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ep2:朝のまかないそばと海が見える美容室|連載小説「ここは、海辺のドライブインライトハウス」

note創作大賞2023、お仕事小説部門応募作品です。
単体でも読めますが、連載作品なので続けて読んだ方が話はわかりやすいです。前回のお話はこちらから。




ドライブインライトハウスのシフトは基本的に3パターンで組まれている。開店の8時前から午後まで、お昼から夜手前まで、夕方あたりから閉店の23時まで。私は大体夜手前までの時間で出勤することが多く、今日は開店時間に合わせた出勤だ。


朝7時30分、今日の天気は曇り。
晴天時の目が覚めるような青い海こそないが、うっすらと青みを帯びていて透明度は遜色ないようにも思える。


開店前の店はいつもより静かで、まだ人の少ない海を独占して見ることができるから好きだ。簡単に掃除を終わらせ、お客さんを迎えるためのテーブルセットをし空いた時間で仕込みを手伝う。これが朝の営業前のルーティンだ。




「宮森さん、朝ご飯ってもう食べた?準備も大体終わったし、もし食べてないならアレ出せるよ」


朝の仕込み作業が落ち着いたころ、ホールの準備をしていた私へ林さんがカウンター越しに声をかける。


「食べます!うれしいなあ。林さんの作るおそば大好きなんですよ」


「テーブルに座って待ってな」
林さんはニッと口角を上げて一人前のそばを手に取り茹だった鍋へと入れた。

余裕のある朝番の時にたまに食べられる林さんが作るあたたかいおそば。この仕事を初めてまだ数ヶ月だが、すでに大好物となるくらいお気に入りのメニューとなった。


関東の人が思い浮かべるであろうそば粉で作られた麺を醤油ベースのおつゆにつけて食べるものではない。この地でいうそばは、豚やカツオで出汁をとったスープに、小麦粉で作られた麺、上には紅生姜、ねぎ、豚の3枚肉などがのせられたもののことを指す。


朝、昼、晩と食べられていて、その証拠に朝早くから営業しているお店や、飲み会の後に立ち寄れるような遅くまでやっている専門店が数多くある。長くこの地で愛される郷土料理だ。


今は開店前なので、いつもお客さんが座るテーブル席に腰をかけて待つ。

「はい、どうぞ」


テーブルにそばが置かれると、ふわっと出汁のいいにおいが顔の前を漂い、鼻腔をくすぐる。お出汁のにおいってどうしてこんなに心が落ち着くんだろう。肺いっぱいに吸い込めばおなかがぐう、と鳴ったような気がした。


「ありがとうございます。いただきます」

澄んだスープをレンゲにすくい、まずはひとくち口に含む。朝の起きたての体にもやさしい出汁の効いたスープは、飲むと五臓六腑に染み渡っていくのがわかる。口に入れて、咀嚼して、あたたかいものが体の中を通っていく。


ラーメンのスープは飲み干したいと思ったことはないが、このそばのスープならごくごく飲める。


コシのある縮れ麺はスープによく絡み、合間に食べる醤油ベースで味付けされた甘辛いお肉は食欲を増進させ、紅生姜も良いアクセントになっている。気がつけばあっという間に完食だ。冷房で冷えかけていた体もじんわりと温まり、お腹も程よく満たされる。


頻繁には食べれないけど、たまに食べるここのそばはこの地に越してきて一番好きな料理となった。




「林さんごちそうさまです。朝の体に染み渡るおそばはやっぱり最高。すごくおいしかったです」


「俺の料理をこんなに褒めてくれるのなんて宮森さんくらいだよ」
肩を竦めて林さんは笑う。

もうそろそろ時間ですね、と片付けを済まし開店を待つ。空は依然曇ったままだ。



青空が出る晴れの日に比べて、曇りの日は海も彩度を失い、人出はそこまで見込めないことが多い。だけど私は曇りの日の海も好きだった。


海と空との境界線が曖昧になり世界がグレーになる。ここにいるのにいないような、夢の中に入り込んだような気持ちにさせられる。時折心をざわざわとさせるけど、反対に頭の中は静かになっていくから不思議だ。



