謎のチェックおじさん。
いろいろなお客さまを見てきた。長く接客業をしていると不思議なお客さまの行動に頭を悩ますことがある。
これはもう、随分と昔のことだ。私がまだ、家電量販店で働いていた頃のこと。週末のチラシの初日に、必ず来店されるお客さまがいらっしゃった。
いや、チラシの商品が目当てだろうし、来店されて当然じゃないか?と思われるかもしれないけれど、そうじゃないんだ。
私が初めてそのお客さんに声を掛けられたときのこと。確かチラシのテレビか何かだったと思う。「これはどこにあるの?」指でチラシを指し示しながら私に聞いてきた。私は「こちらです」とテレビ売場にご案内して、接客しようとした。当然、テレビを買いに来られたと思ったからだ。でも、そのお客さんは、すぐに私にまた尋ねたのだった。
「これはどこにあるの?」
今度はチラシの洗濯機だった。まとめて買われるのかな?と思った私は、少し不思議に思いながらも、洗濯機売場へとご案内した。そしてチラシ商品を確認すると、「このラジカセは?」と、また次のチラシ商品の場所を聞いてきたのだった。
そんなことをくり返し、すべてのチラシ商品をチェックし終わると、お客さんは何も買われることもなく、それでも礼儀正しく「どうもすみません」と言って帰ってゆくのだった。
なんなんだこれは?
要するに、そのお客さんは、チラシの商品がちゃんとあるのか?一点一点、すべてチェックをされるが目的のようなのだ。左手にチラシ、右手にボールペンを持って、チェックする。売場にあったら、チラシのその商品に丸印をする。それをくり返してゆくのだ。
そのお客さまは、四十代くらいのおじさんだ。いつしか私たち店員のあいだで、そのおじさんのことを、こう呼ぶようになった。
「謎のチェックおじさん」
そのチェックおじさんは、必ずチラシの初日の夕方に店に来られた。(普段はサラリーマンなのだろうか?)そしてチラシを一品一品チェックしてゆく。売場の場所がわからないと、店員に聞いてくる。とにかく不思議で仕方がなかった。
どこか他の競争店の店員なのだろうか?うちの本部の抜き打ちチェックか?それとも政府の何かの極秘の調査なのだろうか?とそんなことまで考えるようになった。とにかく、とても丁寧な口調なのだけど、まじめそうな背広姿とチラシと商品を見つめるその真剣なまなざしに、謎が謎を呼び、次第に私たちは恐怖するようになったのだった。
そして、こうも思うようになっていた。「あんなふうに一生懸命にチェックしてるけれど、もしも、チラシ商品を切らしていたら、どうなるんだろうか?」と。
チェックおじさんが店に来るのは、決まって夕方だったから、何度かチラシのビデオテープとか、安い商品が売り切れていることがあった。
チェックおじさんに、恐る恐る正直に品切れを伝えると、ため息交じりに「あぁ、そうですか・・・」とその度、チラシにバツ印が入った。特別、怒られることはなかったけど、どこかの政府の秘密調査機関じゃないか?と疑っていた私たちは、もう恐怖でしかなかった。(今思えば、そんなことはありえない。)
そのおかげというか、チラシの初日は必ず品切れさせないように、一生懸命に努力したものだった。(あの頃はゆるい時代だったし、しかも電話で発注してた時代だ。チラシの品切れなんて結構あったのだった。)
いつものように、商品を買うこともなく、チェックおじさんが真剣なまなざしでチラシをチェックしていたときに、私は意を決して一度だけ、おじさんに聞いてみたことがある。
「あのう・・・、これは何のためにされているのでしょうか?」
すると、そのおじさんは、前かがみの姿勢のまま、真剣なまなざしで、私を見上げ、やがて、小さく微笑んで、こう答えたのだった。
「あぁ、これね。私の趣味なんです」
それから私はしばらくして、その店を転勤してしまったので、その後、あのおじさんがどうなったのかは知らない。それが本当におじさんの「趣味」だったのかも定かではない。
でも、あのチェックおじさんのおかげで、チラシの商品を切らすことなく発注を頑張ったものだから、その店の売上は好調だった。ある意味、感謝すべきなのだと思う。
それにしても、今も謎のままの不思議なお客さん。
あれ?今思えば、私がおじさんにあの質問をした後に、なぜか私は転勤になったのだけど、まさか・・・
いや、そんなことはないと思うけど。
あれ??
(・・・なんてね、転勤は全く関係ないです。失礼!)
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一