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失くしたもの、得たもの。

これはもう、昔のこと。食品スーパーの仕事の中で、とても困難なことが起きた。目の前の中年のおばさんは「本当なんだから信じてちょうだい!」と私に必死に懇願している。

「でも、こればかりは・・・・」

話しの元は、その出来事の1週間前のことだった。そのとき、そのお客さんは、まとめていろいろと買ってくださった。買われた荷物が多かったので、一時、サービスカウンターへ商品を預けていたのだ。そのあとそのお客さんは、荷物を持って帰られたのだけど。

「でもね、確かに○○が、うちに帰ったらなかったのよ!」おばさんは必死に、私に何度も同じ事を言う。○○とは、2千円もする健康食品。そんなに小さなモノでもない。

すぐに調べてみたけれど、サービスカウンターの係員が、その日にお客さんに、何か渡し忘れたものもないし、それがどこかに残っていた事実もない。

「とりあえず、そのときのレシートはございますか?」本当にとりあえず、私はそう、たずねてみた。

「レシートはもう、捨ててしまったわ。でもね、私を信じてちょうだい。なかったのは本当なんだから、だから、それを頂けたらいいの」

こうしてその言葉だけだと、まるで、詐欺をたくらんでいるお客さんにしか見えないけれど、実際に対応をした私としては、その人の表情、言葉の強弱、態度、何気ない仕草。それらをすべて総合して、たぶん、このお客さんの言っていることは、本当なんだろうなと思った。本当になくて、困っているのだろうなと思った。あくまでもこれは、私の個人的な思いだ。

帰ったらその商品だけがなくて、どうしよう?とあせったのだろう。こんなふうに、1週間も後にではなくて、せめて、電話ですぐに知らせてくれたなら何か原因がつかめたかもしれないのに、とつい、私は思ってしまう。

「ごめんなさい。最初はあきらめたつもりなのだけど、でも、2千円もするものだし、今日は買物に来るついでがあったので・・・」

なんてことだろう。そんな気まぐれな思いでも、こんな難解なクレームを言われたのでは、私達店員は成す術がなくても、ただ、右往左往しなくちゃならない。

正直言って、何も状況証拠はなかった。おまけにレシートもないし、お客さんもそれはよくわかっていた。

「でも、実際になかったんだから、本当に・・・ねぇ、店員さん、私はあなたに信じてもらうしかないの」私は困った。でも、こんなあやふやな状態で、商品を渡すわけにはいかない。

「申し訳ないのですが、やはり、そういったことが確認できませんので
もう少し、調べさせてもらってから・・・」そう、私が言いかけたときに、そのお客さんは「もういいわ。私が悪いのね、あきらめるわ」そうポツリと言葉をこぼして、ひとり帰って行かれたのだった。

「この度は申し訳ございません」となんとも歯切れの悪い私のお詫びの言葉となった。でも、そのお客さんは、私の言葉の半分も聞かないで、振り返ることもなく、そのまま店を出て行かれた。やはり、納得はされなかったのだろう。

心情としては、とても悪いことをしてしまったと思った。

思えば本当は、上司に相談してから対処するつもりだった。けど、これ以上、何を言っても無駄と思ったのか、その前にその人は帰って行ってしまった。

「どうしよう・・・」

私の対応は、やはり、どこか間違っていなかっただろうか?その言いようもないやり切れなさに、思わず自問自答してしまった。その事情を聞いたパートのおばさんが、こう私に言った。

「でも、それってもう、信じるしかないんじゃない?嘘を言ってる感じでもなかったんでしょう?もしかしたら、店側になんらかのミスがあったのかもしれないし・・・それに、この事がご近所に伝わって”あの店は買ったものを渡し忘れておいて金だけ取っていった”なんて伝わったら、それこそ大変なことだよ!」

パートさんのその言葉に、私の気持ちは一気に暗くなった。あぁ、確かにそうかもしれない。私は間違っていたのか。もらったもらわないの水掛け論にはいっそのこと、あげたほうが気が楽だ。金額じゃないのだろうけど、たかが2千円の商品。でも、本当にそれがよいことなのか?

上司に報告することが、だんだん不安になってしまった。「どうしてお客様の信用問題に、最初にオレに連絡してくれなかったんだ!」そんなふうに怒鳴られてしまうのがオチかも・・・もちろん、私が叱られてしまうのは、どうでもいいことなのけど、ただ、あのお客さんの「私が悪いのね、あきらめるわ」の言葉が私の頭から離れない。

上司のいる部屋のドアを小さくノックする。「あのう実は・・・」とそれまでのことを上司に説明する。普段は、あまり好きではない上司ではあるけれど、こんなときには、やはり、一番、私にとっては頼れる存在だ。その答えを、きっと何か出してくれるはず。たとえどんなに、けなされたとしても・・・。


「それは大変だったな・・・」

意外にも、上司は私を叱ることもなく、静かにやさしくそう言った。「お客さんが引き下がってくれなかったら、渡すしかなかったかもしれないな」上司は苦笑いするように、そうも言った。

「私はやはり、間違っていたのでしょうか?」そう言いながらも私は、責任の持てない自信のなさに、思わず自分がイヤになった。

「正しいも、間違いも、たぶんないだろうな。お客様を信じることも大切なこと。でも、私達は商売をしている。大事なお金、物を扱っていると言うことも忘れてはいけない。お客様を大切に思うのと同じように、それらも大切に扱わなければならない」

私は意味がよくわからなかった。

「つまりはだ、今回は、うちの商品の渡し方に問題があったのかもしれないし、または、お客様の、ただの思い違いかもしれない。もしも、うちのミスであったなら、お詫びをして、商品をお渡しすればいいだろう。でも、もしも、そうじゃなかったとしたら、お客さんにしてみれば望んでいたことで、とりあえず、喜んで頂けるかもしれない。でも、店は確実に損をする。それは商売ではないし、お客様もそれを望んではないはず。あとでお客さんが自分の間違いに気づいたとしても、とても気まずくなってしまって、二度と店には来ていただけないだろう。渡すことが正しいでもないし、渡さないことが正しいでもない」

「それじゃ、どうすれば・・・」

「もっと、話を聞く必要があっただろうな。唯一の君の間違いは、すぐに私に知らせなかったこと。君ひとりじゃ、判断できなかっただろ?そして、君のよかった対応は、安易にすぐに渡さなかったこと・・・つまりは、そういうことだ」

普段は偉そうな態度しかしない上司で、私は随分と嫌っていたのだけど、そのときだけは、まるで別人のように見えた。そこに明確な答えが見えたわけじゃないのだけど、私にとっては、偶然に解けた方程式のような、そんな喜びがそこにあった。

「もしも、そのお客様から電話があったなら、今度は私が話しを聞こう」そう、上司は言ってくれた。この人のそんな優しさが見つけられたのも、今回のクレームで得た大きな収穫だった。


・・・・・
そして、何事もなく、その日の店の営業時間は終わった。結局のところ、その後、あのお客さんから電話がかかることはなかった。本当にあきらめてしまったのだ。あのとき、どんな思いでいらっしゃったのだろう。

今回のことで、本当に悪いのは、たぶん、私の優柔不断さと、そしてお客様に、あんなセリフを言わせてしまったこと。

「私が悪いのね、あきらめるわ・・・」

最終的にその言葉で、私はお客様に助けられた。いや、きっと助けてくださったのだ。あのお客様には、結局、得た物は何もなかったけれど私にしてみれば、失くしたもの、得たものが、この日の中にそれぞれに・・・ ある。

そう思った。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一