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あの日の勇気と過ちと。

あの頃、家電製品の修理を受け持つSさんというサービスマンの方がいらっしゃった。Sさんは、もう50を過ぎた年配の男性で、なぜか私のことを「青木ちゃん」と、いつも明るい笑みを浮かべ親しみをこめて呼んでくれるのだった。

もちろん私も、そんなSさんのことが、大好きだった。

家電の修理は、ほとんどの場合、クレームはオプションみたいについてくる。「早く直せ!交換しろ!修理したばかりなのにまた壊れた!金を返せ!」そのクレーム自体は、現場の店員である私が対応しなければならないのに、Sさんは自ら売場に出て、お客様に、なぜ故障したのか?どうして時間がかかるのか?を具体的に説明してくれるのだった。ほとんどのお客様が、それに満足して帰って行かれた。それは家電の知識だけではなく、Sさんのやさしい人柄によるものが大きかった。私は何度、それで救われたことだろうか。

「実際に修理する者じゃないと、そういうことはわからないからなぁ。でも、どんなお客さんも、事情がわかれば許してくれるものだ。ダメなのは、わからないことを、いい加減に誤魔化してしまうことだから」

そんなSさんが、私にはとてもまぶしく見えた。

ある日のこと、冷蔵庫をお買い求めのお客さんがいらっしゃった。たまたま、私がほかの接客で手が離せないでいると売場に顔を出してくれていたSさんが、その接客を受けてくれた。(Sさんは、修理のサービスマンではあるけれど、人手が足りないときには、よくこんなふうに接客を手伝ってくれていた。)

私の接客が終ると、Sさんもお客様のお買い求めの冷蔵庫が決まったらしく私のいる配達カウンターへと、お客様をご案内してくれた。

”助かりました、Sさん”と私が目で合図するとSさんは、いつものように微笑みながら、私に配達伝票を渡してくれた。「この冷蔵庫ですね」と私は伝票を見ながらSさんに確認した。するとSさんは、でも・・と言う感じで私にこう言った。「下取りもあるからそれもお願いね。あと、どうしてもお客さんが、朝の10時までの配達希望だったから時間指定で受けたよ。大丈夫だよね?」

それを聞いて私はお客様の住所を確認した。するとそれは、時間指定の受付が出来ない地域だった。以前もその地域で時間指定を受けてしまい配達業者から厳しく注意を受けたことがあった。あわてて私は、Sさんの横を通り過ぎ、カウンターで座って待ってるお客様に説明をした。

「お客様、申し訳ないのですが、お客様のご住所は配達時間の指定が出来ない地域でして…」説明すれば、きっとわかってくれると、私は簡単に思っていた。でも、そのお客様は、私の説明を聞くと突然に、顔を真っ赤にして怒鳴り始めたのだった。

「何を言ってるのよ!あなた!さっきの店員は時間指定でもいいと言ったのよ!ちょっと、いい加減なことを言わないで!そうとわかれば、お宅で冷蔵庫なんて買わないわよ!ちょっと、責任者を呼びなさいよ!いや、店長を呼んで!すぐによ!」

それを見ていたSさんは、驚きながらも、そのお客様に「僕のせいですから」とお詫びをしつつ”1件ぐらい、なんとかならないか?”と小声で私に言ってきた。けれども前回の件で、配達の人にこっぴどく私は叱られた。それはとても無理だと思った。

「私がココの責任者です。本当に申し訳ございません・・・」

私はそう言うと、何度もお客様に頭を下げた。何度も何度でも。結局お客様は愚痴をこぼしつつ、時間指定なしで許してくれたものの、とても後味の悪い空気を売場に残して後にしたのだった。

そのとき私は、「自分のせいじゃないのに!」という最悪な気持ちだった。その不機嫌な気持ちのまま、私はSさんにこう言った。

「Sさん、接客を手伝ってくれるのは助かるのだけど、そういう約束事は、ちゃんと前もって、僕に知らせ欲しい」と私はやんわりとお願いしたつもりだったけど、言葉はとがっていたかもしれない。

Sさんの返事はこうだった。

「わかったよ。もう僕は二度と接客しない。二度と売場には顔を出さないよ」今まで見たこともないような怖い表情でSさんは私にそう言うと、その言葉の通りに、売場から出て行ったのだった。

そのときの私の心はたぶん、怒りや憤りでいっぱいだったのだろう。それが、たぶん、Sさんに伝わってしまった。こんな私はただ、動けず、そのまま途方に暮れるしかなかった。

