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グッドフェローズ 大統領になるよりもマフィアになりたかった男の物語 町山智浩単行本未収録傑作選4 90年代編2

文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2003年2月号

♪貧乏人から金持ちへ

 今、ポケットは空っぽだけど

 きっと億万長者になれるのさ


 トニー・ベネットの歌う『ラグズ・トゥ・リッチ』のビッグバンド・ジャズで高らかに幕を開ける『グッドフェローズ』(90年)は、ギャングに怯えながら育ったマーティン・スコセッシが、ギャングに憧れたヘンリー・ヒルの半生を描いた「ドキュメンタリー風ミュージカル」だ。


●ミーン・ストリート


スコセッシは1942年、ヘンリー・ヒルは翌43年にどちらもニューヨークのブルックリンに生まれた。

 スコセッシ一家はマンハッタンのロウワー・イーストサイドに引っ越したが、ヤクザと売春婦がうろつき、暴力とセックスに満ちた街は、誰よりも小さく痩せっぽちで喘息で気の弱いスコセッシにとって恐くてたまらなかった。「マーティはいつもコソコソ逃げ隠れしていた。特に暴力沙汰になるとね」。当時の友人は言う。映画館とカソリックの教会だけがスコセッシの逃げ場だった。

 ヘンリー・ヒルは逆に、わずか12歳でヤクザの下働きを始める。アイルランド系の実直だが貧しい電気工の息子だったヒルにとって、金時計をしてキャデラックを乗り回す方法はヤクザ以外に考えられなかったのだ。

 映画監督になったスコセッシは自分の青春を描いた『ミーン・ストリート』(73年)を発表する。主人公ハーヴェイ・カイテルは信心深いカソリックで、チンピラやジャンキーや娼婦がうろつく「卑しい街角」から逃げ出したくてたまらない。

「『ミーン・ストリート』は当時ベストセラーだった『ゴッドファーザー』への反発だ。あれもNYのイタリア人社会を描いているけれど神話のように美化されすぎていた。本当はこんなんじゃない、と思ったんだ」

『ミーン・ストリート』を観たヘンリー・ヒルは感動して、自分の親分ポール・ヴァリオを無理やり車に乗せて映画館に連れて行った。2人ともまさか自分たちがこの監督の映画の主役になるとは想像もしなかった。


●ワイズガイ


 1985年、AP通信社の記者ニコラス・ビレッジは出版社の勧めで、ヤクザから足を洗ったヘンリーに会った。

「最初はマフィアの実録物なんか興味ないと思ってた。ところがヘンリーの話は違った。『ゴッドファーザー』みたいにロマンチックじゃなくて、リアルで平凡で日常的なマフィアの実態だったんだ」

 ビレッジはヘンリーのインタビューを『ワイズガイ』と題したノンフィクションにまとめた。マフィアたちは自分のことをワイズガイ(利口な奴)と呼ぶ。ヘンリーは自分の父のようなワーキング・ガイを蔑む。

「ハシタ金のために汗水たらして働いて、アホじゃないか? キンタマついてるのかね。ワイズガイは欲しいものがあればブン盗るだけ。ゴチャゴチャ言う奴はブン殴ればいい」。スコセッシは言う。「ヘンリーはパン屋の行列に並ばなくてもいいというだけでヤクザに憧れた。それは8歳の子供の感覚だ」

 ヘンリーの親分ポール・ヴァリオはコーザ・ノストラ、いわゆるマフィアのカポ(ボス)だ。カポはさらに「ボスの中のボス」、いわゆる「ドン」に統括される。ポールのドンは“スリー・フィンガー”ルェチェーズ。ラッキー・ルチアーノのヒットマンとして最低30人は殺したルッチェーズだが、ドンになってからは穏健派としてブルックリンで庶民から愛された。

 ヘンリー少年はポールの下でスポーツ賭博をはじめ、放火、窃盗、何でもやった。問題はヘンリーがアイルランド系だったということだ。母はシシリア移民だが100%シシリア系でないとコーザ・ノストラの組員にはなれない。彼らのようなマフィアの準構成員はグッドフェラズ(いいダチ公)と呼ばれる(邦題のグッドフェローズは間違い)。いくら頑張ってもグッドフェラでしかないことは、最終的に彼の悲劇となる。


