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月刊 俳句ゑひ 葉月号〈増刊号・言葉の解説〉

ゑひ[酔]のホームページ及びnoteで発表した、月刊俳句ゑひ 葉月(8月)号の俳句の言葉解説記事です。各作品に分けて順に説明していきます。

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『境界』(作:上原温泉)の言葉

水底みなそこ

水たまりや水辺などで、その水の下にある地面の部分のこと。水の底。日常では使わない言葉だと思いますが、俳句の中だとけっこう出てくる印象があります。

ましらざけ 〈季語〉

秋の季語。ましらとは猿のこと。猿酒さるざけともいいます。木のうろなどに猿が隠した食料が発酵してできた酒のことを言います。そんなことある? って思いますよね。事実としてあるかどうかは私にもわかりませんが、ないとも言い切れない、童話的な非現実感を楽しめる季語です。

夏炉なつろ 〈季語〉

冷え込みに対応するために、夏にも焚いてあるのこと。寒い地方や標高の高い地域で見られます。炉そのものに注目した季語でありつつも、その地域の風習や、寒い地域に来ているという臨場感・旅情感を伝えてくれる季語です。四字熟語に夏炉冬扇かろとうせんというものがありますが、こちらは季節がズレていることから、役に立たないもののたとえ。季語としての夏炉には活躍の場所がありますから、意味が異なります。

熱中症ねっちゅうしょう

暑い時期には熱中症にならないよう細心の注意を払わないといけません。実は歳時記の中には、「熱中症」を季語として収録していないものもあります。仲間の季語「熱射病」「日射病」「霍乱かくらん」などは割に市民権を得ています。医学的にはどれも意味が微妙に違うようです。

いつものうに 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「いつものように」とそのまま解釈します。

夏果なつはて 〈季語〉

夏の終わりという意味。夏が終わってしまうという感慨を表します。夏の終わりを表す季語には、「夏惜しむ」「秋近し」などがありますが、それらと比べると、「夏果て」は夏の終わりをもっとも冷静に捉えている感じがします(筆者の感想です)。

きにけり 〈文語体〉

現代日本語にすると、「轢いてしまった」という意味。

なんじ

「あなた」の硬い=文語的表現。同じ字を書いて「なれ」と読むこともあるほか、「爾」と書いて「なんじ」と読むこともあります。漢文の読み下しなどでよく見られます。三国志の世界で、愛人虞姫ぐき虞美人ぐびじん)とともに項羽こううが敵軍に囲まれた際、「や虞やなんじ如何いかんせん」=虞よ、あなたをもうどうすることもできないと嘆いた場面などで出てくるのを、印象的に覚えている方もいるかも知れません。

かろき 〈文語体〉

現代日本語にすると、「軽い」という意味。

生身魂いきみたま 〈季語〉

お盆に、年長者を「生きている魂」と捉えて敬う風習、およびその対象である人物のこと。お盆には亡くなった方の魂を供養するのが基本ですが、目上の人をもてなし、彼らの生命力を讃えるという風習があり、これを生身魂と言います。なお、季語として使うときは、もてなされる人物に焦点が当たることが多く、健康で元気な長老のような人物を想起させる先行句もたくさんあります。

西瓜すいか 〈季語〉

季節感があるので、西瓜が季語だろうな~、と思っていらっしゃる方は少なくないと思いますが、ではいつの季語だと思いますか? 正解は夏……ではなく秋。旬が立秋よりも後の8月頃であるため、初秋の季語として扱われます。夏らしい風景と取り合わせるときには注意が必要です(まあ夏の季語か秋の季語かが問題になることはあまり多くはないのですが……)。

ボタン

読みにくいため取り上げました。句の中では洋服のボタンのことを指しています。どうやら、洋服の「ボタン」と、押しボタンの「ボタン」は、日本語での由来が違うらしい。前者はポルトガル語 "botão" から、後者は英語の "button" からだそうです。

大崎おおさき

ここでは東京都品川区の一地区、大崎駅周辺を指していると思われます。周囲には1990年代頃まで工場が立ち並んでいましたが、以降再開発が進み、現在は見上げんばかりの高層ビル街となっています。山手線の停車駅・ターミナル駅ですが存在感が薄く、それを自虐した公式キャラクターが存在するらしいです。

秋思しゅうし 〈季語〉

別コーナー「ゑひの歳時記」で取り上げます。詳しくご紹介しますので、是非そちらをお読みください。

たたまれしもの 〈文語体〉

現代日本語にすると、「畳まれたもの」という意味。これ以上でもこれ以下でもないので、どんなものかはわかりませんが、句の中の雰囲気的に、筆者は「おみくじ」みたいなものを想像しました。

