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生活歴より自分史がほしいと思ったりする

言葉を口にするということ

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

最近、立て続けに各種研修受講が続いております。

「そうそう」とつぶやいたり、「えーーー?」とか「うーむ」なんて、ちょっと首を傾げたりして、気がつけば疲労困憊。

そんな中、唐突ですが、
ケアマネジャーや介護福祉士という対人援助職は、日頃より誰かの人生に触れる話をすることが多い仕事です。

これまでどうやって生きてこられたのかを振り返ってもらったり、或いは、急にご本人が振り返られた時に話を伺えたりします。
そして、話を伺った後、「大事なお話を教えていただき、ありがとうございました。」とお伝えするようにしています。

こんなこと言うと偽善的に感じる人もいるでしょうが、ほんと、いつもありがたいと思ってるんです。
だって、人に自分のことを話すのって「どう見られるのかなー」とか「馬鹿にされたら嫌だなー」とか「この人に話してもいいのかなー」とか「この人を信じてみよう」とかいろいろな感情やストレスを生むでしょ。

しかしながら、長年この仕事をしていると、正直、お話を伺うことが当たり前のように感じてしまうことがあります。

そう考えると、専門職も自分が体験してきたことを振り返り、人に伝える作業をするといいのかもしれません。
ある意味、麻痺しないための戒めですかね。

もしかしたら、僕が昔より失礼なことを言わなくなったのも、時々、自分の体験を外在化して戒めているからかもしれません(笑
反面、いやいや、君から失礼なことを言われたよという方もいるでしょう。たぶん、それだけ寛容にお付き合いしてもらっていると僕が勝手に感じてるってことなのかもしれません。
勝手言ってごめんなさい(笑

知っているようで知らない

さて、話を戻して、生活歴ってどうやって伺って、まとめてますか?
小さい枠の中に2~3行で人の人生をまとめてる方が多いのではないかと推察します。

それでも作業としては良しとされてますからね。

ですが、生活歴とは何で必要なのかって話に立ち返って考えてみます。
そもそもの言葉の意味を掘り下げてみると

広辞苑では、「生活歴」とは出てませんでした(笑
代わりに「生活史」として出ています。

せいかつ‐し【生活史】
(life history)
①生物の個体が発生または出生してから成体となり死ぬまでの、生活様式に注目した過程。
②ライフヒストリーに同じ。

ちなみにライフヒストリーということなので引いてみると

ライフ‐ヒストリー【life history】
個人の生涯または半生の詳細な記録。主に、本人の口述を調査者が再構成したものをいう。生活史。
とされています。

社会福祉用語辞典(2013 ミネルヴァ書房)では、

生活歴(life history)
福祉サービス利用者の出生から現時点までの成育歴,学歴,職歴,結婚歴など
と定義されています。

ちなみに社団法人日本社会福祉士養成校協会が2005年3月にまとめた「わが国の社会福祉教育,特にソーシャルワークにおける 基本用語の統一・普及に関する研究 報 告 書」では、

生活歴(life history)
クライエントの背景を時間的経過に沿って記録したも の。生育歴,学歴,職歴,家族歴,心身の状態,既往歴 などを記録するが,生活歴のとらえ方はソーシャルワー クのアプローチや相談機関の性格や機能によって異なる
と定義されております。

結果、それぞれの見解をまとめてみると、

生まれてからの生涯、半生(成育歴、学歴、職歴、家族歴、心身の状態、既往歴等)を再構成すること。
捉え方は、アプローチ、機関の機能、正確によって異なる。

ってことね。
つまり、数行でまとめる程度では、やはり求められていることを満たせないし、アプローチに使える材料にならんってことかと。

感慨深い思いと観念

かつて、介護保険制度前、いわゆる措置の時代では、福祉事務所の方が、それはそれは、事細かに生活歴を聴取されていました。言い方は悪いですが、まるで事情聴取された記録のように。はじめてこの仕事に就いた施設で記録を見た時は驚きました。

明らかに様々な人から聴取した事実の積み上げではあるので、確からしさとしては高度な感じ。

ただ、そこにはあまり感情は感じられませんでした(人によるのかもしれませんが)。

最初の話に戻りますが、自分の生涯、半生を語るときって、事実を淡々と伝えようとはしないと思いません?

「あのときは、ほんと大変だった」
「とってもうれしかったんだよ」
「思い出すと苦しくなる」

なんて、言葉が添えられることもしばしば。大泣きされて話せなくなっちゃったからって包括の人に止められてこともあったりして。

そんな話に対して、よく援助者から言われるのは「本当のことなんて言わないでしょ」とか「利用者さんって嘘つくでしょ」っていう言葉。

まあ、確かに意図的に本当のことを言わなかったり、嘘つくなんて、そんなこと誰でもありますもんね。

僕も以前は本当のことを言ってくれるようになったらいいなとか思ってました。
でも、人って本当のことなんて忘れちゃうでしょ。病気じゃなくても。
だから、後から「あれ?聴いてたのと違くない?」とか「明らかに嘘ついてたよね」みたいなことがわかるのもいいかもなって最近思います。

要は、事実がどうだったかも大事なんですが、どう思って過ごしていたのかとか、人にどう見られたいのかってことを感じられた方が感慨深さや観念が推察できる。つまりは、アプローチの材料になるよねって思うわけです。

人の願いは変化、変容していくものだとは思うんですが、考え方って意外と変容しないことが多いかもなーって思ったりして。

そうね。どうしても人様の人生の話を再構成するのに、自分の考え方が影響しちゃうよねってことも気をつけなきゃだねって改めて思ったりもしました。

だからね。やっぱり、生活歴をまとめるっていうより、自分史を作っておいてほしい、若しくは、自分史を作るお手伝いをした方がいいなって感じましたとさ。

ほんじゃ、また。

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