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5時間後には学校にいる

今夜、大好きなバンドが復活した。


バンドの復活自体ももちろん嬉しいが、私の近況も相俟って非常に救われたニュースだった。そんな私の近況をだらだらと書いていく。


秋学期がはじまり3週間経った。

ここ最近なんだか学校に居づらい。

大学3年にもなって、新1年生のようなぼんやりとした不安を抱く10月の初め。

大学の最寄駅に着くとそのぼんやりとした不安が頭痛や倦怠感となって現れる。

授業を受けても、別の教室への移動中も、自分が大学に馴染めているかどうか不安になるのだ。

大学に馴染めているかというより、「20歳の大学3年生」に見えているかという不安。

私は現在22歳で今年23歳になる。
今の大学には二浪して入学した。本来なら、というより現役で入学しストレートで卒業したら社会人1年目の年である。

今年の8月までは、入学当初から仲がいい友達1人だけにしか私の実年齢を打ち開けていなかった。今年の8月までは。

大学3年になりゼミが始まった。浪人中から志してた学問のゼミに無事に受かり、新しい友人もできたり充実した春学期だった。

9月の頭にゼミ合宿が企画された。合宿の実施に伴いそれぞれ飛行機や新幹線のチケット手配や、ドンキホーテでみんなで花火を買ったりみんなで合宿に向けて和気藹々と準備を進めていた。

合宿まで2週間前となった日、グループLINEが動いた。

「ゼミ合宿に向けて大学の旅行保険に入らなきゃいけないのでみんな、フルネームと、生年月日教えてください🌟」

生年月日


まさかのグループラインで私の生年月日を告白する事態が生じてしまった。
もちろん、ゼミの友人たちには私の生年月日、22歳だということを教えていない。

ひた隠しにしていた事実、頑なに学生証を見せなかったあの時や、ゼミのあの子二個上のお姉ちゃんいるって言ってたけど同い年だわ…などと頭の中でぐるぐる駆け巡る。

ぐるぐる駆け巡っている中、私以外が生年月日をぽんぽん送る。

2002年 1月○日
2001年 8月○日
2001年 10月○
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2000年代しかいないという当たり前の事実が可視化され怖気付く。ここで1999という数字を召喚するのは本当に勇気がいる。そもそも999が3つも並んでいるの衝撃すぎる。せめて早生まれだったら多少なり誤魔化せたのに…と突如母親を恨み始める親不孝者。
「1000年代とかうちのお母さんと一緒じゃん!」とか言われたらどうしようと考えても無駄なことをひたすら考えていたが、

「1999年 ✖︎月○日
実は二浪してました!!」

意を決して送った。

この時のラインに遡るのが怖くて、このメッセージにリアクションがあったかどうかも確認できない。
でも特にレスポンスはないまま保険の申請が完了したというメッセージが入った。

その数日後、コロナの感染拡大により合宿は中止になった。

年齢を公表したものの、誰からもいじられず触れられないという大火傷を負っただけのゼミ合宿だった。


このことがあってから、私は秋学期からのゼミに、出席するたび気まずくストレスに感じるようになり、学校自体が億劫になってしまっている。
みんなに嘘をついてた、騙してたと思われてるのだろうか。22歳とは思えないほどの落ち着きのなさや忘れ物の多さ、子どもっぽさに引いてそうだなと考えてたらどんどん自信を無くしていった。

やりたかった勉強や、取りたかった授業を受けても、なにしても不安な気持ちになってしまう。

思ったよりも二浪というコンプレックスは深く、自分にとって年齢は人と人を遠ざけてしまう要因なんだなと思った。

どうしたらいいか分からず下北沢をぶらぶら歩いてみたり、マックに居座ってみたりしてもぼんやりとした不安が常に横にいる。

明日もきっとそのぼんやりとした不安と一緒に登校し、下校するんだろうなと思った夜。

大好きなバンドが活動休止から復活するニュースが目に入ってきた。 

思わず弟に電話をかけて、興奮状態でツアーに応募した。うるさいと言われた早々に電話を切られた。

復活するのかGalileo Galilei。浪人期間常に寄り添ってくれた曲の数々、背中を押してくれるというよりのんびりずっとそばにいてくれる。たくさんの愛を届けてくれる。

私のこのぼんやりとした不安はすぐには消えないだろう。でも、また彼らが寄り添ってくれるなら朝起きて学校に行ける。

5時間後には学校にいる。


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