人が行動し、成果を上げるためには、自分をコントロールし、周囲の条件を調整する必要がありますが、すべてをコントロールできないことも事実です。自分を振り返っても、様々な偶然や思いがけない助力に依存しています。世の中には、そうした不思議な運や縁があるものです。

与えられた環境下で、できるだけ努力した結果、そういう運や縁が味方になってくれるということなのでしょう。ですから、自分が努力して上手くいったときには、そのような運や縁を意識してみることも大事なのではないかと思います。

さらに進んで、自分が他者の成功に思いがけず貢献していたのなら、なお良いことですよね!


⑦正しさとは?

2019年10月20日 正しさの基準とは? 内向的な人は、頭の中で正しさを求めがちです。でも、実は正しさとは行動の中にあるのではないでしょうか?その結果として、正しさと誤りがあり、反省します。頭の中の正しさが、本当に正しかったのか?結果の誤りが何に起因するものなのか?こうして人は学びます。

私は内向的な人間ですが、自分も頭の中で正しさを考えがちです。でも、いくら正しいことを考えても、それが実現されなければ意味がありません。いつまでも考えているだけだと、結局実行されずにいたずらに時が流れていきます。

私のオススメとしては、考える期間を決定することです。私は基本的に「一週間」をサイクルの最小単位にします。翌週には必ず実行するように心がけると、考えすぎずに行動する習慣が身に付いて良いのではないかと思っています。ただし、このサイクルの期間に関しては、人それぞれ適切な期間が異なってくるでしょうね。

行動の結果として、よかったところとよくなかったところが出て来ると思います。これを反省するわけですが、④批判的思考について、の実践の構造のところでも述べているのですが、事前の目的に問題がある場合もあります。事前の目的は、頭の中で考えたことなので、現実のいろいろな条件を無視して立てられている可能性があります。また、日本人はできなかったこと、不十分な点にフォーカスしがちであるという話もあります。まずは実行できたことをもって成功とすべきではないでしょうか?それから、さらに質を高めていくために、繰り返しチャレンジしていきたいものです。


⑧完璧な仕事

2019年10月16日 完璧な仕事 完璧な仕事をするために、時間がかかっていませんか?いくら完璧な仕事をしても、顧客を待たせて迷惑をかけていたら、そのために完璧な仕事ではなくなるかも。顧客を考えずに完璧を目指すのは、自己中心的ですね。完璧よりも、顧客に役立つかを優先したいです。

仕事をするうえで、質の向上を追求するのは大事なことですが…時間をかけていてはよくないと思います。特に、顧客に提供するサービスを行っているときはそうです。顧客は、サービスの質を求めていることは当然のことながら、それ以上に待たせないことを重視していると思います。

物事がスピーディーに進むことは、この上ない価値です。迅速に提供できた場合、顧客に貴重な時間の余裕が生まれるのです。旧態然の、顧客を待たせて当然という考え方の職場は、考えを改めたほうがいいと思います。このように、仕事の完璧さを追求することと仕事の所要時間はしばしばトレードオフの関係にあることがあります。顧客のためにも、完璧を追求するのではなく、顧客の利益を最適化するために迅速を心がけたいですね。

2019年10月16日 完璧な仕事② 完璧な仕事をするために時間がかかっていませんか?変化が急速な時代、いくら完璧な仕事をしても、時間がかかり過ぎると、陳腐化してしまいます。完璧な仕事だけれど、需要のない仕事かも。完璧でなくとも、役に立つ仕事を行いたいものです。

さきほどは顧客との関係について書きましたが、今回は時代との関係です。現代は変化の速度が上がっています。この変化に追いついて行っているかどうかを常に振り返る必要があります。70~80%の出来でもいいので積極的に世に問い、フィードバックするという姿勢を身に付けたいものです。

完成を重視して時間を費やしてしまうと、時代の変化のために必要とされない仕事になってしまうかもしれません。顧客が必要としている仕事は時代と共に変化する、このことを意識して、常に自分の仕事をアップグレードしていきたいものです。


⑨失敗について

2019年10月13日 失敗することがとても大事 新しいことを始めるとき、失敗したら嫌だなと思います。ですが、失敗すること自体が大事とも思います。失敗の効用。やったことを振り返るきっかけにもなり、改善のヒントになります。自分の得意・不得意を理解できます。人が失敗したときに共感できます。

失敗は嫌なものですし、避けたいものですが、効用もあります。物事が上手くいっていないことで、これまでを振り返るきっかけが生まれます。逆に、上手くいっているときは自分を振り返る必要性を感じずに、後々に大問題に至る可能性があります。振り返りは、どんな時でも大事なことではありますね。

また、失敗することで自分の適性を知ることもできます。人が生きていくうえで、自分を正確に認識する、というのはとても大事なことです。過大評価も、過小評価もよろしくありません。自分に対して過大評価をすると、分不相応な課題を自己に課してしまい、消耗する結果となります。過小評価をすると、自分ができることしかしないことが、結果的に自己の成長に対する機会損失となります。自分の現在の実力から見てちょっと難しいことを課題に選ぶと、自分が成長しやすいと言われています。

そして、私が重視しているのは、失敗することによって、人としての懐が大きくなる、ということです。他人が失敗したときの悔しい気持ちを理解できますし、そのような人にアドバイスを求められたときに、自分なりに助言できます。後々自分が他人を指導する立場に立った時、失敗の経験が豊富にあると、よりよい指導ができると思います。私は、優れた懐の大きい人はたくさんの失敗を経験し、その結果として成長した人なのではないかと思っています。

