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【歴史その1】「学校で歴史を学ぶ」にも歴史がある

歴史がないものがこの世界にあるだろうか(いや、ない!)

 歴史と聞くと、何を思い浮かべますか?

 王様や将軍、戦争、革命、大恐慌、封建制などなど。「過去の偉人や重要な出来事の集まり」で自分には関係ないことと思いがちです。

 しかし、歴史を「これまでの経緯や引き継がれてきたこと」と緩やかに定義してみるとどうでしょう。自分にも歴史はありますし、自分の親など家族の歴史もあります。今日向かう会社やこれまで通った学校にも歴史はあります。

 そう考えると、歴史のないものはありません。身近なものから壮大なものまで、すべてはこれまでの歴史のうえに存在しています。

 この連載コラムでは、そんなものごとの歴史性を一緒に考えていきたいと思います。

「なぜ歴史を学ぶのか」の本音のところ

 あなたは、「なぜ歴史を学ぶのか」と聞かれたら、どう答えますか?

 「現代を理解するためには歴史の知識が不可欠だから」や「歴史から多くの教訓を得るため」など、歴史学の入門書や大学の史学科のホームページを見ると、そんなことが書いてあります。

 でも、こっそり正直のところを聞いてみたら、ほとんどの人は、「学校で歴史という教科があって、教科書の内容を理解して、テストで良い点数を取るため」と答えるのではないでしょうか。

 なんだか身も蓋もない話になってしまいましたが、ここでひとつ立ち止まって、このことを歴史的に考えてみましょう。

 というのも、「学校で歴史という教科があって、教科書の内容を理解して、テストで良い点数を取るため」に歴史を学ぶということは、普遍的でも不変的でもないからです。

 なぜなら、義務教育を行う学校という制度やそれに付随する教科書やテストは、歴史上ずっと存在していた訳ではなく、ある時代に誕生し、様々な経緯を経て、現在に引き継がれているものだからです。

 そう、「学校で歴史を学ぶ」には、歴史があるのです。

そもそもなぜ学校で歴史が教えられることになったのだろう

 さて、歴史が学校で教えられるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか?

 日本において、それは、明治時代からのことでした。1872年(明治5年)に、政府によって、近代的な教育制度である学制が始められた時、日本歴史書と西洋歴史書を学ぶ史学輪講という科目が設けられました。

 最初は、教科書というものはなく、それぞれすでに出版されていた歴史書を資料として使っていました。しかし、そのような状況を早急に改めるため、文部省は、『史略』(明治5年刊)、『日本略史』(明治8年刊)と『万国史略』(明治7年刊)を編纂し、出版しました。このように、日本の歴史教育は、明治時代に始まりました。

 では、なぜ明治時代に始まったのでしょうか?

 その理由は、当時の教科書の内容から垣間見ることができます。まず、現在の歴史教科書と違い、当時の教科書では、日本史は、天照大神などが登場する神代、つまり神話から始まり、歴代の天皇を中心とした歴史となっています。

 また、取り上げられる人物たちも、天皇に対しての忠臣たちとなっています。つまり、天皇制を中心とした近代的な国民国家を形成するために、歴史教育が行われるようになったということです。

 このような近代的な国民国家の形成と歴史教育誕生の関係は、偶然ではなく、19世紀において、世界的にも多くみられます。例えば、ドイツ(1871年に統一された)においても、ナショナル・アイデンティティーを育てるために、歴史教育が活用されました。

 また、アメリカ合衆国では、1852年に、初めて義務教育法がマサチューセッツ州で制定され、『子どものためのアメリカ史』(1833年刊)が歴史教科書として出版されました。このような世界史的な文脈に、日本の歴史教育の始まりを位置付けることができます。

学校も教科書もテストもない時代に歴史を学ぶ

 なるほど、歴史が学校で教えられることになった歴史的な背景が見えてきました。

 一方で、学校も教科書もテストもなかった時代、人々は歴史を学ぶことはなかったのでしょうか。

 もちろん、そんなことはありません。

 その具体例として、ここで、ガブリエル・ハーヴィーという16世紀から17世紀にかけてイギリスで活躍した知識人の歴史との向き合い方を見てみましょう。

 ハーヴィーは、1550年にエセックス州のサフロン・ワルデンという所で生まれ、その後、ケンブリッジ大学に学び、1630年に亡くなるまで、詩人としても活躍した知識人でした。

 そんな彼がどのように歴史と向き合っていたのかを、後世の私たちは知ることができます。なぜなら、彼が所蔵していた歴史書には、彼による詳細な手書きの注釈がついているからです。その歴史書のひとつが、古代ローマ時代の歴史家リウィウスによる『ローマ建国史』です。

 では、ハーヴィーは、何の目的で、どのようにこの歴史書を読んだのでしょうか?

 今、社会人が歴史を学び直す理由として、「教養を身につける」とか「興味があって楽しみのため」などの理由がありますが、ハーヴィーが歴史を学んだのは、それらと違い、実社会に役立てるという明確なゴールがあってのことでした。つまり、当時の政治家や軍人たちに適切なアドバイスを送るためでした。

 このことは、ハーヴィーがどのように『ローマ建国史』を読んだのかとも関わってきます。本への注釈には、ハーヴィーが、当時の有力な軍人であったトーマス・スミス卿のグループと『ローマ建国史』に登場する古代ローマ期の将軍たちの戦術のあり方について、議論を繰り広げたという記録が残っています。

 また、若き宮廷人であったフィリップ・シドニーとも、この本について政治的な観点から吟味を行ったことと、その直後に、シドニーが神聖ローマ皇帝ルドルフ2世のもとへ外交官として派遣されたことが書き残されています。

 このように、ハーヴィーにとって、歴史を学ぶことは、政治や軍事といった実社会に直接応用できる事柄を、そういった立場にある人々と協働で導き出すためでした。

歴史的に考えるとは

 ここまで、なぜ学校で歴史を学ぶようになったのか、そして、そういう時代ではなかった頃において歴史を学ぶ一例として、ハーヴィーの歴史への向き合い方を見てきました。

 ここで伝えたいのは、学校でテストのために歴史を学ぶことが間違っていて、ハーヴィーのように歴史を役立てるために学ぶのが、正しいということではありません。

 大切なのは、歴史を学ぶ理由は、歴史的に見て、社会レベルでも個人レベルでも、一様ではないということです。

 ただ、そのことに気づくためには、私たちは、歴史を意識的に振り返る必要があります。

 歴史的に考えることは、イマ・ココから一歩離れて、視野を広げるきっかけになります。

 それによって、人生が劇的に変わるということはないと思いますが、無意識的に「あたりまえ」と思っていることが唯一の見方ではないと感じることで、人生が少し豊かになるかもしれません。

<参考文献>

海後宗臣(1969)『歴史教育の歴史』東京大学出版会

近藤孝弘編(2020)『歴史教育の比較史』名古屋大学出版会

前川一郎編(2023)『歴史学入門』昭和堂

南塚信吾・小谷汪之編著(2019)『歴史的に考えるとはどういうことか』ミネルヴァ書房

Jardine, Lisa and Anthony Grafton (1990) “‘Studied for action’: How Gabriel Harvey read his Livy.” Past & Present, Volume 129, Issue 1: pp. 30–78.

<次回予告(11月16日公開):「カンカンに怒る」にも歴史がある>

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