それからSさんは、売場に出ることはなかった。ただ、修理室で、黙ってひとり、修理をしている日々が続いた。

「Sさん、どうしちゃったんですか?最近、売場にも来なくなったし、あまり笑わなくなっちゃったし」何も事情をしらないアルバイトの女の子が、そんなふうにぽつりと言った。

私は意を決して、修理室へと向かった。あのときから思ってたことを、ちゃんと伝えなければと心は何度も繰り返していた。ドアを開けると、Sさんは、壊れたラジカセを修理していた。「何か修理の催促でも?」とSさんは私を見ずに言った。「いえ、僕はそのう、Sさんに言いたいことが」

手を休め、Sさんは、少し真剣なまなざしで私を見た。

久しぶりに向き合ったというのに、なぜか私は泣き出しそうになっていた。でも、ちゃんと伝えなければと心に何度も言い聞かせた。あれからずっとあっためてた、Sさんへの私の言葉を・・・。

夕日が窓から見えていた。
私ははじめてSさんに、大きく頭を下げたのだった。

「あの時は、本当に申し訳ありませんでした。僕が間違っていました。お客様の要望に、無理をしてでも配達の人にお願いすれば、なんとか出来たはずなんです。でも、僕がつい、それを怠ってしまいました。なのにまるで、Sさんが悪かったように僕が言ってしまいました。本当は、すべて僕が悪かったんです。だから、だから・・・」

気づけばそれから、ほとんど言葉にならなかった。まるで、冷たい態度のままの親の許しを乞う子供のようだった。そして、Sさんは、窓から差し込む日差しのようにやわらかく私に、こう言ってくれたのだった。

「どうして青木ちゃんが謝るの?君は何も間違ってないよ。間違っていたのはね、僕のほう。だから、謝るなんて必要ないよ。ただね、僕は驚いてしまったんだ。あのとき君が僕の間違いで、お客さんに叱られてそして、お客さんに一所懸命にお詫びしている君の姿にただ、驚いてしまったんだ。僕は何も知らないで、余計なことをしてしまった。そう心から反省したんだ。だから売場に出ないほうがいいと僕なりに、そう思ったんだ。だからね、謝るなんて必要ないよ。だから、もう、顔を上げて・・・」

私はそのとき、たぶん、泣いていたのだと思う。私はてっきりSさんは、私に対して、怒っているものとばかり思っていた。だから売場に出ないことで、言葉なく怒りをあらわしているのだと思っていた。

でも、そうじゃなかったんだ。

恐らくはじめはSさんも、随分と不機嫌な思いをしたのだと思う。でも、Sさんは、ちゃんと自分のことを反省して、私に二度と迷惑をかけないようにと、売場に出ないと決めただけだったのだ。

私は自分の気持ちを恥じた。どうしてSさんが私のことを、怒っていると決め付けてしまったんだろう?どうしてもっと、Sさんのことを、信じることが出来なかったのだろう?

人の心は見えないから、時としてそんな小さなすれ違いが、大きな間違いに繋がってしまう。たとえ、どんなに傷つけあった仲でも、ひとりの夜はお互いに、見えない心を哀しんでいる。そして、その哀しみは、いつしか互いに相手を思いやっている。時としてすでに許していることすらある。

でも、どうしても、それを知る術が人にはないから、あの怒りの感情のまま互いの時は止まってしまう。自分にとっては相手はずっとあのまま冷たい言葉のままなのだと。

あの出来事は私にそんな、思いを抱かせてくれたのだった。

それからのSさんは、また、時々、売場に顔を出してくれるようになった。積極的に接客はしないにしても、商品不良などのクレームの時には穏やかにお客様に説明をして、やがて、使い方の間違いだとわかると笑顔でお客様は心から、Sさんにお礼を言うのだった。

あの時、Sさんに思い切って、謝って本当によかった。どんなときも謝ることは、とても勇気の要ることだ。出来れば避けてそのままにしたほうが、よっぽど楽なのかもしれない。

でも、私の勇気は間違いじゃなかった。こんな私でも間違いじゃなかった。Sさんの本当の気持ちが、そのおかげでわかったのだから。

あれはもう、かなり昔のことだ。なんて懐かしいんだろう。今、こうして思い出してみても、泣き出したいほどやさしい気持ちが蘇る。今も私はあのときみたいな苦しみに出会うとき、不思議とSさんのあの言葉が心に蘇ってくることがある。

「君は何も間違ってないよ・・・」

あの頃のままのSさんが、まだ、私を励ましている。そして、あの頃のままの泣き虫の私が、今もひとりココにいる。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一