2019年10月23日 全てに向き合う必要はない。自分の全てに向き合う必要はないと思います。ネガティブな点を無意識的に見てしまいますが。下手なことは、気にせず努力したら少しづつ上手になります。現状では超えれない壁もありますが、努力を積み重ねて、気が付いたら乗り越えていた、ということもあります。

理屈で考えると、自分のいろいろな面を改善していくことが良いように思われますが、必ずしもそうでもないということを考えようと思います。「改善」という言葉は、ある問題があってそれを解決する、という一対一対応的な構造があります。もちろん、そのような改善も可能なのですが、そういう枠組みだけで説明できない成長というのも、あるのではないかと考えています。

例えば、自転車に乗れるようになるということは、意識的に足をこう動かして、とか考えて乗れるようになるわけではないこと、自転車に乗る練習をする、と意識することは確かに必要ですが、その実際においては繰り返しの練習によって体が、無意識が自転車に乗ることを覚えるのではないかと思います。

まだできない、というネガティブな面を意識してしまうと、その意識が体を緊張させ、無意識を抑制してしまうのではないかと思います。だから、できないこと、不得意なことを練習するときには、上手くできるかどうかではなく、やること自体を目標にしたら良いのではないかと思います。さらには、苦手なことを練習しなければならないときは、①それをやらなければならない環境に入る、②それをやったら楽しいという環境に入る、③それを他の人と楽しんでやる、などの方法があると思います。

2019年10月23日 失敗の原因が自分にあるとは限らない。失敗には三要素があると思います。①自分 ②相手 ③環境・局面 だから、何でも自分に原因があるわけではない。強いて言うなら、②と③を読めれば不要な失敗は防げるかも。日頃からの努力で、成功できる②と③を引き寄せれるかもですね。

自責思考・他責思考とよく言われますが、自責思考に囚われすぎるのもよろしくないのではないかと思います。冷静に問題を眺めてみると、失敗の原因は①自分、②相手、③環境・局面にあるのでしょう。このうち、②相手を変えることは難しいので、①自分を変えるか、③環境・局面を変えるか、ということになります。自分が努力して変わって、成功したならばそれはそれで至極結構なことですが、③環境・局面が問題になることもあると思います。環境を自分の目標のために少しづつ整えていくことも大事ですし、今まさに動くべき局面が来ることを想定して、日頃から準備しておくことも大事ですね。


⑩環境・局面

2019年10月23日 環境や局面を読むというのは、とても難しいこと。とりあえずは、環境を変えてみれば?というのは、ツイッターで多くの方がおっしゃる通りですね。私から見たら、ツイッターで多くの方のつぶやきに学ぶところが多く、それだけでも環境が変わったように思います

私は実践していくために考えるべき問題として、環境と局面を重視します。より包括的に言うならば、①時代背景②環境③局面となります。昨今、世界が大きく変化していて、その趨勢はこれからも変わらないでしょう。そのような、大きな社会的変化の過渡期に生きている、ということが自分が存在している①時代の背景です。そして、それにキャッチアップするために認識します(❶大局観)。ところが、個人それぞれが現にいる場は局所的であり、時代背景がストレートに現れているわけではありません。その局所が環境です。その環境における実践の方針が戦略であると考えます(❷戦略)。最後に、その環境において個々の局面があります。戦略は自分が存在する環境における大枠の行動方針を与えますが、個々の局面においては①その時の自分の力量、②周囲の協力・反対、③その他の制限が存在します。そのため、個々の局面に適合した方針を考える必要があります(❸戦術)。①時代背景、②環境、③局面は相互に影響を及ぼします。②環境は、数年単位で眺めていると①時代背景の影響を受けます。職場では、近年取り組まれている働き方改革の影響を受けていますね。そんな中で、保守的で変化を拒んでいるかに見えた環境において、実践するチャンスが訪れることもあります(③局面)。

現在の自分の環境に立ち向かうのもいいですが、手っ取り早く環境を変えてしまうことも可能ですね。ただ、未知の環境に身を投じるのは大きな労力を必要とし、またストレスも大きいので、もしチャレンジをされるならば自身の精神的・肉体的状況を勘案して決断した方がいいと思います。

近年のIT技術の発達、SNSの普及により、①時代背景と②環境の境界が薄くなってきています。自分の環境において実践する際には、時代背景を認識すること、これからどういう方向に社会が進んでいこうとしているのかを自分なりに見つめながら、その進展の波に乗ることを意識してみたらいいのではないかと考えています。

Twitterで日々発信し、他の方の発信を参考にすることでも、確実に②環境は変わります。難しい環境のなかで日々生活されている方に届くエールのような発信をしたいな、と思います。

2019年10月24日 読書と行動をつなぐもの。本には普遍妥当的なことが書いてあります。本の内容を具体的な行動に結びつけることは難しい。人は、いろんな環境や局面にいるから。ツイッターでは、いろんな方がいろんな方へ向けて助言を発信されています。いろんな本といろんな行動を結び付ける可能性を感じます

読書が有用であることは間違いないと思いますが、問題はそれをどう日々の実践に活かすかにあります。とてもためになることが書いてあっても、それを日々の生活に活かせないようであれば、読書の意義は少ないでしょう。そのため、いろいろな方がその本をどう読んだか、どう日々の生活に活かしたかの報告が貴重になります。その本に書いてある内容よりも、その本を読んだ人がどう行動したかが重要であるような気がします。Twitterやブログで本について発信している方もおられますので、参考になります。

逆に言うと、ある本を読んでこう思った、こう実践した、ということを発信することがとてつもない価値を持つように思うのです。Twitterやブログで読書の感想を発信する意義はここにあると思います。


おわりに

自分でも、過去のツイートを振り返って、改めて気づいたことがありました。これらのツイートが、読者の皆様の気づきのきっかけになれば、幸甚です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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