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ウルトラマンにはなれない。

幼い頃、私は・・・
たぶん、あれは幼稚園のときだったか・・・

いつも心配事があった。

「大人は大きくなるけれども、このまま僕が大きくなって、ウルトラマンぐらいになったらどうしよう?」とか「大人になると、女の子と結婚するけれど、一緒のお風呂に入るのは恥ずかしいなぁ、どうしよう」とか・・・(これは小学校低学年の頃だったかも?)

今思えば、なんて変な(ませた)子供だったんだろう。でも、子供なりに、結構真剣に悩んでいたのだと思う。今もこうして、泡のような記憶が頭の隅にポッカリ浮かんでいるんだから。

まぁ、とにかく、私はこうしてウルトラマンにはなっていないし、お風呂の件は、まぁ、ほにゃららで、世間一般的なものだ。(なんのことだ)

結局のところ、今は笑ってしまうけれど、不安というモノは、つまりは”知らない”ということなんだろうな。知らないことほど、この世に恐ろしいモノはないんだろうな。だから私たちは、あらゆる情報に、そしてSNSに、埋もれても、まだ、知りたがっているんだろうな。

でも、知ったら知ったで、また新たな不安は生まれてくる。”なんなんだ、それじゃあどうなるんだよ?”みたいな強迫観念で。だから、また、知りたくなる・・・そんなことのくりかえし。

つまり、不安は、最初から人に標準装備されたもの。だって人は、生まれたときから泣くんだもの。

さて、今の私のこの不安はどうなんだろう?20年くらい経って、やっぱり、笑えるものなのかなぁ。

それとも、まだ、泣いているのかなぁ。

どちらにしても、やはり私は
ウルトラマンにはなれそうにない。

でも、きっと、それでいいんだ。


・・・・・・・・・・・おまけ。

画像1

娘のちっちゃな頃の写真。何で泣いているのか忘れたけれども、つい、愛おしくなって、この瞬間を残したくて、私が撮ったもの。妻の左手がやさしく娘をなだめている。

それにしても、やっぱりかわいい。

私のちっちゃな頃とそっくり。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一