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『エクソシスト』『ローズマリーの赤ちゃん』70年代オカルト映画の真相:町山智浩単行本未収録傑作選6

文:町山智浩

初出:『映画秘宝』2002年10月号


 紀元前700年頃のイラクにパズズという神がいた。さそりの体に鳥の翼、ライオンの顔を持つパズズは、女性や子どもの病気を癒す神として信仰され、パズズの像は赤ん坊のお守りに使われていた。

 しかし、1000年以上が経ち、唯一絶対のヤーウェ以外の神を信じないユダヤ教、そこから派生したキリスト教、イスラム教が押し寄せると、パズズなどの土着の神はすべて「悪魔」と呼ばれ、蔑視されるようになった。

 昔ながらの「祭り」も「野蛮な悪魔崇拝」として禁じられた。祭りにつきものなのはまず酒、もしくは麻薬、リズミカルな音楽と踊り、興奮状態での性行為、それに生贄だ。早い話がセックス、ドラッグ、ロックンロール&バイオレンスである。これを禁じて生きていけるのか?

 19世紀初めのアメリカ、厳格な清教徒に拓かれたセーラムの町で、青年グッドマン・ブラウンは、ある安息日(サバス)の夜に、森の奥で魔女集会(サバト)を目撃する。そこでは普段は信心深く暮らしていた町の住民達が、野蛮な祝祭の狂宴を楽しんでいる。驚いたグッドマンが我に返ると、そこはいつもの町で、敬虔な住民たちが禁欲的に暮らしている。あのサバトは夢だったのか、それとも……。

 セーラム生まれの作家ナサニエル・ホーソンの短編小説『若きグッドマン・ブラウン』は清教徒の欺瞞を暴いている。セーラムは18世紀に魔女裁判が起こったことであまりに有名だ。性的魅力のある女性は、それだけで魔女とされて処刑された。清教徒は、女性にとってセックスは子どもを産むための仕事でしかなく、快楽を得るのは罪だと説いたからだ。

 それから約150年後、サバトは全米、いや全世界規模で爆発する。60年代カウンター・カルチャーという名の「祭り」として。

 そしてパズズも蘇る。


●『ローズマリーの赤ちゃん』妊娠という恐怖


 ラララ、ラララ、ラララ、ラララ……。

 精神を病んだ女性のうわごとのようなハミング。主演のミア・ファロー自ら歌う「ローズマリーの子守唄」をバックに、ニューヨークはセントラル・パークを見下ろすカメラがゴシック風のビルディングを映し出す。それは「ダコタ」という高級アパートメントで、新婚夫婦ローズマリー(ミア・ファロー)とガイ(ジョン・カサヴェテス)の新居になる。

『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)は、現代のマンハッタンで悪魔崇拝者たちが若妻にサタンの息子を産ませるという映画で、「オカルト映画」ブームの先駆けとなった。

 夫ガイは売れない役者だったが、役を争っていた俳優が突然失明したことで抜擢される。それを祝っていた若夫婦のもとに近所に住むカステヴェットという老夫婦が手作りのお菓子を「おすそわけ」しに来る。それを食べたローズマリーは意識不明に陥り、夢の中で魔王サタンに犯される。

 妊娠したローズマリーは子宮の鋭い痛みに苦しみ、周囲の人間を怪しむようになる。そしてカステヴェットが有名な悪魔崇拝者の息子だという事実を発見する。夫はカステヴェットと取り引きし、ライバルの俳優に呪いをかけてもらう代わりにローズマリーの腹を悪魔に貸したのだ。脱出しようとするローズマリーだが、周囲の人間は彼女の言うことを信じてくれないか、悪魔教徒かのどちらかだった。そして彼女が産み落とした赤ん坊は金色の眼を持つ怪物だった。

「この子の眼に何をしたの!」

 カステヴェットはニッコリ笑って答える。

「それの眼は父親譲りだよ」

『ローズマリーの赤ちゃん』は、カソリック団体から「邪悪な映画だ。これを観ることは罪だ」と攻撃されたが大ヒットした。それは、この物語が1968年という時代の不安を鋭く掴んでいたからだ。


●オカルト・ブームと悪魔教


 上流階級の紳士淑女たちが陰では密かに悪魔を崇拝している、というアイデアはホーソンの『若きグッドマン・ブラウン』と同じだ。しかし、それだけではない。当時のアメリカは、「30歳以上を信じるな!」をモットーとするカウンター・カルチャーの絶頂期だったのだ。カステヴェットたちはまさしく取り澄ました大人社会の醜い裏側を象徴していた。

 その一方で、悪魔崇拝者を生み出したのもカウンター・カルチャーだった。既成の価値をすべて疑うカウンター・カルチャーにとって、キリスト教こそ実は最大の「体制」だった。ヒッピーたちは、ヒンドゥー、仏教、ヨガなど、非西洋の宗教を探求していった。また、キリスト教から「迷信」と蔑視されながらも隠れて密かに伝えられてきた占いや、まじないや呪術などの再評価も進んだ。いわゆるオカルト(隠秘)ブームである。

 そんななか、ヒッピーのメッカ、サンフランシスコで悪魔教会(チャーチ・オブ・サタン)が発生した。イギリスの隠秘主義者アレイスター・クロウリーの研究家だったアントン・ラヴェイが実験的に悪魔崇拝の儀式を再現するうちに、マスコミに注目され、信者を拡大していった。

