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クレーム日記と傷つけた言葉と。

言葉というものは、本当に不可思議で、捕らえようのないものだなと思うことがある。昔、まだ、ブログという言葉もなくて、私が「電器売場店員のクレーム日記」というサイトで日記を書いていた頃のこと。

訪問者の方から頂くメールのそのほとんどが、励ましや、共感のメールで私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。けれども、たまに私に対する批判のメールが届くこともあって、その度に私は謙虚に(時には落ち込むこともあったけど)反省をしたりしていた。

でも、中には私の人格さえも否定したような傷つける言葉で、私を攻撃するというものも実際にあった。

ネット上では、不特定多数の人たちが私個人の日記を見ることになる。私もそれは当然、覚悟の上で書いてはいたけれど、やはり心は傷ついていた。

私の好きなコラムニスト、田口ランディさんが、昔、エッセイの中で確かこう書かれていたのを覚えている。

”毎日何百通と届くメールの中には、汚い言葉で私の文章を罵り、思わずもうネットコラムなんて書くものか!と思ってしまうメールもあるけれど、そんなメールには、そのままそのメールごと返信するようにしています。自分の書いたその文章を読み返した時、何か大切な見落としにその人が気付いてくれると私は信じているのです。”

この言葉は、私に多くのことを教えてくれた。私も時として、仕事上でのクレームのひどさについ、どうしようもない日記を書いてしまうことが多々あった。昔は読み返すこともなく、言葉を投げ捨てるようにしてネットに公開していたこともあった。ちょうどそんな時だったと思う。そういう心無いメールが届いていたのは。

怒りや恨みの気持は、一時、その自分から離れてみないと本当の素直な気持ちは見えてこない。自分の文章と言うものは、その言葉の意味だけでなく、その気持ちが醜く激しければ激しいほど、その見えない心まで伝えてしまう。その行と行との空白すら、息をひそめてじっとしている醜い獣のような気持ちさえ伝えてしまうのだろう。

だから、私は自分の書いた文章は、必ず何度も読み返すようにしている。このエッセイやメールや、日常的に書くありきたりな言葉までも、繰り返し、繰り返し。

それはうまい文章を書くためじゃない。この言葉は、誰かを傷つけたりしないだろうか?本当にこの言葉でいいのだろうか?

そのことを思いながら。

ちょっとしたイラついた自分のメールや文章が、思いがけず、大切な人を哀しませてしまった、なんて経験が、誰にでもあるのかもしれない。あらためてその自分の文章を読み返したとき、途方に暮れてしまった人もいるのではないだろうか?

写真は真実を写すけれど、言葉はその自分の心を、ありのまま写すものだと私は思っている。

あの頃、私がネット上に日記を書くようになって、知り得た大切なことがある。”その言葉が誰かを傷つけるかもしれない”という大きな気持の持ち方だ。それはつまり、見えない相手のことを大切に思うこと。相手のことをまず考えると言うことが、私は実に下手だったと思う。

昔の日記で、ある差別用語のことを気付かないで、冗談のように私が書いたところ、メールでことの重大さを教えて下さった方がいた。

私は”なんて大げさな”と思ったが、その後、届いたいくつかのメールから見知らぬ誰かのことをひどく傷つけてしまった事実を知ることになり、私は悲しみに暮れながらも、お詫びの文章を書いた覚えがある。

そのおかげで私の心の視野は大きく広がった。それは長い長い眠りから目が覚めたと言ってもいい。まるでトンネルの中から抜け出た時の果てしない広がりのように、私は誰かの心を常に思うようになった。もちろん、それはまだ完全じゃないけれど、とても小さくて大きな一歩だ。

昔、頂いたメールの中に、こんな言葉があった。

”息子が登校拒否をしていて、毎日が死にたい思いでしたがあなたの日記に励まされ、息子と話し合う勇気を持てました。”今では息子は学校に通っています。”

そのような感謝のメールを頂いて、私はパソコンの前でずっと涙を流していたのを覚えている。私のほうこそが、いつも誰かにこうして励まされ、どれだけ勇気をもらったことだろう。

私はとても弱い人間で、自分にも他人にも甘く、どちらかというと、この社会ではイヤになるほど不器用で、うまく世の中を歩いてはいない。

登校拒否の息子のことで悩んでいたその母親も、私の言葉は、そのきっかけにしかすぎず、その母親の勇気の前に、私はただ、涙を流すしか術を知らなかった。

私には何も力はないけれど、こうして心を言葉に変えて、ありふれた気持を伝えることができる。それすら特別な力じゃないけれど、私にとっては、それはかけがえのないものだ。

今はもう、遠いあの頃を心のどこかで想いながらも、私は深く心に刻んでいる。写真は真実を写すけれど、言葉は自分のその心を写すとても大切なものなのだと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一