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連載『アラビア語RTA』#2

エジプト留学中の冬休み、1ヶ月間全くやることがなかった。この機会を使って、アラビア語の勉強をすることにした。雨の降り頻る冬のアレクサンドリアにて未知の言語にこれまで得てきた知識を使って立ち向かい、そして敗れた1ヶ月間の記録。

#1はこちら


2022年12月26日

日付を書いていて気が付いたのだが、昨日はクリスマスだったようだ。街はクリスマス一色、というわけでもなくとことどころクリスマス用品が売られているだけでありあまり日常とは変化がない。私にとってもそれは同じだった。

前日に3軒のカフェとアフワをハシゴした私は、2杯のコーヒーと紅茶を飲んだせいで全く眠れなかった。カフェインが苦手なのだ。ベッドの中でみょうに冴える頭は、将来のことについて考え続けていた。私はそもそも映像人類学という分野を専門にしようと思っていた。しかし一向に動画を撮り始める気配がない。それどころか人類学的な本でさえ、最近は読んでない。アラビア語の勉強をしているのはいいことだけどそれでさえアルファベットレベルであるし勉強にもあまり集中できていない。これはいけない。何かを変えなければ、と思ったが具体的には動き出せず朝を迎える。

今日の授業では前日の残りのアルファベットと簡単な挨拶を学んだ。ある程度アルファベットがわかってくると単語がどんな文字によって構成されているのかが、前日よりほんの少しわかる。発音も、文字と一対一対応しているので覚えさえすればとりあえず単語を声に出して読むことができる。

ただ、それがわかったからといってすぐに正しく発音できるわけではない。頭でわかっても口が全くついてこないのだ。加えてアルファベットを全て覚えているわけでもないのでただ挨拶のフレーズを読むだけでも時間がかかる。

授業時間は一日2時間のため、できるだけ多くのことを学ばなければならない。しかし先生には先生の「教えたいこと」や「教えたい順番」があるためなかなか自分の思うように進まない。教え方は丁寧で素晴らしいのだけど、なんだか核心に迫っていないような感覚に襲われる。

例えば、挨拶やアルファベットはどう考えても必要だ。そのため不満はない。ただその次に覚えるように言われた、教室にあるものの名称を覚えてくるという課題にはいささか疑問がのこる。教室にあるものの単語を使う機会は教室にしかない。私は今現在、直接的に困っているのだ。

例えば、アフワで紅茶を頼むとき「ワヘド・シェーイ」しか言うことができない。直訳すると、「1、茶」である。

それに加えて今私は紅茶しか頼めない。コーヒーにあたる単語もトルココーヒーもミルクもジュースもわからない。砂糖はYesかNoしか言えないので向こうから何か質問された時にそれを伝えることしかできない。そうするとものすごく甘い紅茶か、はたまた全く甘くない紅茶しか手に入らない。だったらだったら今回の授業で教わるべきは正しい注文の仕方なのではないか。

明日は注文の仕方を教わろうと思った。

***
放課後、私は迷いに迷った。と言うのも、睡眠不足の状態で自習しても睡眠導入になるだけで全く意味がないし、かといって変な時間に寝てしまうと今後の生活に影響する。考えた結果散歩をすることにした。実は今日大学の友人と待ち合わせを午後6時にしていた。待ち合わせ場所は家から約7キロあるため歩いていけば待ち合わせ時間前には到着できると思った。

私は海岸線をひたすら歩いた。一見単調に見えるこの道も歩いていると、さまざまな様子が見てとれる。アレクサンドリアに来てから三日経っているがずっと同じエリアに滞在していた。そのため、最初の数キロは見たことある景色だったが徐々に変化していった。具体的にはより高級で高層なマンションが目立ち始め、一階にはスタバすらあった。いわゆるアッパーミドルクラス以上向けの住宅街が立ち並んでいた。海岸にも賑やかなレストランが並んでおり、ポツリポツリと空き地と店を繰り返していた前のエリアとは異なっていた。

アレクサンドリは広大な都市であり、その内部に多様なあり方があるということが実感としてひしひしと伝わってきた。見慣れたエリアを一歩抜けると全く違った表情を見ることができる。

高級なエリアを抜けると再びお店と空き地が交互に現れ、やがて空き地が増えていく。海岸にポツリと一軒小さな屋台があった。宇宙船のようなデザインの湯沸かし器と紅茶とコーヒーが置いてあった。移動式のアフワとでも言ったところだろうか。私は若干の疲労感を解消するため、砂糖とカフェインを求めていた。