『ローズマリーの赤ちゃん』の監督ロマン・ポランスキーは、ローズマリーが魔王に犯される場面で、アントン・ラヴェイを雇って悪魔教的に正しい儀式を演出した。ラヴェイはサタン役も演じている。


●サリドマイド・ショック


 しかし、原作者のアイラ・レヴィン(ユダヤ系)は神だの悪魔だのを描こうとして、この小説を書いたわけではないという。「実は悪魔云々は後から思い付いたんだ。最初はとにかく、妊婦の不安を描こうとしたんだ」。

 なぜ、そう思ったか? 当時はサリドマイド・ショックの真っ只中だったのだ。

 1962年、世界各地で腕や脚のない赤ん坊が生まれた。手首や足首が胴体から直接生えた赤ん坊は「サリドマイド児」と呼ばれた。彼らの母親は妊娠初期にドイツ製のサリドマイドという鎮静剤を飲んでいたからだ。それ以外にも世界各地で薬害事件が次々に発覚した。日本では『ローズマリーの赤ちゃん』公開の68年に、PCB入りの食用油によって「黒い赤ちゃん」が産まれる「カネミ油症事件」が起こっている。また、ベトナム戦争ではアメリカ軍が催奇性物質入りの枯葉剤をバラまいていた。

 自分が口に入れた薬や食べ物に毒が混じっていたかもしれない。それでお腹の子どもが大変なことになっているかもしれない。恐怖が世界中の母親を襲った。

 ローズマリーが最初に疑惑を抱くのは、カステヴェット夫人が「お腹の子どもにいいから」と無理にすすめるタンニン入りのミルクセーキと、夫に推薦された医者が処方する謎の錠剤だ。成分は何なのか? あれを飲んでからどうも赤ちゃんの様子がおかしい。もしかすると魔法の薬なのではないか?

『ローズマリーの赤ちゃん』の宣伝文は「妊娠中の方は絶対に読まないでください!」だった。もちろん、読者の大部分は妊婦を含む女性だった。


●目覚め始めた妻たち


 薬害ショックがなくても、妊婦の心は揺れている。わが子を守ろうとする母性本能と、自分の体内に別の人間が宿ることへの不安感などで、妊娠中の女性はしばしば不安神経症に陥る。『ローズマリーの赤ちゃん』も、すべては妊婦の妄想として読むこともできる。

 しかし、60年代、妊婦だけでなく、すべての妻たちの気持ちは追い詰められていた。

 前兆は1948年に発表された『キンゼイ報告』だった。アルフレッド・キンゼイ博士は、アメリカの69%の妻はマスターベーションをしているという調査結果を発表した。馬鹿げた話だが、当時は妻にとってセックスとは子どもを作ることだと考えられていた。だから女性にも性欲があるという事実は大変な衝撃だったのだ。

 そして1960年、米国で経口避妊薬、いわゆる「ピル」が解禁される。それまで避妊はペッサリーを除いてすべて男側に委ねられていたが、ピルは主導権を女性に与えた。セックスは、生殖から切り離されて、ただの快楽の行為として独立したのだ。

 常にセックスでは奴隷的立場、被害者でしかなかった女性にとって「解放」の時が近づいた。しかし男性はそれを理解していなかった。

 ローズマリーはピルを常用し、新居に引越した日から「セックスしよう」と夫を誘う60年代的女性だ。しかし、夫はそうではない。ローズマリーが悪魔に犯された翌朝、傷だらけになった妻を見て彼はうれしそうに言う。

「君が眠っている間に抱いたんだ。死体を犯してるみたいで楽しかったよ」

 女性には性欲がないとされていた時代、夫は能動的な妻をただ自分の好きなように弄んでいた。相手の気持ちなどおかまいなしに。彼はその時代に戻りたいのだ。


●私は赤ん坊を産む道具じゃない!


『ローズマリーの赤ちゃん』の時代設定は65年。ローズマリーは専業主婦だ。当時はアメリカでもまだ、既婚女性がパート以外で職を得ることは極めて難しかった(日本では今でもそうだ)。朝から晩まで家で家事をして夫の帰りを待つだけの日々。家の外に出ても彼女に居場所はないのだ。

 ローズマリーの抱えるこの苛立ちを「名前のない問題」と呼んで赤裸々に暴いたベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』は63年にベストセラーになり、アメリカは初めて専業主婦の心に巣食うアイデンティティ不安を知らされた。

 生きる意味を求めたローズマリーは、母になることを決心する。妊娠すると周りの人々はやたらとちやほやするのだが、そのうちに彼女は気づく。みんな私が赤ん坊を産むから優しくしてるのね。私自身がどういう人間なんて関係ないのね? 私は赤ん坊を産む道具じゃないわ!

 母になることでも不安は解消されないばかりか、「主婦」という牢獄での終身刑が決められてしまう。ローズマリーの部屋に、カステヴェット夫人たち近所の奥さんがお菓子を持って「お茶」しにやってくる。刺繍や編み物をしながら、どうでもいい噂話に花を咲かせる主婦たちに愛想笑いしながらローズマリーは一瞬嫌悪に顔を歪ませる。なんて醜い、なんて図々しいオバサンたち! あたしはこんなになりたくないわ!

 そして、ローズマリーはヴィダルサスーン最新のヘアスタイルと称して髪をバッサリ切って少年のようになってしまう。それは主婦になることへの拒絶感の表明だ。

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