●ウォール・オブ・サウンド


 書評でそれを知ったスコセッシはすぐさまゲラを取り寄せ、映画化に動き出した。

 スコセッシはビレッジと共に脚本を練ったが、25年間の出来事を2時間にまとめる際に普通の映画的な起承転結の構成にすることができなかった。

「だから思い切って本の中で面白いエピソードだけをブツ切りでつなげることにした。まるで25年間ヘンリーに密着して撮り貯めたフィルムを2時間に切りつないだドキュメンタリーみたいにね。そうすれば各場面同士に脈絡がなくても許されるじゃないか。たとえば“アンソニーを殺せ”ってセリフが出てくるがそいつが何者か説明はないし、その後も出てこない。でもドキュメンタリーならよくあることだ」

 ドキュメンタリー風に揺れ動く手持ちカメラを使い、シーンはヘンリー(レイ・リオッタ)のナレーションに繋がせた。

「それに、ストーリー上の必要性のために見ていて退屈な説明的シーンを撮る気がしなかったんだ。とにかく面白い映像だけにする。MTVみたいにね」

 スコセッシはオタクなまでのポップ・ミュージック・マニアだ。既に6分間の学生映画『ビッグ・シェイヴ』(67年)で、血まみれでヒゲを剃り続ける男の映像にガーシュインの甘いラブソング「いい出せなくて」をBGMに使うという抜群のセンスを見せたスコセッシは、『グッドフェローズ』ではカンツォーネからバブルガム・ポップ、サイケ、パンクなどヒット曲を40以上も詰め込んで時代背景を示すと同時に、歌詞に画面の意味を象徴させ、映画全体をミュージカルか・ミュージック・ビデオのよう構成した。

 映像的には『グッドフェローズ』は、カメラワークもストップモーションやズームなどあらゆる種類のテクニックを使い、一つのフレームにゴチャゴチャと色んな要素を写し込み、さらにそれを短いカットで畳み掛ける。スコセッシは言う。「できるだけ情報量を詰め込んで観客を圧倒するんだ」

『グッドフェローズ』ではバーやレストランの場面で必ずロネッツやクリスタルズなどの60年代ガールズ・グループ、とりわけフィル・スペクターがプロデュースした曲が流れる。フィル・スペクターは何層にも積み重ねたウォール・オブ・サウンド(音の壁)で有名だ。スコセッシはそれを『グッドフェローズ』でやろうとしたのだ。


●ジミー・ザ・ジェント


♪人はオレをスピードと呼ぶ

 時間を無駄にしないから

 たとえダチの女だろうと

 欲しいモノがあればいただくだけさ


 キャディラックスのドゥーワップ「スピード」(56年)をBGMに登場するのはハイジャッカー(強奪屋)のジミー(ロバート・デ・ ニーロ)。ポールがヘンリーの理想の父親なら、兄貴はジミーだった。ジミーはJFK空港の職員を丸め込んでいて、空港に出入りするタバコや酒を積んだトラックを1年間に100台以上ハイジャックした。被害者のトラック運転手に必ず50ドルの「迷惑料」をやる「紳士のジミー」にヘンリーは憧れた。

 ジミーはアイルランド系だったのでマフィアの組員にはなれない。何か悪さをして稼ぐと必ずポーリー(本名はポール・ヴァリオ。演じるはポール・ソルヴィーノ)に報告し、上納金を納める。普段ポーリーは何もしない。その代わり、ヘンリーたちを警察や裁判沙汰から守ってくれる。つまりマフィアとは法治国家に逆らう犯罪者のための闇政府として税金を徴収しているのだ。

 ヘンリーはジミーが盗んだタバコを売って逮捕される(実際はクレジットカード詐欺)。しかし黙秘を完遂したヘンリーはポーリーが雇った弁護士とワイロの力であっさり釈放される。「サツに黙り通したお前は男だ」とジミーは言う。もちろん、何か言ったら殺されるのだが。

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