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『光る君へ』はどうしてディスられないのか?

大河ドラマ『光る君へ』、凄い人気ですね。noteでも実に多くの人の投稿が見られる。昨年の『どうする?家康』の時はネット上でやいのやいのディスられていたのとは雲泥の差だ。家康について史実に沿っていないという意見が特に多かった気がする。しかし、まてよ?今年の大河も史実をかなり無視しているように思えるのだけれど…。


紫式部のキャラが違い過ぎる

清少納言は陽気、紫式部は陰気、というのが多くの人が持っているイメージだと思うが、陰気とまではいかなくても紫式部はかなり引っ込み思案な暗いキャラだったようだ。宮仕えも始めたがいいが、対人恐怖から半年も引きこもって無断欠勤しちゃうような奴だった。それが結婚して子どもも生んだ後のことだから結婚前の若い時期は更に引きこもり度が高かったんじゃないかと思われる。『紫式部日記』を読むと、最初は臆していた彼女も女房としての務めを続けていくうちに責任感が芽生え、言いたいことも言えるようになっていったようだ。

古今東西、ものを書く人は内向的な人が多い。noterさんの中にも人前で話すの苦手…という方は多いんじゃないだろうか。それゆえ、まひろが摂政に父親のことを直談判したり、愛する男と対等に渡り合ったり、庶民に字を教えたり、代筆の内職をする…というエピソードがどれもこれも外れている気がしてならない。

私がテレビに向かってそんなことをぼやいていると、隣にいる夫が
「だって、暗いキャラだったら話が進まないし面白くないじゃないか」
と言った。ま、そういうことなんだろう。

道長との関係、年齢について

紫式部が道長の愛人だったんじゃないか?という説は最早定番となっているが、このドラマでは幼い頃から知り合っている、いわば運命の人のように描かれている。紫式部の年齢に関しては諸説あるのだが、道長や妻の倫子それから清少納言よりも十歳ほど年下とも言われている。定子と彰子の年齢差も十歳ほど違うので清少納言と紫式部の年齢差もそれくらいあってもおかしくない。はっきりとした記録がないので、年齢に関しては何とも言えないが、身分の違いから元からの知り合いとするのはいささか無理がある気がする。

道長と紫式部はいわば雇い主と使用人の関係であり、道長は時の権力者なので愛人関係になることは十分あり得ると思うが、権力を得たあとに自分の部下の中から妻よりも年の若い女とねんごろになる…というほうが自然な感じがする。

女性たちの名前について

本筋から外れるが、登場人物の女性の名前がちょっと気になる。実はその時代の女性の名前の読み方について、これもはっきりと示した資料はないらしい。しかし我々は古典の授業でその当時の女性の名前を音読みで読むよう習ってきている。

例えば道長の妻は倫子(りんし)、兄嫁は貴子(きし)、姪は定子(ていし)となっている。
これが大河ドラマではそれぞれ倫子(ともこ)、貴子(たかこ)、定子(さだこ)と訓読みになっていて、現代人からすると非常にわかりやすく親しみやすい。
一方で、道長の姉は栓子(せんし)、妾は明子(めいし)、娘は彰子(しょうし)なのだが、訓読みにするとすべて(あきこ)になってしまう。これって混乱しないかしら?と余計な心配をしてしまう。

人物の描き方と演出について

では『光る君へ』が嫌いなのかと問われれば、否、結構面白い。史実と異なるんじゃないかと思いながらも楽しめてしまう。
『どうする?家康』は史実云々よりも登場人物の描き方が薄っぺらくて魅力が感じられなかった。個人的にはムロツヨシさんは秀吉がはまり役だと思う。だけど…あの演出はいただけない。もっと違う脚本・演出のムロ秀吉を見てみたい。他の人物もやっぱり薄くて学芸会を見ているようだった。

対して『光る君へ』のほうは、それぞれの人物が生まれついて背負ってきたものを感じさせられる。吉高由里子さんのまひろや柄本佑さんの道長も勿論いいけど、私は段田安則さんの兼家や井浦新さんの道隆、あとロバート秋山さんの実資などがいい味出してるなと思う。

ザッツエンターテイメント!

これまでの大河ドラマでも特に女性が主人公になっているものほど、これ作ったな?と思われるエピソードが結構ある。なんで処刑される前の千利休と江姫が会うことができるのか?みたいに歴史的瞬間に何故かいるはずのない?主人公がひょっこり登場していたことが何度あったことか(笑)

『八重の桜』や『花燃ゆ』はあんまり面白くなかったが『女城主直虎』なんかは結構面白かった。あれも作った感満載でどこまで本当なんだろう?と疑問が生じながらも人物やストーリーの作りこみが上手くて最後まで楽しんで見てしまった。

『光る君へ』でも先に述べてように人物の描き方が深いのと、視聴者を引き込みやすいストーリーの組み方をしている。まひろの母が道長の兄、道兼に殺される…などはかなり思い切った演出だけど、そのためにロミオとジュリエットのような劇的効果を上げている。軽業師の直秀も一種のダークヒーローとして物語に深みを出していた。

なので、吉高由里子さんの紫式部は紫式部らしくはないけれど、この先どういう展開になるのかな?と視聴者がわくわくさせられてしまう。歴史ドラマって本来ストーリーがあらかじめ決まっているようなものだけど、この時代のストーリー(歴史)は知られていないがゆえに、先が読めない楽しさを味わうことができる。

私は好きではないけれど、家康などは国民的英雄だから多くの人がたくさんの情報を既に知っている。そんな人物をドラマで描くのはもともとハードルが高かったんじゃないだろうか。先が読めない楽しさ、それにやはり脚本や演出の妙もあるのだろう。


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