夕暮れ時は淋しそう。

ふと、見上げると、橙色の寂しそうな夕暮れが空一面に広がっていた。街を歩いている人も、なんとなくどこか寂しそうに見える。

図書館に来るときは、まだ、こんな景色じゃなかったのに、外に出ると、まるで映画館から出た時の不思議な違和感のように、そこにはもう、夕暮れの淋しさが街に満ち溢れていたのだった。

”夕暮れ時は淋しそう”

ふと、そんな歌のタイトルが私の中で蘇った。それはまだ、ニューミュージックという言葉さえなかった頃の、かなり古いフォークソングだ。歌っていたのは、確かNSPというグループだったと思う。

その歌に、私はなんだか押入れを整理していたら突然、頭から昔のアルバムが落ちてきて、いつしか、そのアルバムを眺めているような、そんなどこか懐かしい気持ちが込み上げてきて、遠いあの頃を思い出していた。

この歌を思い出すと、私はいつもあの頃の姉のことも一緒に思い出す。この歌は、姉がよく好んで聞いていた歌だったからだ。まだとても幼かった私は、その歌の意味もわからずに、ただ、そのもの悲しいメロディだけは、いつまでも心に残っていた。

姉は私と10も歳が離れている。姉がまだ高校生くらいだった当時、私の家は決して楽な生活と言うわけでもなく、母はパートの仕事をいつも遅くまでしていて、幼い私は小学校から帰ると、まだ真新しいランドセルからカギを取り出し何の疑問を持たないで玄関のドアを開けていた。

「ただいま」

私はいつもそう言って家に入った。
もちろん返事はない。時計の音だけが、いつもカチカチと響いていた。

・・・・・・
やがて姉が学校から帰ってくると、姉はすぐに洗濯や掃除などをして忙しい母の代役をこなしていた。あの頃、家族の夕食の支度さえ、姉の仕事だった。幼い私には友達もいないので、ただ、忙しそうにしている姉に”ねぇ、お姉ちゃん、遊ぼうよぉ、遊ぼうよぉ。”と駄々をこねては姉を困らせていたのだった。

でも、姉は幼い私にいつもやさしく「洗濯物を片付けたらね」と手を休まずに微笑んでくれた。約束通り、姉は洗濯物を片付けると、私とバトミントンをして遊んでくれた。私はとても楽しかった。でも、姉はいつも、ちっとも楽しそうじゃなかった。

もしかしたら、幼い私とのこんな遊びも、家の仕事のうちと考えていたのかもしれない。たぶん、私とバトミントンなんて本当はしたくなかったのだろう。でも、遊ばなければ、私がきっと大声で泣くので仕方なく・・・というのが本音だったのかもしれない。

私は幼い心ながらもそんな姉に、どこか悲しい気持ちでいた。”お姉ちゃん、ごめんね、ごめんね”と心でつぶやきながらも、でも、幼い私は遊びたい気持ちがいっぱいで、姉が夕飯の支度をするまでの、わずかな時間を急ぐように遊んでいた。

「あぁ、もうこんな時間。ごめんね、もう夕食の支度をしなくっちゃ」

そう言う時の姉の悲しげな笑顔が一番辛かった。それは、決してもう遊べなくなったからという意味じゃなく、姉のどこまでも寂しげなやさしさに、ただ、悲しかったのだと思う。

たかが小学1年くらいでそんな切ない気持ちになるのか?と自分に対し疑問に思うけど、でも、私は確かに姉に対し、そんな切なさを抱いたのだった。

やがて姉が家の中へ戻っていっても、私はしばらく空を見上げていた。そこにはいつも、橙色の夕暮れが広がっていた。

あの頃、幼い私の小さな不安は、いつもこんな寂しげな夕暮れの中に潜んでいて、時々、こんなふうに私を困らせてしまう。今は遠く離れて暮らしている姉に、私は一度も聞いたことは無いけれど、あの頃、姉は一体何が幸せだったのだろうか?

今もそんなふうに思う私がいる。

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あの頃の夕暮れ時。いつも私は狭い台所で、姉が夕食の準備のために包丁をトントンと鳴らす音を、その後姿を眺めながら聞いていた。そんな時、姉はいつも決まって小さな鼻歌を歌い、時折、口ずさんでいた。

それはNSPのあの歌だ。

”夕暮れ時は淋しそう。
とってもひとりじゃ、いられない”

姉はいつも、ひとりだった。

でも、そんな姉の唯一の幸せな時は、もしかしたら、あの夕暮れの中にあったのかもしれない。なぜか、そんなふうに思う、いや、願っている私がいる。

家までの帰り道。
あの頃と同じ橙色の夕焼けが
まるであの歌のように
星たちの訪れを待っていた。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一