そういえば初めてここに来た日もこんな曇りの日だった。


もう何かを考えるのがとにかく面倒で、何も考えたくなくて、どこでもいいからどこか遠くへ行ってしまいたかった。なのに何かを決断するのも行動するのもひどく億劫で、その反対に今すぐにでもこの場所から逃げたい衝動に駆られていた。


そんなときに見出したたったひとつの願望。願望という言葉を使うのは少々綺麗すぎる気がする。単純にその選択肢を取らなければ生活を持続させるのは難しいだろうと悟ったのだ。

見たことのない景色に囲まれて、知らない街で埋れるように生きたい。


それならば、まだ当分の間は生きていけるかもしれない。


そんな理由で、縁もゆかりもないこの場所に辿り着いた。


求人サイトで見つけた海のそばの観光地のドライブイン。期間限定リゾートバイト募集の求人。自分が住んでいた東京から約4時間半かけて着いたこの場所での生活は、思っていたより快適だった。


東京にいた頃はいつもどこか後ろめたくて、少し息がしづらくて、あの頃を思えば随分と力が抜けたように思える。

ここに来てもう3ヶ月が経った。







モーニングとランチタイムが過ぎ、天気が悪く元々穏やかだった人の波が落ちついたあたりで上がりの時間になった。夏の繁忙期とはいえ、こうやって穏やかな日もあるのだ。



今日はこの後予定があるので、ドライブインを出た後帰路につかずそのまま海沿いの道路を歩く。


海沿いには木々が植えられ、大きな道路を車が止むことなく走り抜けていく。日が出ていないからか、肌に触れる風がいつもより温度が低いように感じる。


立ちっぱなしの仕事で疲弊した体は気を抜くと今すぐにでも座り込みたいくらいに重く、気だるさを引きずるように歩いた。いつもは好ましい匂いだと感じている潮の匂いもこんな日は少し重ったるく感じてしまう。


道路沿いを歩くことおよそ15分。海側に向かう横道を入って少し歩けば、見えるのは白壁に水色屋根の一軒のお店。目的地に到着だ。



「こんにちはー」


ドアを開けると、貝殻とシーグラスで飾られたウインドチャイムのカランカランという音が耳に心地よく響く。


「いらっしゃい。お仕事おつかれさまね」

日が当たった時の稲穂のような薄茶の髪は、前髪ごとハーフアップでおだんごにされていて、腰には仕事道具が入ったウエストポーチが巻かれている。


「あやこさんもお疲れさまです。今日はよろしくお願いします」


あやこさんはこの場所で夫婦ふたりで美容室を営んでいる美容師だ。洋平さんから同世代の知り合いなんだと紹介され、何度か一緒にご飯を食べに行ったことがある。


こっちに来てから美容室に一度も行けてなくて、今日はあやこさんに髪の毛を切ってもらう約束で訪れたのだ。

「洋平さんから聞いてはいたけど本当に海が見えるんだ」


思わず動作を止めて窓からの景色をじっと見入ってしまう。


店内は決して広くなく、設備も最低限、入れるのはせいぜい2組までだろう。だけどこの店の注目すべきところはそこではない。カット台の奥に備えられた横に広い窓の向こうには、海が広がっている。


