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【歴史その6】「困った人々を助けたい」にも歴史がある

悲しいニュースを目にしたとき

 最近は、ウクライナ戦争やパレスチナ情勢などで、破壊された建物や肉親を失って悲しむ市民の映像を見る機会が増えてきました。日本という安全な場所にいることをありがいと思う一方で、たまたまその地域に生まれたという理由だけで苦しみを味わう人々に何かができないかとも思います。

 戦争だけでなく、飢餓や貧困など苦しんでいる人々が、世界には溢れています。

 そんな人々を助けたいと思い、NGOなどで働いている人々もいます。そこまでできずとも、募金など何らかのかたちで支援をしたことがある人はいるでしょう。

 なぜ普段は関わりもない人々を助けたいと思うのでしょうか?

 キリスト教、仏教やイスラム教などに基づく貧民に対する施しは、古くから世界的にみられる行動です。とはいえ、世俗化された現代においても、チャリティ、慈善事業や人道主義というかたちで多くの困った人々を助けようとする活動が行われています。

 同じ人間が苦しんでいることに同情する気持ちは普遍的かもしれません。しかし、どういった人間に対して、どのように同情し、どう支援しようとするかは、歴史的に変化してきました。

 そう、「困った人々を助けたい」には、歴史があるのです。

まずは共感するところから

 困った人々を助けたいという気持ちは、困っている人々の苦しみをあたかも自分のことであるかのように共感するところから始まります。

 しかし、そもそもなぜ縁もゆかりもない人々の苦しみに共感できるのでしょうか?

 その共感能力自体も歴史的なものなのです。

 18世紀のヨーロッパにおいて、人々の苦しみや死を、特に彼らの身体に焦点を当て、詳細に記述した「人道主義的物語」が語られるようになりました。
 具体的には、写実小説、検屍報告、臨床報告や社会調査などです。それらは、詳細な描写で、苦しむ身体を描き、読者の共感を呼び起こしました。

 さらに重要だったのは、それらの苦しみが人為的に生み出されていることを糾弾したことでした。例えば、イギリスの議会での報告書は、炭鉱労働で危険な業務に従事していた子供たちや女性たちが、経営者の利益を最大化するための犠牲になっていると訴えました。そして、その苦痛を軽減させることは可能なばかりか、道徳的な責務だとしました。

 人道主義の歴史を考える時、多くの人が、並外れた道徳心を持った人々(例えばナイチンゲールのような人)によって、人道支援が誕生したと思いがちです。もちろんそういった人々の素晴らしさは否定できませんが、むしろ困っている人々の身体的な苦しみの描写の仕方が変わったことが人々の共感を促し、人道主義的な活動を呼び起こしたというのは、とても示唆に富んだ歴史の説明の仕方です。

善意、帝国と文明化の使命

 人々が他者の苦しみに共感する歴史的な過程について、見てきました。その共感を経た後に、実際にその人々を救おうとします。

 そのような人々の善意ある行動も、歴史的な状況と無関係ではありませんでした。

 そのことは、特に、ヨーロッパ諸国が植民地の人々を対象に行ったチャリティに顕著です。16世紀以降、ヨーロッパの国々は、アメリカ大陸を始めとして植民地を拡大し、帝国を築いていきました。特に、イギリスは、19世紀までに、カナダ、オーストラリアやインドなどを支配下に治め、巨大な帝国となりました。

 そんなイギリスでは、植民地の人々に向けたチャリティが多く行われました。例えば、医療や教育などです。そんな中には、1837年に設立されたアボリジニ保護協会という団体もありました。この団体は、オーストラリアの先住民に限らず、イギリス領になった国々の先住民たちを植民地支配に伴う搾取から保護することを目的に活動しました。とはいえ、最終的な目標とされたのは、原住民たちがイギリス帝国の恩恵を受け、文明化されることでした。

 このように、助けるという行為には、権力的なアンバランスがつきものです。苦しみから救うことには、あるべき「幸福な状態」が想定されています。そして、その状態は往々にして、支援者が決めています。

国際的な人道支援組織の誕生

 帝国主義と結びついた人道支援は、20世紀に入り、二度にわたる世界大戦を経た後の脱植民地化により、発展途上国の開発へとシフトしていきました。

 そのような時代背景のなか、今日でも活動する国際的な人道支援組織が誕生しました。例えば、セーブ・ザ・チルドレン(1919年設立)、オックスファム(1942年設立)やクリスチャン・エイド(1964年設立)などです。それらの団体は、国連などの新たな国際機関とも連携しながら、一時的な人道支援から恒久的な課題解決を目的としてアフリカなどの途上国開発に携わりました。

 原始的な苦しんでいる人を助けたいという気持ちは、このような歴史的な展開を経て、巨大な組織を生み出しました。もちろん、このような歴史的な経緯を経ている以上、国際的な人道支援組織と帝国主義的な思想は無縁ではありません。つまり、途上国を支援することは、「文明的な」先進国の関与を正当化するものでした。

人道主義の歴史を語ることと人道支援のために行動すること

 困っている人々を助けたいという気持ちや行動の背景にある歴史的な状況を見ることで、人道主義の歴史をやや批判的に見てきました。歴史的に考えるとは、当然と思われていること(このケースでは、他者の苦しみを憐れみ助けること)を一旦かっこに入れて、その歴史性に注目することでした。

 一方で、実際に苦しんでいる人々を救うために日夜懸命に働いている人々がいます。彼らや彼女たちの思いや行動を歴史化することにどんな意味があるのでしょうか?

 もちろん、英雄的に語られがちな歴史を複雑化することができるかもしれません。しかし、安全なところで資料を紐解きながら歴史を批判的に語る歴史学者は、誰かを救うことができるのでしょうか?

 そんなことは、歴史学者の役割ではないと言えばそれまでかもしれません。さらに、何かの目的のために歴史を語ることは、とても大きな危険性を孕んでいます。

 それでもなお、何のために歴史学者は歴史を語るのか、と問わずにはいられません。何のための歴史的思考なのか。この問いは、今後も残り続けます。

<参考文献>

金澤周作(2021)『チャリティの帝国:もうひとつのイギリス近現代史』岩波書店

トマス・W・ラカー(2015)「身体・細部描写・人道主義的物語」リン・ハント編『文化の新しい歴史学』筒井清忠訳、岩波書店

Hilton, Matthew (2018) “Charity and the End of Empire: British Non-Governmental Organizations, Africa, and International Development in the 1960s.” The American Historical Review, Volume 123, Issue 2, pp. 493-517.

<次回予告(2月24日公開):「『犬死』がネコでもウマでもなくイヌである」にも歴史がある>

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