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それは接客ではなかった

前の日曜、夫が息子を見てくれるということで一人ランチに出かけた。近所のずっと気になっていたお店へ。

6人ぐらい座れるバーカウンターと、ボックス席が1つある。昼はランチ、夕方以降はバー営業だ。

ランチでも明るすぎない照明、コンクリート打ちっぱなしの壁、黒板に書かれたメニュー表。
50〜60代と思われる女性の店員さんが一人。女優さんの誰かに似ているな、というかわいい雰囲気で、やさしい笑顔が親しみやすさを抱かせる方だった。
客は私だけだった。カウンター席にかけて明太クリームパスタを注文し、ぼんやりと店内を眺めていた。

正直、小さなお店のカウンター席で店員さんと二人きりになるのはあまり得意ではない。喋るのが嫌とかではなく、距離感の探り合いみたいな空気感になると一人で勝手に気を遣って疲れてしまう。ああ余計なことを考えない自分になりたい。

ランチセットのサラダを提供していただいた後ぐらいだっただろうか。
私が少しだけそわそわしていると、店員さんが「雨ですねぇ」と話しかけてきた。

「店内の観葉植物に元気がなくて困っていたけど、雨水で元気になるよってお客さんからアドバイスいただいて〜」
「へーそうなんですか〜」

そんな話から、ぽつぽつとラリーが続く。子供の話、子連れのお客さんの話、新メニューの冷やしラーメンの話、すべてのメニューが手作りでオーナー(その店員さんではない)自らが仕込んでいる話……

私は不思議な居心地のよさを感じていた。
コミュ下手の私が、この店員さんとは話しやすいぞ……!

美容師さん、服屋の店員さん、馴染みのご飯屋さんの店主さん。
いつだってにこやかに楽しく会話したいとは思うものの、だからこそなのか、私はたいてい少しだけ「頑張っている」。他愛ない会話なのに、内心は肩肘張っていることが多いかもしれない。

けれど、なぜかこのお店での、この店員さんとのおしゃべりでは「頑張って楽しもうとする私」は出てこなかった。その空間に自分がいることが自然に感じられた。このお店もこの店員さんのことももっと知りたい、そんな緩やかな好感をもった。

なんでこんなにリラックスできたんだろう。お店を出て、家に向かう道を歩きながら考えた。いつもと何が違うのか。店員さんのやさしげな瞳を思い浮かべる。

そうか。まず、その店員さんからは「”お客さん”が来たから話しかけた」感じがしなかったんだ。
私が感じたのは、「ひとなつっこい人が、場を共有している私に親近感をもって、当たり前に話しかけてくれた」そんな感覚だったんだ。

そして、お喋りしている間まったく「ジャッジ」されている感じがしなかった。
言葉が悪いけれど、人によっては話していて「品定め」されている気がすることがある。
けれど、その店員さんはそういう探る目を全然していなくて、それでいて目の前の私に温かく興味を抱いてくれている感じがした。

ぐだぐだ書いたけれど、とにかく「ここに来てくれて嬉しい」と伝えてもらっている感じがして居心地がよかったんだ。大袈裟でなく自然と、ささやかに、非言語で伝えてくれた感じが。
「接客しなきゃ」はそこには全然なかった。

そんなふうに人と接することができる人って、安心感や心愉しさで満たすよなぁ。自身も近くにいる人も。
私もそんな人になりたいな。そんな在り方ができることこそ、私が何より価値を感じることなんじゃないか、とも思った。

そんなにしょっちゅうは行けないと思うけれど、また行きたい。その店員さんに会いに行こう。
そしてそのときは、常連さんからどう呼ばれているか聞いてみよう。「店員さん」じゃなく「〜さん」として、その人のことを思い浮かべられるように。




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