海沿いの宇宙船のようなデザインの湯沸かし器がある屋台と猫

「ワヘド・シェーイ」
相変わらず、3歳児のような注文をする。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
正直何を言ってるかはわからなかったが、きっと砂糖のことだろうと思い。
「アイオワ(アラビア語エジプト方言でYes)」
と答えた。

そうすると砂糖がたっぷり致死量はいった激甘の紅茶が出てきた。これはありがたい。前日ローカルなアフワで買った紅茶が一杯8ギニー(当時35円程度)だったのでとりあえず、10ギニー札を手渡した。すると5ギニー返ってきた。つまりこの甘くて美味しい紅茶はたったの5ギニーだということになる。テンション上がったのと、外国人である自分に対して不当に高い値段を請求しなかったお店の人に好感を持った。

もっとアラビア語が話せたらこのおじさんとも仲良くなれたのかなと思うと少し勉強への意欲が湧いた。

結局待ち合わせ場所までは徒歩で3時間かかった。海岸の近くにあるカフェでシーシャを吸って勉強しながら待ち合わせ時間まで待とうと思っていたので適当な店に入った。その店は海のよく見える店、と言うよりは海岸に建てられた小屋という趣で風が気持ちよかった。

シーシャと水を注文したが、シーシャのフレーバーを選ぶほどの語学力は私にはなかった。

店員:シーシャ、〇〇、〇〇、〇〇、〇〇
私:??????
店員:シーシャ、〇〇、〇〇、〇〇、〇〇
私:(かろうじて聞き取れた単語)〇〇
店員:ああ!了解!

何が何だかわからなかったが、とにかく了解してくれたのよしとしよう。何はともあれシーシャをぷかぷかやりながら勉強していた。アルファベットの書き方とその発音を中心に授業の復習をした。

シーシャはものの数分で煙が出なくなったが、炭の追加がわからなかったのと、思いのほか勉強に集中できていたので特にやらなかった。ふと外を見ると陽が傾いていた。

待ち合わせの時間が迫っていたので、店を後にし会計をした。思ったより全然高かった。シーシャが75ギニー、水が5ギニー、あとは謎に10ギニー追加されていたので聞いてみた。

「これ、何」
すると向こうは、
「ティケット、ティケット」とアラビア語訛りで繰り返した。どうやら場所代らしい。シーシャも相場より若干高価だったような気がしたが、1時間も滞在して400円程度だったので文句は言えない。言えないのだが、どうしてもアラビア語が理解できないため自分が騙されているような気になってしまう。普段外国人だからという理由で多くお金を取られていると疑心暗鬼になってしまうのだ。

儲かったからなのか店の親父はやけに上機嫌だった。

待ち合わせ場所は海岸ではなく街に一歩入ったところだった。足を踏み入れた途端雰囲気の違いを感じた。まず、露店にあるものの値段は全てアラビア語で表記されていた。外国人である私に声をかける客引きはいるにはいたが、大抵がターゲットを地元の人たちに絞っているようだった。同じアレクサンドリアでもここまで雰囲気が違うのかと驚いた。

200円の偽グッチ

そもそもアレクサンドリアは海側と陸側で建物の様子が異なる。それに伴って街も、陸に行けば行くほど露店が多くなるなどいくつかの特徴が見てとれる。海側にはショウウィンドウがあるような高級価格帯の店が多い。

しばらく歩いたのち、友人と合流した。その人は同世代の女性にしては背が高く、髪はくるくるのロングで、顔にはあどけなさを残していた。

合流した直後から、あからさまに街の人々の視線が増えた。エジプト人とアジア人の組み合わせが珍しいのだろうか。視線だけでなく実際に声をかけてくるような人もいた。それだけならまだしも叫んでくる人も中にはいた。もちろん彼らに悪意がないのはわかっている。レアなポケモンを見つけたとでも思っているのだろう。

私たちは近くのコシャリ屋さんに入った。コシャリというのはエジプトの国民食で、豆とパスタと米とフライドオニオンの上にトマトソースがかかってる料理のことである。炭水化物の王のような食事をエジプト人たちは毎日のようにしている。

エジプト人に美味しいコシャリ屋さんを聞くと皆自分なりの答えを持っている。博多で一番美味しい明太子を聞くようなものだ。

席に着くと店員から

「ハビービ!」(My Friend!のような意味)

と言われた。やれやれ、店員もこのテンションなのかとうんざりしているとドリンクをサービスしてくれた。誇張でもなんでもなく、緑の絵の具を溶かした水のような色をしていた。小学校の図工の時間を思い出した。