先ほどまで分厚くかかっていた曇り空からは薄日が差しはじめていた。


「ね、いいでしょう。ここで仕事してるといつでも海が目に入って、その度に綺麗だなあって未だに思うよ」

同じ方向を見つめて、まるで好きな人を見つめる時のようにあやこさんの目元は優しく細められる。


彼女もまたこの地の海に魅せられた人のひとりなんだろう。


「よし、今日はどんな感じにしたい?」


胸まで伸びた髪を指で触りながら鏡に映る自分の姿を見つめた。


「なんかずっとタイミングを逃して、というか美容室になかなか行けてなくて、ずっと伸ばしっぱなしだったんです。だから思い切って肩につかないくらいのボブにしたいかも」

 
「いいね。まだ暑いし首元さっぱりさせて軽くしちゃおう」

はじめにシャンプーからねと言われてシャンプー台へ移動し、終わると濡れた髪の毛で再びカット台に戻ってきた。


ザク、シャシャシャと小気味のいいリズムで髪の毛はどんどん整えられ床に落とされていく。だんだんと身軽になっていくようで気分がいい。


美容室に来るとこちらが暇にならないように気遣ってか延々と喋り続ける美容師もいるが、自分はあまりそのような接客は好きではなかった。


その点あやこさんは切るときは集中しているのか喋らないことが多く、合間を見つけてはポツポツと喋りかけてくる。そのテンポは私にとっても居心地がよかった。


「月乃ちゃんはこっちに来て何ヶ月経つんだっけ?」

「大体3ヶ月くらい経ちましたねー」


「そっかそっか。もうそんなに経つかあ。こっちでの生活はどう、慣れた?」

 
「なんとか慣れてきました。最初来たときは上手くやっていけるのか半信半疑だったけど、周りの人たちのおかげもあって今ではすっかりここでの暮らしも気に入ってます」


あやこさんはこの地で生まれ育ったらしい。高校を卒業して美容専門学校卒業した後、一時は市内の方で働いたこともあるらしいが、この場所に戻り働くことを選んだそうだ。


「あやこさんは一回外に出てまたここに戻ってきたんですよね。ここのどんなところを気に入っているんですか?」

地元に戻って来た人に対して気に入っているかどうかなんて聞くのは愚問だと思いつつも、目の前のこの人が何を思いこの場所に立っているのかが気になった。

「市内で働いてた時はそれなりに忙しくしてたし、いろんな人と関わって賑やかで刺激があったよ。お店に来るお客さんも常連さんばかりじゃなくて新しくきてくれる人もたくさんいたしね」

「ただ今日が来てまたすぐ明日が来て、時間の流れを意識することなく過ごしていることに気がついてね。流れに身を任せて日々を過ごすのはある意味楽だし、そんな難しく考えなくてもこの生き方を続けていくのも今はいいのかもなあと思ったんだけど、ちょっと立ち止まりたくなって一旦地元に戻ることにしたんだ」

周りの同世代には私よりもっと深刻なことで悩んだり、生き方に迷ったりしてる人がいるのもわかってたからこそ、贅沢な悩みだなあなんて思ったこともあるんだけどね、とあやこさんは困ったように笑う。


「戻って来たらあとはこの通り。海の目の前で顔を知っている人たち相手に仕事をするのがまあ楽しくって。若い頃は派手な人生に憧れたりもしたけど、私に合ってたのは思い入れのある慣れた場所で地に足つけて、第2の家を設けることだったみたい」


「お店は第2の家かあ、すっごくいい。そうだったんですね。なんか、地に足つけてっていうのはちょっとわかるかも。私も昔は色々踠いてそれこそが正義だと思っていたけど、なんか歳を重ねたら自分の居場所がほしいなあって思ったりもするんですよ」


何かまだ言いたげで、でも言葉にできない私に、一呼吸置いてあやこさんは、ね、難しいよね。生きるのって結局は自分で全部決めなきゃいけないんだから。たくさん悩んで迷っていいのよと自分にも言い聞かせるかのように優しく囁いた。




あやこさんの手によって肩につかないくらいまで切りそろえられた髪の毛は、気持ちまでもをどこか軽くした。お店を出ると辺りは少しうす暗くなっていて、慣れない夜道を歩くのは未だに少し心細い気持ちになる。

風が吹くたびにさらさらの毛先が頰をかすめるのが妙にくすぐったい。

歩き始めてもあやこさんと話したことが頭の中に留まっていて離れなくて、なんだかまっすぐ帰る気になれなくて。通り道のスーパーに寄って夜ご飯を買っていくことにした。








この地に移り住んでからの住まいはドライブインライトハウスの寮だ。職場までは歩いて10分、従業員用に借り入れてる寮は2階建のアパートで私の部屋は2階にある。

「地に足をつけて、か……」

そんな生き方とは縁遠い生活を送ってきた。いや、気持ちだけはいつだってそこを目指していたのだ。その目的地には到底辿り着けなかっただけで。

部屋の窓を開けて柵に頬杖をつき、真っ黒に染まった夜の海を眺める。月明かりがないとあるのは暗闇だけだ。この地に来てから海がより一層好きになったが、夜の海はやはり別物のように思えてほんの少し怖ささえ覚える。

帰り道に買って開けた炭酸飲料の残りを手にとって飲むと、もうとっくに炭酸は抜けていて、気の抜けた砂糖水のような味がした。





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続きの第3話はこちらから読めます。



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