叶わない夢の意味。
子供の頃、そして、ずっと若い頃。
今は無理でも、いつかこうなりたいなぁとか、今はだめでも、いつかあんなふうになりたいなぁとか、そんな夢があの頃は、いつも心の中にあって、いつかきっと、いつかきっと、なんてずっと思っていた。
時々、あの時の気持ちを思い出すことがあって、また、同じように「いつかきっと」なんて懲りずに、また何度も思ったりする。
そんなとき、私はふと、気づいてしまう。
いつかなんて、とっくの昔に過ぎていたことを。
いつかなんて、すでにあの頃になってたことを。
とっくに人生の折り返し地点を過ぎて、なんとなくぼんやりと、その終わりも見えてきた。別に何かを悲観しているわけじゃないけど、ただ、柔らかな日差しの中でぼんやりと、昔を懐かしむような気持ちなのだ。
夢を叶えられる人は、ほんのわずかな一握りの人たちだ。ほとんどの人たちが、その夢を叶えられずに、生活のため、お金のために仕事をして、そんな中でも小さな幸せを感じて、そうして時が過ぎてゆく。
叶わなかった夢に、何か意味はあるのだろうか?とふと思う。
きっとそれは、もうすでに意味とかそういうものじゃないのだろう。夢は追い続けるもので、その中で僕たちは知らないうちに、いくつもの幸せを見つけている。
それは特別なことじゃない。
夢も幸せになるための、いくつもの想いのひとつなんだ。
誰かを好きになること。何気ない風景が美しいと思えること。そんないろんな日々の想いと、たぶん同じなのだろう。
だから私は、きっと明日も思うんだ。
いつかきっと、という思いで、また、夢を描くんだ。そうして夢を追い続ける中で、いつか人生が終わったとしても、私は幸せなのだと思う。夢がなければ、たぶん私は、そこまでたどり着くことはできなかった。
そう思うと、叶わない夢にも、きっと、必ず意味がある。いくつもの小さな幸せを知るために、夢はその終わりの場所まで、僕らを連れてゆくのだろうから。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一