サービスでもらったレモンジュース
コシャリ。トマトソースは自分でかけて食べる。

食べ物や飲み物をくれた人は無条件で善人であるという信条を持つ私は彼らに深く感謝した。

「コシャリよく食べるの?」友人に聞いた。
「食べるよ。実はこの後も母が作ったコシャリを食べるんだ〜」
「本当に?コシャリの後にコシャリ?飽きないの?」
「それが味が全然違うんだよ。母が作るコシャリはそれはそれで美味しいんだ〜」
「食べてみたいな〜」私はなんとなくつぶやいた。すると、
「お母さんにもらえるように言ってみるね!」と電話し始めた。

普段なら私は「いいよいいよ申し訳ないし!」などと言ってなかったことにするが、友人の反応速度が早すぎて取り消す隙がなかった。

「容器に入れて持ってきてくれるってよ〜!」
「え、まじか。ありがとう!」

なんと私は、コシャリ屋さんでコシャリを待ちながら、別のコシャリをもらう約束をしたのだった。こんな経験人生で一度だろうと思う。

コシャリは基本的に爆速で提供される。皿に盛るだけだからだ。

「コシャリ美味しいね!」私が言うと、
「まあまあだな。悪くはない。」と友人は言った。

「これでまあまあなんだね」
「う〜ん。美味しんだけどね。好きなコシャリは別にあるんだ。あ、そういえば!」
友人はカバンをごそごそ漁ってポテトチップスを取り出した。
「コシャリはこれと一緒に食べると美味しいんだよ。」
地元の人はポテトチップスとコシャリを一緒に食べるらしい。さらに炭水化物が追加され、私は圧倒された。

コシャリを食べていると、窓の外から子どもたちがこちらをみていた。ふと視線が合うと、窓をバンバン叩き始めた。

「お金ちょうだい!」
「お金ちょうだい!」
「お金ちょうだい!」

聞き取れなかったが、後で友人が教えてくれた。友人は、

「どっか行きなさい!」

と一喝していた。それでも子どもたちはやめようとはしなかった。店の奥から店員さんが出てきて追い払ってくれた。

私は物乞いに対して一つの基準を設けていた。それはその人が裸足で薄汚れた服装をしていれば手持ちの食べ物が余っていればあげるというものだった。また明らかに身体的に不自由な人などにもそうしていた。それ以外にはあげないことにしている。

価値観として、外国人は金持ちで、金持ちは人にそれをかけるのは当然といった意識をがあるようだ。そのため外国人を見ると容赦なくぼったくろうとしてくるし、お金をもらおうとしてくる。

だから基本的には現金はあげないことにしている。外国人に頼めばお金がもらえると言った間違った認識を与えてはいけないと思っているからだ。

このような話をすると友人は、

「子どもにはお金をあげない方がいいよ。」
「どうして」
「お金をせびる人の多くは、本当はお金に困っているわけではないからだよ。本当にお金がない人はひっそりと物乞いをしているの。彼らにもプライドがあるからね。子どもの場合、もらったお金は大抵タバコのようにあまり良くないものを買うのに使うことが多いの。だって両親はタバコを買う用のお金はくれないでしょ」

心底納得してしまった。それと共にエジプト社会への理解度がほんの少しだけ高まった気がする。

それでも、あげないのは前提だけど、と前置きして友人は言った。

「あまりにしつこい時は、人払いの意味を込めて1ギニーくらいなら渡すかな」

とも言っていた。合理的である。

コシャリを食べ終わると、デザートを食べに行こうと提案された。もちろん行くことにした。店に行く途中も、何度も何度も叫ばれ、茶化され、もう散々だった。冬のアレクサンドリアの風はどこまでも冷たく、私はもう帰りたくなっていた。友人は寒い中コーラを飲んでいた。

店に着くと20分くらい待てばできると言われた。正確には友人が注文を全部済ましてくれたので、私は横で突っ立てってるだけでよかった。

2人でしばらく店の外で待っていると、10歳くらいの女の子二人組が話しかけてきた。一人は蛍光ピンクにラメで文字が入ったTシャツを着た、少し肉付きの良い子どもで、もう一人は灰色のTシャツの女の子で、もう一人の子の影に隠れていた。

