立ち止まるべき魔法。

これはもう昔のこと。でも、今でもよく覚えている。そのとき私は、その言葉が、私の胸の中をつき抜けて行くときの冷たさを感じたような気がした。あのとき誰もがあの冷たさを、胸に感じていたのだと思う。

「わしらはある意味、ひとをダマしながら商売をしているようなものだ。だって、そうだろう。その商品をよく知りもしないのに『これはおすすめですよ』というだろう。ダマしてなんぼの世界だ。要は、常に売上を上げなきゃならんのだ」

そのエライさんのその言葉を、私たちは黙って、うつむいたままで聞いていた。たぶんそのとき、誰もが私と同じ思いだったのだろう。

私たちはそんな気持ちを抱えたままこの仕事なんて出来ないし、そのイヤな思いを、どうして今、押しつけなければならないのか。

何か大事なことをメモするために、ボールペンの先を白紙の紙に、そっと当てていたのだけれど、私はパチンとメモ帳を閉じた。

覚えておくには、あまりにも意味のない言葉。心がどこかへ沈んでゆく。元気だけが取り柄のSさんが、私の隣でため息をついている。なんて重そうなため息だろう。

昔、何かの本で読んだことがある。会社は常に前年比にこだわって、前よりも必ず業績を上げなければならないと必死になって、労働法を無視するがごとく、仕事をしている。

物事には、伸びて行く中で、やがてゆっくりと下降して行く時がある。それはきっと、この人生と同じことで、その時に一番大事なことは無理に息を切らしながら、それ以上に走りつづけることではなく、いかに上手に、怪我をすることもなくゆっくりと、その降りた先に(または目標に)着地できるか、というもの。

私の文章では言わんとすることが、うまく伝えられない。ただ、前年比とか、常に業績を伸ばし続けなければならないとか、漠然と、ずっと疑問に思っていた。こんな誰かのイヤな思いを、胸にぶつけられるその度に。

無理なことを無理なことでやろうとするから更に無理がかかってしまい、また、次もそれ以上の苦労を背負うことになる。

これはとても難しい問題だ。正直、あまり考えたくもない。ため息ひとつついたなら、また、次のやるべきことを、私はしなければならないのだ。

何かに意味を追いかけたなら、
きっと、私は負けになる。
時間はない・・・

でも、負けてしまうことが、悪いと誰が決めたのだろう。信号が、なければ立ち止まれない私たちは、立ち止まるべきその魔法を、知った人から幸せになる。唯一、それが私の信じられること。今もこの想いは変わりはしない。

でも、その魔法を笑う人たちがいる。
だから、私も笑うのだ。その人たちを笑うのだ。
言葉もなく、表情もなく笑うのだ。

誰でもない・・・

私は私を生きてゆくのだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一