目に映るすべてのことは。

また、写真を撮るようになってから、この目に映る風景が、たまらなく美しく見えるようになって、カメラに収めたい衝動に駆られてしまう。

たとえば、外を歩いていて、とてもきれいな花を見つける。カメラを持っていたらカメラで。なかったらスマホで撮りたいと思う。けれど、人んちの玄関先に咲いてる。うぐぐ、ってなる。撮りたいけど撮れない。挙句の果てに玄関のチャイムを鳴らして「写真を撮っていいですか?」と言いたくなる。(もちろん、そんなことはできない。)

車を運転していても、美しい風景を見つけることがたくさんある。そんなときに限って簡単に駐車できない。うわぁぁぁぁってなる。撮りたいけど撮れない。結局、しょぼんとした気持ちになって、通り過ぎるしかなかったり。

そんな葛藤と闘いながら、その美しい花や風景を通り過ぎてゆく。やれやれ。ちょっと困ったことになっている。

私は思うのだけれども、どんなにきれいな写真でも、たとえそれが有名な写真家の撮ったものでも、この目に映る風景が、一番美しいのだと思う。その美しさを人はどうしても誰かに伝えたくて、そして残したくて、写真を撮るのだと思う。

誰かが残してくれた四角く切り取られた風景も、この目に映る風景も、私は愛を慈しむように、大切に見つめていたいと思う。

そして、今、私はこんなふうにも思う。

誰もがカメラさえ持っていれば、とても偉大な写真家なんだ。だって、その人の目の前に広がる風景、その季節、風、光、その瞬間は、その人でしか写せない。どんなに有名な写真家でも、どんなにプロの写真家だとしても、その瞬間は誰にも写せない。今、その目の前にいるその人でしか写せないのだ。そしてその美しさを残せるのも、その人しかいないのだ。

それはなんて、かけがえのないことなのだろう。そう思うと、今を生きてるひとりひとりが、いかに大切かってこともわかる。写真だけじゃない。その人にしかできないことって、こんなにもあふれているんだ。誰もがみんな、素敵なクリエイターなんだ。

空はどこまでも晴れ渡っている。ユーミンのあの歌のように、どんなにありふれた風景だとしても、目に映るすべてのメッセージを、私は残らず受け取っていたい。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一