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たぐりよせる

研究室に入ると、そこは静寂に包まれている。自分が発した音が、その周りの空気を揺らし、耳に伝わる過程の一つ一つが全く阻害されることがない。

「良い音楽は沈黙からしか生まれない」

中学の音楽の先生は、猿山のような私のクラスにその言葉を投げかけ、静寂を確保していたことを思い出した。音があることと同じくらい、ないことも重要なのだ。

この空間では自然とイヤホンをはずしたくなる。武装を解除し、丸腰でパソコンに向かうのが、正しい姿勢のように思われるし、何よりついては消えるローソクの火のような朧げな集中力をたぐりよせるにはそれが相応しいように思えた。

深く集中する、だけではない。その深く潜った先で、意識を拡散させることによってものごとの適切なつながりが見えてくる。新しく繋げるわけではなく、以前から当然そこにあったはずの物事を再発見しているだけにしかすぎない。

私は本を読む。それも小説を読む。それは私が持つ数少ない純粋に好きな行為である。本を読むこと以外に長く、まるで潜水のような集中力を自発的に引き出すことができるのは、ほかに写真撮影と文章を書くことくらいのものだ。しかし後の二つには場所的な制約があったり、社会からの抑圧のようなものが必要になる。いつでもその深い地点に辿り着けるのは、小説を読む時くらいだ。

そうして、集中力をたぐりよせる方法を思い出す。研究室に来ればそれを使って、書かなければいけないことを書いていく。まるで小説を読むように、そこにある出来事を、そこに当然存在していなければならない物事について記述するのである。















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