2人の子どもは何やらアラビア語で友人に話しかけている。私は全く聞き取れなかったが、唯一、「صينى」という単語だけ聞き取れてしまった。中国人という意味である。エジプトの路上(主に都市)を歩いているとノイローゼになるほどこの単語を言われ、中には馬鹿にしてくる人もいる。どうやら私の国籍が気になっているようだ。しかし友人は教えなかった。

興味が移ったのか今度は私の髪が長いことを不思議に思っているようだった。面白がってもいるようで、ピンクのTシャツの女の子に髪を引っ張られた。私はびっくりしてその場から動けなかった。

すると、灰色のTシャツを着た方の女の子が、友人にコーラをねだり始めた。友人は飲みかけだけど、と前置きをしてあげていた。

次の瞬間、ピンクのTシャツの女の子が、灰色のTシャツの女の子からコーラをひったくって道端に投げ捨てた。コーラの缶は放物線を描き、内容物を吐き出しながら側溝へ落ちていった。

そして仕切りに、「チャイナ、チャイナ」と私をみて言ってきた。まあ良くあることだけど気分は良くない。そして、「コロナ」とも言われた。

どうやら、コーラは欲しかったけどコロナが移るからいらないということだったらしい。友人は頑なに目の前であったことを翻訳してくれなかったから、本当は何が行われていたのかはわからない。しかし限られた状況から類推するとそうゆうことになる。

私は、投げられたコーラの缶が落ちていく様を生涯忘れることはないと思う。

補足しておくと、彼女たちは悪くない。私は旅行者としてツーリスティックなところだけにいればよかったのだ。彼女たちの生活圏を先に侵害したのは私の方だし、そもそもこの場所は外国人が寄り付いていいような場所ではなかったのだ。生活に踏み込むにはまだ覚悟が足りていなかったのだ。

疲れ果たした私は、デザートを食べると友人の家に寄ってコシャリをもらった後、家路についた。道端で道端で子どもが火遊びしていた。燃える段ボールの炎が、街灯のほとんどない街並みを照らしていた。







編集後記
私は単語暗記不要論者ではない。むしろその逆の立場をとっている。単語は分かればわかるほど言語を学ぶ上で全てがスムーズになると考えている。例えばおでん屋さんで、「白くて、ふわふわした、四角だったり三角だったりするおでんにたまに入っている食べ物ください」と注文するより「はんぺんください」と言った方が圧倒的にわかりやすいし伝わりやすい。

教室の単語もゆくゆくは覚えなければならないと思うし、実際大学に戻った後に、正則アラビア語とアラビア語エジプト方言の両方で覚えたりもした。ただこの時はお昼ご飯を買うのに苦労したり、伝わらなくて大変な思いをしていたためこんな不満を書いたのだと思う。

今思えば、そんなに必要なら自分で調べてあっているかどうかを先生に確認して貰えばよかったのだ。このような受動的な姿勢が、アラビア語を学習する上で妨げになったのだと考えられる。冒頭にも書いた通り、寝不足であり判断力が落ちていたのだろうか。いや何か他にも原因があるだろう。

***
語学に対する姿勢として、私とはかなり異なった人を紹介する。留学中に語学力を伸ばしたいと思っているなら、彼女が本当に参考になると思う。留学という機会を彼女ほど活かしていた人間を私は他に知らない。

まず、彼女はアラビア語の授業のオフィスアワーやチューター制度を使いまくっていた。どれほどかと言うと、オフィスアワーが10枠あるとして9枠は彼女が使っていた。ある機会を最大限に活用してアラビア語の学習をしていたといえる。

また、現地の友人をたくさん作っていた。まず、陸上クラブに所属しそこでエジプト人の友人を作り、さらに陸上の大会で知り合ったエジプト人の男性と交際していた。「濃い顔が好き」と言っていた彼女にとってアラビア語を学ばない理由はないのだろう。

イベントにも積極的に参加していた。私はそれに巻き込まれる形でよさこいを踊ることになった。それはそれで楽しかったが、ここから引き出せるのは何にも積極的に参加する姿勢である。

帰国してからも、エジプトで作った友人と積極的にZoomなどを使って会話し時にアラビア語を教えてもらっているようだ。何が彼女をそこまで突き動かすのかはいささか不明だが、その行動力に脱帽。

彼女は「椅子に座って」アラビア語を勉強している時間が少ないのだと思う。実際に街に出て、友人を作り、話す中から学習している。そんな姿勢が語学には欠かせないのかもしれない。留学していて機会があるなら、難しいしハードルが高いのは重々承知だが、まずは学校の制度をいかに使えるのかを考え、それと同時にいかに現地語を話す友人を作るかが鍵だと思う。



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