見出し画像

『ワイルドバンチ』西部劇へのペキンパー流鎮魂歌 町山智浩単行本未収録傑作選8

文:町山智浩

初出:『映画秘宝』2016年2月号、4月号


「これは西部劇の伝統に対する冒涜だ!」

 サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』(69年)を観たジョン・ウェインはこう怒ったといわれる。1969年5月1日、カンザスシティのロイヤルシアターで『ワイルドバンチ』の世界最初の一般試写を観た人々は怒りどころではなかった。

 テスト試写は、ニューヨークやロサンジェルスではなく、中西部のカンザスやアイオワで行われることが多い。平均的なアメリカ人の反応を知るためだ。観客は、冒頭の銃撃戦ですぐにパニックに陥った。女性客は悲鳴を上げ、ブーイングが巻き起こった。上映後に観客から集めた感想は惨憺たるものだった。「狂気の産物だ」「こんなもの映画ですらない」「これを作った奴は死ぬべきだ」

 監督のペキンパーは映写室から観客の怒りを見ていた。隣にいた編集担当のルー・ロンバードは「サム、早く逃げないと、観客にリンチされるぞ」と怯えていた。

 テキサスのスターバックという架空の町に、陸軍の軍服を着た男たちが馬に乗ってやってくる。彼らが腰のホルスターに入れているのはコルト1911自動拳銃。いわゆるコルト・ガバメントだ。それでこの西部劇の舞台が西部開拓時代の終わった1911年以降だとわかる。

 兵隊たちは鉄道会社の事務所に入ると、突然、職員にショットガンを突きつけた。彼らは盗んだ米兵の装備を身につけた強盗団だった。

 リーダーのパイク(ウィリアム・ホールデン)はいちばん若手のクレイジー・リー(ボー・ホプキンス)に人質を見張るよう命じる。「こいつらが動いたら……殺せ!」

 パイク一味に何度も給料を奪われてきた鉄道会社は、賞金稼ぎたちを雇って、向かいのビルの屋上で待ち伏せさせていた。開拓時代の西部は広すぎて警察権力が弱かったので、資本家や企業はギャングから資産を守るために金で殺し屋を雇った。それをビジネスにしたのがピンカートン探偵社で、彼らは西部を荒らしまわったジェシー・ジェームズやブッチ・キャシディ、サンダンス・キッドなどのギャングたちを追いかけた。ブッチとサンダンスは「ワイルドバンチ(荒くれ野郎ども)」と呼ばれたが、この映画は彼らとは直接関係ない。

 賞金稼ぎのリーダーはソーントン(ロバート・ライアン)。彼は実は昔、パイクの相棒だった事実が後に明かされる。刑期を短くする代わりにパイクを殺すことを引き受けたのだ。パイクもソーントンも50代。西部が最も無法だった1880年代に男盛りだった彼らも、老境にさしかかっていた。

 待ち伏せに気づいたパイクは、事務員をオフィスの外に蹴り出す。銃を構えて緊張し続けた賞金稼ぎたちは、思わずその事務員を撃ちまくってしまう。それをきっかけに一斉射撃が始まる。この銃撃戦は1876年9月にミネソタ州ノースフィールドで、ジェシー・ジェームズ率いる強盗団が街の自警団から凄まじい銃火を浴びて壊滅した事件をモデルにしている。

 銃弾が風を切る音と共に飛来し、人体にめり込み、反対側から血飛沫と肉片を撒き散らし飛び出す。それをペキンパーは何度も何度も見せる。しかもスローモーションで。


●『俺たちに明日はない』を葬り去ってやる!


 そんな映像を世界で初めて劇映画で見せたのは、1967年8月にアメリカで公開された『俺たちに明日はない』だった。禁酒法時代の銀行ギャング、ボニーとクライドが最後に警官隊のマシンガンで蜂の巣にされる。

 アーサー・ペン監督は、2本の黒澤明作品からこれを発想した。『七人の侍』(54年)の斬られた侍がスローモーションで倒れるショットと、『椿三十郎』(61年)の三船敏郎に斬られた仲代達矢の胸から血飛沫が噴き出すショットを組み合わせたのだ。

 それまでのハリウッド映画では、電気発火による「弾着」で撃たれた服に穴が開くことはあっても、血は流れなかった。ヘイズ・コードという自主倫理規制で禁じられていたからだ。しかし、この1967年、ヘイズ・コードが撤廃され、セックス描写とともに出血描写も許されるようになったのだ。

『俺たちに明日はない』を観て、サム・ペキンパーは地団駄を踏んでくやしがったに違いない。

 ペキンパーは西部の開拓者の子孫として育ち、子どもの頃から銃で狩りをして遊び、海兵隊として戦場も経験した。弾丸が生き物の体を貫通する瞬間を、その目で見て知っていた。しかし、アーサー・ペンに先を越されてしまった。

「俺たちで『俺たちに明日はない』を葬り去ってやる」ペキンパーは『ワイルドバンチ』の撮影現場で、何百もの弾着を仕掛けながらそう言っていたという。「それがサムの目標だった」同作の衣装係だったゴードン・ドーソンは回想している。「規模を千倍にして」

 規模だけではなかった。ペキンパーはスターバックの大通りを禁酒法運動家たちに行進させた。1910年代、敬虔なクリスチャンたちはいっさいの酒類の製造販売を違法にする運動を展開し、ついに1920年、連邦議会を通過して立法化させてしまう。着飾った紳士淑女が「アルコールこそ暴力とセックスの原因」と唱えながら、強盗団と賞金稼ぎに挟まれた通りを練り歩く。彼らの言うことは正しい。開拓時代の西部の男たちは、昼間からウィスキーをあおり、娼婦を抱き、博打に狂い、殴り合い、撃ち合っていた。ペキンパー自身がそういう男だった。撮影現場でも昼間からウィスキーを飲み、ナイフを振り回し、娼館に出入りした。でも、それが西部の男だった。スターバックを我が物顔で行進しているような善男善女はかつて西部では生きていけなかった。

 だからペキンパーは彼らを皆殺しにする。

 強盗団は銃弾を避けるため、デモ行進のなかに突っ込む。御婦人をつかんで盾にする。泣き叫ぶ彼女に銃弾が食い込む。仕立てのいい3つ揃いを着た紳士が銃撃に巻き込まれて前から後ろから何発も流れ弾を食らう。その惨劇を見つめている幼い子ども。その子はペキンパー自身の息子だ。

 西部劇の主人公が女子どもを巻き込むなんて! ジョン・ウェインが怒ったのはそこだ。ウェインが演じてきたカウボーイは、まあ酒は飲むが、女性には帽子を取って挨拶する、強きを挫き弱きを助ける正義の味方だった。ウェインとジョン・フォード監督が描いた西部は古き良きアメリカの理想そのものだった。

 でも、ウェインもジョン・フォードも本当は西部の男ではなかった。戦場の体験もない。彼らは西部や戦争を勝手に美化し、理想化していた。そこに本当の西部男で海兵隊員のペキンパーが叩きつけたのが『ワイルドバンチ』だった。

「本当の暴力は、無残で、容赦なくて、おぞましいもんだ。全然楽しくない。西部劇ごっことは違うんだ」ペキンパーはインタビューで言っている。

「俺がやろうとしたのは、観客を暴力の中に巻き込むことだ」銃撃に巻き込まれる紳士淑女は映画館の観客なのだ。「ハリウッド映画やテレビのブラウン管の中の撃ち合いを眺めるのではなく、観客自身に銃弾を食らう痛みを味合わせたかったんだ」

ここから先は

8,389字

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?