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人ではなく、物事を叱るために。

休みの日に職場から電話があることほど嫌なものはない。その日、一日がどんよりとした気持ちになる。

私は食品スーパーで仕事をしている。休みの日でもスーパーは、当然のごとく、レジは、人は、休みなく動いている。そのとき私は奥さんと久しぶりにレストランで昼食のバイキングを楽しんでいた。

私は大の電話嫌いで、昔から携帯の着信音はオフにしている。振動の設定もしていない。携帯で勝手に私の生活を邪魔されたくないからだ。(もちろん仕事の時は別だけど。本当はオフにしたいと思う。)

とはいえ、緊急の場合もあるから、時々、スマホをチェックしている。(そこまでして着信音をオフにしている自分もどうかと思うが。)

見ると着信が3件あった。10分前だ。3件とも仕事先の店からだった。すぐに私は席を外して店に電話した。私は休みの前日は、必ず引き継ぎをしているので、休みの日に電話がかかることは、まずない。

電話がかかるということはつまり、
大きなクレームが発生したということだ。

結果としてはやはりクレームだった。なんてことだ。今から私が店に行かなきゃならなくなった。うちの奥さんが、楽しそうに食事をしている席へ私が戻ると心配そうに彼女が聞いてきた。

「何かあったの?」

「うん、クレームで今から店に行かなきゃならなくなった」

せっかくの楽しい食事と休日が、すべて台無しになってしまった。こんなとき、私が天使のような清らかな心を持っていれば、問題はないのだろうけど、当然、私は天使じゃない。

店に行き、不機嫌な態度のままでミスを起こしてしまったパートさんにネチネチと説教をした。それは迷惑をかけてしまったお客様のためではなくて、ただの私の機嫌の悪さだけでしかなかった。

心の中のもう一人の私がささやく。「やめとけ。あとで後悔するぞ」そう何度も言っている。けれどもどうしてもやめられない。どうして?なぜ?あれほど言っただろ?と相手を責めてる。

結局、お客様のところへ行き、私がお詫びをする。なんとかお許しを頂いて、そのお客様の心の広さで、なんとかクレームは解決する。それまでに何時間も費やしてしまった。何と無駄な時間だろうと心が怒りで沸騰する。私は自宅に帰るために店を出た。

ドアを開けると、もう夕日がまぶしかった。

天使が降りて来そうな美しい夕暮れを見ていて、こんなふうにむしゃくしゃした気持ちのままで帰りたくないと思った。一度冷静になろうと思った。私はどうすればよかったのだろう?何がいけなかったのだろう?

そうだ。今回の場合は仕方がなかったのだ。

難しいクレームの場合、私の代わりがいない。それはまた別の問題だが、どうあがいてもそれが現状だ。怒っているお客様に「明日、連絡します」なんて言えないんだ。パートさんの失敗は、もとはと言えば、私がちゃんと伝達していなかったことにもあるのだ。

そう思うと私の中の、まるで破裂しそうな風船の空気が、ぷしゅーと少しづつ、出てゆくような気がした。

部下の失敗は、その元をたどると、ほとんどの場合、その上司である自分につながっている。大切なのは、それに気づくことだなとつくづく思う。

その日は、そのパートさんに思わず嫌味のような言葉を使ってしまった。もう、言ってしまった言葉は取り消しが出来ない。パートさんも、嫌な思いをしているだろうし、もしかしたら自分のことを責めているのかもしれない。叱るべきは、パートさんではなくて、その起きた出来事に対して叱らなければならない。わかっているはずなのに、私はまだまだ怒りの気持ちに流されてしまう。

もう一度、私は忘れないようにしよう。

叱ることが悪いことではないのだ。悪いのは、人そのものを叱ることがダメなのだ。そうではなく、その起きた原因に対して叱らなければならないのだ。そして、どうすればよかったのかを、その人と一緒に考えることなのだ。

決して自分の考えを押し付けるのではなくて
一緒になって考える。

そうして、いい案が思いついたとき
一緒になって喜べばいいんだ。

そうすれば、二度と同じ失敗をしなくて済むんだ。こんなふうに互いに後悔しなくて済むんだ。そうだ、もう私は、それを忘れないようにしよう。

人は天使にはなれないけれども
過ちを、何度も直すことはできるんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一