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【歴史その5】「境界を生きた女たち」にも歴史がある

ジェンダーバイアスにご注意!

 前回の記事では、記録を残さなかった「男」の歴史を取り上げました。今回は、境界を生きた「女」たちにフォーカスしてみたいと思います。
 
 ところで、これまでの記事に登場した人物たちは、ハーヴィー、セネカ、ダーウィン、シュヴァルツ、ピナゴと全員が驚くことに男性です。
 
 もちろん、著者に、女性は歴史上あまり重要ではなかったというような考えがあるわけではありません。しかし、なんとなく興味の赴くままに歴史を取り上げてきた結果としてこの偏りです。
 
 女性蔑視は許されるものではありませんが、「自然と」このように歴史を語っていることも同じくらい危険です。とはいえ、歴史は常に何らかの視点から語られるので、バイアスのない歴史はありません。それゆえに、各々が議論に開かれていることが大切になります。
 
 著者のジェンダーバイアスも歴史的に位置付けることができるかもしれません。なぜなら20世紀の半ばまで、歴史(History)は、男性の男性による男性のための物語(His-Story)でした。今でも、歴史の教科書に登場する人物は男性ばかりです。
 
 そのような潮流に対して、1960年代以降、女性史の研究が盛んとなりました。そのような研究から、男性中心的とされてきた過去の社会において、力強く生き抜いた女性たちの姿が浮かび上がってきました。
 
 そう、「境界を生きた女たち」には、歴史があるのです。

ナタリー・ゼーモン・デーヴィスの対話

 「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」とは、イギリスの歴史学者E.H.カーの『歴史とは何か』に出てくる名言で、歴史学者の言葉としては最も知られたものかもしれません。

 歴史とは現在と過去との対話であると多くの歴史学者が思っているかもしれませんが、文字通り対話で始まる歴史学の本はあまりないと思います。

 そんななか、ナタリー・ゼーモン・デーヴィスの『境界を生きた女たち』は、著者である歴史学者のデーヴィスと彼女がその人生を描いた17世紀の3人の女性たちとの架空の対話で始まります。3人の女性というのは、ユダヤ商人のグリックル、修道女受肉のマリと博物画家メーリアンです。彼女たちは、各々違う境遇にあったにも関わらず、なぜ同じ本に一緒に描かれるのかと不満をデーヴィスに訴えます。デーヴィスは、その不満に対して、平民の出身である彼女たちに宗教やジェンダーがどのような作用していたのかを知りたかったと説明し、もう一度読んでもらいたいと嘆願します。

 それでは、17世紀を生き抜いた3人の女性の一生を見てみましょう。

ユダヤ商人のグリックル

 ユダヤ商人のグリックルは、1646年の末ないし1647年にドイツのハンブルグにユダヤ教徒のコミュニティの名士である家庭に生まれました。

 私たちが彼女について知ることができるのは、彼女が自伝を残したからです。当時のヨーロッパは、キリスト教社会で、ユダヤ人たちは彼らのコミュニティを形成し、居留異邦人的な立場で生活していました。

 グリックルは、早くに同じユダヤ商人であった男性と結婚し子供たちを授かります。しかし、1689年に夫が亡くなり、寡婦として商売を切り盛りすることになります。最終的には、フランスのメッスの裕福な金融業を営む男性と再婚し、その地で生涯を閉じました。

修道女受肉のマリ

 修道女受肉のマリは、1599年にフランスのトゥールに生まれました。彼女は17歳のときに、絹製造業者の男性と結婚し、息子を授かりました。しかし、彼女も、19歳のときに夫と死別し、寡婦になりました。

 そして、1631年に、幼い息子を残して、ウルスラ会の女子修道院に入りました。さらに、1639年には、フランスの植民地であったカナダのケベックに北米初の女子修道院を立ち上げるメンバーの一人になりました。そこでは、現地のネイティブ・アメリカンの女性たちの改宗に努めました。

 今日、私たちが彼女の人生を知ることができるのは、彼女がケベックから聖職者となった息子に送った備忘録と書簡を息子が出版したからです。

博物画家メーリアン

 博物画家メーリアンは、1647年、ドイツのフランクフルト・アム・マインに画家である父の娘として誕生しました。父を3歳の時に亡くしますが、母の再婚相手であった画家から手ほどきを受けて、美的才能を磨いていきました。1665年に、同じく画家であった男性と結婚し、娘が誕生します。

 しかし、その後、夫は別れることになります。彼女がその美的才能を発揮したのは、昆虫の写生画でした。そのために彼女は、オランダの植民地であった南米のスリナムまで娘と旅立ちました。そこで、様々な昆虫の生態を観察し、1705年に、『スリナム産昆虫の変態』を出版しました。

女性として生きるとは

 このような三者三様の人生を描き出しデーヴィスは、いかに宗教が彼女たちの人生に深く影響していたか、またジェンダー規範がどのように作用していたのかを結論として述べています。

 まず、宗教については、当時の人々とって、それは生きることと不可分なことでした。その結果、ユダヤ教、カトリック・キリスト教、プロテスタント・キリスト教とそれぞれの人生に深く刻み込まれていました。グリックルの場合は、家族や夫などユダヤ教徒のコミュニティで生活しました。受肉のマリは、カトリックの修道院に入り、新大陸へと布教しました。一見、宗教色の弱い博物画家メーリアンにとっても、30代、40代にプロテスタントの急進的なグループに加わっていました。そしてなにより、彼女が描いた昆虫を含め自然の中に神の恩寵を見出しました。

 次に、ジェンダー規範についてですが、3人とも早くに夫と離別するという共通点がありました。そのことが、彼女たちがそれぞれの専門的な経験を活かすきっかけとなりました(グリックルは商売、受肉のマリは布教、メーリアンは画業)。とはいえ、妊娠や育児は彼女たちにとって、大きなライフイベントでした。彼女たちは、子供たちに愛情を注ぎ、立派に育て上げました。

 もちろん、彼女たちの行動は、男性中心な社会を変革するようなものではありませんでしたが、そのような中、境界/辺境にありながら、新たな道を各々が切り開いていきました。

女性の視点から歴史を問い直す

 残念なことに、グリックル、受肉のマリとメーリアンは歴史の教科書には登場しません。

 その代わりに、商人であれば、メディチ家やフッガー家が取り上げられています。また、宣教師としては、日本でも有名なイエズス会のザビエルなどがいます。そして、博物学については、リンネやビュフォンが先駆者として登場します。

 彼らは、まさに中心を生きた男性たちとして、教科書に出てきます。

 しかし、デーヴィスが描き出したような3人の女性の人生を通じて17世紀ヨーロッパを見ると、また違った側面が見えてきます。女性史は、それまでの歴史に足りなかった部分を補うという点もありますが、何よりも歴史の再考を促します。

<参考文献>

ナタリー・ゼーモン・デーヴィス(2001)『境界を生きた女たち』長谷川まゆ帆・北原恵・坂本宏訳、平凡社

姫岡とし子(2020)「ジェンダーの視点からみたヨーロッパ近代の時代区分」『思想』no. 1149, pp. 73-90

Rose, Sonya O. (2010) What is Gender History? Polity Press.

<次回予告(12月14日公開):「困った人々を助けたい」にも歴史がある>

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