あきこえ 〈季語〉

別コーナー「ゑひの歳時記」で取り上げます。詳しくご紹介しますので、是非そちらをお読みください。

夕顔ゆうがお 〈季語〉

秋の季語。夕顔の実は干瓢かんぴょうの材料になります。「夕顔」だと花のことになり、夏の季語。2つの季語の関係から季節の移ろいが感じられますね。

からぽ 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「空っぽ」とそのまま解釈します。

鳩吹はとふき 〈季語〉

鳩の鳴き真似をすること。詳しい方法はわかりませんが、両手を笛のように使って、鳩の鳴き声のような音を出すのだそうです。遊びの一環であるとも、鳩狩りのためのおとりとしての技であるとも言われますが、どちらにせよ習得が必要なものであることは確かです。

椋鳥むくどり 〈季語〉

日本には年中いる鳥(留鳥)。雀より大きく、茶色の羽と顔周りの白、黄色いくちばしが特徴です。大群をなし、ギュルギュルとやかましく鳴き交わします。一帯に群れがやって来て羽を休めようものなら……車や屋根が悲惨なことになるのは言うまでもありません。ヨーロッパにも近縁種が存在していて、空が暗くなるほどの大群を作ることで知られています。

花野はなの 〈季語〉

秋の季語。いわゆる花畑のことではなく、秋に咲くいろいろな花、中でも草に咲く花が自然に群生しているような風景を指します。ワレモコウ(次項)・リンドウなどの淡い花が多く、寂しげな情感を伴います。

われもう 〈季語〉

ワレモコウという植物があり、その花を指します。見た目は写真をご確認ください。漢字では「吾亦紅」という表記が多用されますが、これは「わたしもまた紅い」という意味を持っています。この語感も好まれており、一定の季語としての人気があります。

たびのうらが 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。「うらがは」については、この表記でふりがなの通り読み、「裏側」とそのまま解釈します。では旅の裏側とは何でしょうか? 一人の旅の地味でうらぶれた感じを表しているとも、計画(表側)から外れた旅の一面を表しているとも、自由に想像して良いと思います。

からて 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「絡まって」とそのまま解釈します。

となて 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「輪となって」とそのまま解釈します。

かお

「顔」と同じ意味ですが、「風貌」の「貌」でもあり、「かたち・ありさま・ようす」のようなイメージも想起させます。

めくら滅法めっぽう

でたらめにことをすることやそのさま。やみくもなこと。句の中では、イノシシが場をめちゃめちゃにしていくようなイメージが浮かぶでしょうか。

『無題5』(作:若洲至)の言葉

冷房車れいぼうしゃ 〈季語〉

冷房機能の付いている電車(・客車)やバスのこと。句の中では鉄道車両だと思われます。電車もバスも、現代では冷房のない車両はほぼありませんが、あるのが珍しかった時代も長くありましたね。

あふれてたる 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「溢れている」と解釈します。

夏惜なつおしむ 〈季語〉

夏が終わってしまうことを残念に思う心情。「~惜しむ」という季語はもともと「春惜しむ」「秋惜しむ」のみで、穏やかな季節の終わりというのが、「惜しむ」の元々の意味でした。しかし、現代に近づくに連れ、休暇の期間が設定されるなど、夏を楽しむ習慣が一般化し、その終わりを悲しむ心情も季語として共通理解がなされるようになりました。

掘割ほりわり

道路や鉄道路線が、周囲の面よりも少し低いところを通っているような構造のこと。できるだけ高低差をなくすために作られたり、人と車両の動線を分けたりするために作られることが多いです。

立秋りっしゅう 〈季語〉

暦の上で、秋の始まりとなる日のこと。8月の上旬にあり、2023年は8月8日、二十四節気の1つでもあります。新暦ではまだまだ暑い時期ですが、これ以降の暑さのことを残暑といい、ここ以降の暑気見舞いは「暑中見舞い」から「残暑見舞い」にするのが通例です。

おもば 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「思ったら」と解釈します(文語では「思ったので」と解釈できますが、この場合は仮定の意味で捉えるのが自然です)。

