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彼の長い一日。

あの日は長い一日だった。クレームがあった。

お歳暮の品が、まだ、届かないことから起きてしまったこのクレーム。ふたを開けて見れば、それは、とても単純な原因だった。商品がすでに完売していたにもかかわらず、それを知らなかった担当の彼が、ノーチェックのまま受付をしてしまい、配達もされないままだったという、あってはならないことが起きてしまった。

怒ったお客さんの罵声は店内にとどろく。担当者の彼は、ひたすら謝り続けていた。突然のことで、そのとき私はまだ、事情を知らないでいた。

イライラが止まらないのか、やがてお客さんは信じられないことに店内でタバコを吸い始めた。今時、どの店だって禁煙だ。うっかりだったのだろう。嫌がらせではないにしても、タバコの煙がそのクレームを、まるで象徴するかのごとく、ゆっくりと人々の間を広がってゆく。

担当者の彼はその行動に、オロオロするばかりだった。当然、灰皿など、ココにあるはずもなく、タイミングを見計らって私はすぐにお客さんのそばからそっと声をかけた。

「灰皿がありませんので、タバコは私が処分致しますから・・・」

そう言う私にお客さんは、どんな汚れた言葉も使わないで、ただ、そっとそのタバコを差し出した。私は丁寧にお辞儀をすると、まだ火のついたままのタバコを喫煙所の灰皿のある場所へと持ってゆく。

小走りになりながらも、私は片隅で考える。あの人に、悪い人を演出させてしまったのは、結局は私たちのせいなのだろうと。

何度もお詫びをし、その日は、お客さんに帰っていただいた。ただ、成す術がなかったのだが、その代わりに担当の彼は、たった一つの約束を残していた。”精一杯の努力をします”というそんな不確かな約束の言葉を。

お客さんは、怒りの感情を抑えながらも帰って行かれた。私にしてみれば、感謝の気持でいっぱいだ。曲がりなりにも、私たちを信じてくれたのだから。

こんな私たちには時間が欲しかった。そのクレームを解決するために、ありとあらゆる手を尽くしたかった。それこそ、彼の言葉のとおりに一生懸命に努力し続けるために。

何度もあきらめそうになる。担当者の彼は何も出来ないで、私の隣で泣きそうになっている。今は私は何も言わない。言えばきっと、慰めてしまう。それでは何も解決しないことを私はすでに知っている。心の傷を修復するのは、今はクレームが終わってからだ。

やがて、ちょっとしたことから、その解決の糸口が見つかる。届きそうなかすかな光が、その答えを示してくれている。それでも私たちは、まだ、喜べやしない。結果はいつもお客様が出すのだ。イエスかノーか。そのどちらかをお客様が。

私は担当者にその受話器を渡す。担当者は、驚いた顔をして私を見てる。私はこう、彼に言う。

「一生懸命、努力をしますと言ったのは君だろ・・・」

受話器を持ったまま震えるようなひとさし指で、時間をかけながら、お客様の電話番号を押し続ける彼。

私は心の中でそっと思う。
あのお客様なら、きっと、きっと。

やがて、彼の泣きそうなままの
笑顔が結果を教えてくれる。

目の前の彼は受話器に向って、何度も何度も
同じ言葉を、繰り返し続ける。

やがてその言葉は、まわりにいた私たちの
心にも届いていた。

”ありがとうございます、
本当にありがとうございます”
と。

それは同時に、いつもの夕日が沈むように
彼の長い一日の終わりを教えてくれていた。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一