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飲み会が嫌いだった。

仕事仲間で年末の飲み会があった。40人くらい集まった。正直言って、私は飲み会が苦手だ。人とおしゃべりを楽しむということが、そもそも無理で、仕事以外となると何を話していいのかわからなくなる。

かといって、ひとりぽつんとお一人様になることほど、飲み会でみじめなことはない。それでこれを切り抜ける私のいつもの手段としては、ひたすら食べるというものがある。”こいつはモーレツにお腹を空かしてるんだな”と思われるくらいに食べる。会話をする暇もないほどに。そして誰かの会話に適当に、相づちを打つというもの。

ただしこれには欠点がある。お腹いっぱいになって苦しくなる。本当に苦しい。当たり前すぎて自分は何をやってんだと思う。でも、ペースを落としてしまうと、酔っ払った人がやってくる。”こいつは退屈しているんだな”と気づかれてしまうと最後だ。その餌食になってしまう。

酔っ払った人が私は苦手だ。いや、言い切ってしまおう。嫌いだ。大っ嫌いだ。酔っ払ってバカ騒ぎをする人がもっと嫌いだ。もう、ほうきで履いて捨ててしまいたいほどに。

あと、タバコが嫌いだ。大っ嫌いだ。私は生まれてこのかた、タバコを吸ったことがない。あの匂いがダメなのだ。居酒屋はまだ、禁煙ではないところがほとんどだろう。というか、まだ自由に吸えるのだろうか。少なくとも私の住んでる街ではそうだ。タバコの匂いがかすかに漂うと、私の心の危険センサーがギラリと光る。普段なら、その場から逃げてしまえばなんとかなるが、居酒屋ではそうもいかない。死んでしまいそうだ!うぅーわぁー!

しまった。つい、言葉がおかしくなった。飲み会が苦手なことを軽く語るつもりが、つい、今までの想いがあって熱が入った。

違うんだ。言いたいことはそこじゃない。今回は飲み会を楽しめたということを言いたいんだった。その理由は、ずばり、今、書いているこのエッセイのおかげだ。またエッセイを書くようになって、この頃、人との会話が楽しくなった。

人が何を考えているか?に、この頃、すごく興味があるのだ。これはこのnoteで他の方のエッセイや日記を読むようになって、そうなったのだと思う。普段の生活の中で、人の心の中って当然、見えないからわからない。でも、ネットの中の言葉で、それを知るようになって、なんとなくだけど誰もが皆同じだと思うようになったのだ。

なんだ。自分はこんなことで悩んでいたけれど、君も、あなたもそうなのか。そうかそうか、とまるでその人の肩を叩いているような気分になる。

だから私は誰かと会話を楽しみたい。もちろん、苦手な人もいるけれど、それはそれでいいのだ。逆に、どんなふうにして、そういう人と会話を楽しもうかと、それを楽しむ私がいる。そしてそれをエッセイに書けたらしめたものだ。動機はやや不純でも、書くネタが出来たと思えばそれでいい。

とにかく、人と接するのが楽しくなった。私は自分が大きく変わったのが、とてもよく分かる。何の変哲もないこんなエッセイで、私は自分の人生が変わったと言ってもいいくらいの変化なのだ。

これもこれを読んでくださっているみなさんのおかげだと思う。感謝の気持ちでいっぱいだ。人生の後半で、こんなにも心が潤うなんて思わなかった。

さて、飲み会の出来事を書くつもりが、感謝の気持ちを書いただけでお腹いっぱいになってしまった。

やれやれ。私はもう、逃げたり隠れたりごまかしたりする必要がないのだ。私は人と会いたいのだ。そして、その人の心に出会いたいのだ。さて、そこにはどんな物語があるのだろう。

私きっと、腹を空かせて待っている。

もう、逃げたりしない。おいしいビールを片手に、その人を待っている。逆にそばに寄ったりもする。そして、その人との会話でお腹いっぱいになるのを、私は秘かに楽しみにしているのだ。

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最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一