かおりけり 〈文語体〉

現代日本語にすると、「香っている」という意味。

ととの 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「整え」とそのまま解釈します。

星祭ほしまつり 〈季語〉

七夕のこと。陰暦(旧暦)の7月7日の行事で、現代では新暦7月7日、新暦8月7日に行うところが多いですが、旧暦を素直に現代の暦に直せば、8月の上旬から中旬頃になるため、秋の季語となります。

草市くさいち 〈季語〉

お盆の行事に必要なものを売る市のこと。京都市内に立つ市が有名で、飾りとして用いる切り枝や花などを扱ったことから、草市と呼ばれていると考えられます。市は7月12日(旧暦か新暦かは地域によるよう)に立つと言います。

流灯会りゅうとうえ 〈季語〉

7月16日、盂蘭盆会うらぼんえの行事の最終日の夕方に、この世で迎えた精霊(魂)をあの世に還すために、多数の灯籠を川や海に流す灯籠流しの儀式のこと。

なつめ 〈季語〉

果物の名前。林檎によく似たかたちと食感を持つ緑色のものと、乾燥させて菓子にする赤色のものがあります。大陸では広く食用になってきましたが、日本(本土)で食べる文化は限定的のようです。筆者は台湾を訪れた際に生食しましたが、林檎より味がちょっと薄く、食感は固くボソボソした感じでした。これがナツメ全般に言えることなのか、そうでないのかはよくわかりません。生薬としての利用もあるそうで、健康に良いことは確かなようです。

秋祭あきまつり 〈季語〉

秋に行われる祭礼のことを指します。単に「祭」といえば夏祭りのことで、大いに盛り上がるようなイメージがありますが、秋の祭はより土着の行事という感じが強くなり、地元の寺社で地域の安寧を願い、一年の収穫を喜ぶような規模感を想像することが多いです。

あき 〈季語〉

上と同じで夏の季語+秋でできた季語です。夏の蚊と秋の蚊の違いはどう捉えたらいいでしょうか。俳句の世界の共通認識は、夏の蚊に比べて弱々しく、所在なげにゆらゆらと飛ぶ、というものです。とはいえ最近の秋は半分くらい暑いですからね。このイメージを持てるのは晩秋になってからでしょうか。

あたらしきまち 〈文語体〉

現代日本語にすると、そのまま「新しい街」という意味。句の中での意味は複数考えられそうです。1つは、引っ越してきたなどの理由で、作者自身にとって新しい街であるという意味、もう1つは、新しく開発された街、新興住宅地やニュータウンであるという意味。どちらで解釈してもいいと思います。

鬱蒼うっそう

読み方が難しいため載せておりますが、意味はそのままです。鬱蒼と茂った木々、のような用例が一般的です。

におふ 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「匂う」とそのまま解釈します。

休暇明きゅうかあけ 〈季語〉

秋の季語。夏休みやお盆休みが終わり、学校や仕事に戻ることを言います。

角筈つのはず

東京都新宿区の南西部、JR新宿駅の北側一帯にかつて存在した町名。現在は歌舞伎町・西新宿などの地名が付いていて、全体的に雑多でごちゃごちゃした街になっています。「角筈」という地名は現在もコミュニティセンターやバス停などの名前として一部で使われています。ドラマ化もされた浅田次郎の小説『角筈にて』で見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。

秋江しゅうこう 〈季語〉

秋の川のこと。「江」にはもともと「大河」のイメージがあり、場合によってはアジア最長の河川である、長江そのものを表すこともあります。この句の場合は長江ではなさそうですし、付近に大河もありませんから、秋江という言い方が適切ではない可能性もあります。

秋暑あきあつし 〈季語〉

残暑と概ね同じ意味。秋になっても暑い、というのが季語の本意です。

ブロックべいずい

何を指しているかすぐに分かったかた、ありがとうございます🙇‍♂。わからない方も気にしないでください。作者独自の比喩ですので。ブロック塀を作る時、強度を高めるために中に鉄筋を入れることがあり、「髄」はその金属を指しています。骨の中にある骨髄に見立てた表現です。

顕はあらわ 〈旧仮名遣い〉

上原・若洲とも旧仮名遣いを使って俳句を作っています。この表記でふりがなの通り読み、「あらわ(である)」と解釈します。

まなうら

漢字で書くと「眼裏」でしょうか。眼の裏、すなわちまぶたの裏側のことです。現代語の「まぶたの裏」「まぶたの奥」のように、体の部位そのものを指すというよりは、視覚的記憶がはっきりと残っていることをたとえる表現の一部として使われることが多いです。

あらば 〈文語体〉

現代日本語にすると、「もしあったならば」という意味。

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