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方向音痴と初夏の頃。

まだ、初夏の頃のこと。朝一番のクレームに、私はお客様宅へと向うことになった。お客さんが、ひどく怒っているというわけじゃなかったけど、買ったばかりの食品が傷んでいたとのことで”持ってき下さい”とは、もちろん言えるわけもなく、こちらから伺うしかなかった。

その日はとてもいい天気だった。窓を全開にして、私は車を走らせた。風がとても心地いい。空がいつもより青く見える。いつのまにか夏がこの街を、すべて夏らしくしてしまったんだなぁ。

・・・などと、しみじみと思っている場合じゃなかった。

自慢じゃないんだけれども、私はかなりの方向音痴なのだ。くるりと体を一回りすれば、北と南がもうわからない。地図を見てもよくわからない。カーナビを使って行くには行くけど、いつも少しだけ不安を覚える。

別に誇張して言っているわけでもなく
本当なんだから仕方ない。

古いカーナビのせいか、はたまた、その街が新しいせいなのか、うまくその場所までたどり着けなかった。仕方なく車を適当な場所に止めて、私は歩いた。歩けど歩けど、お客さんの番地は見当たらない。というか、電柱に書かれている町名さえ、まだ違っている。根本的に道が間違っている、とわかっていても、その間違いそのものがよくわからない。

どうしよう?困ってしまった。

かれこれもう、20分は歩いている。それなら最初から車でそこまで行けばいいものを、本人は、もうすぐ近くだと思い込んでいるのだから救いようがない。

どこからか、”お昼のニュースです”というテレビの声が、マンションの開けた窓から聞こえている。もう、そんな時間かと愕然とする。どうりでお腹も空くわけだ。さっきから私が同じ道を、うろうろと歩いているものだから、ちょっと離れた場所から見ている、あのおばさん達の冷ややかな目が、とても気になる。

”えーと、どっちだっけなぁ?”とスマホを出しながら、道に迷っている人を演じても(実際に迷っているわけだけど)どこか余計にわざとらしく見える。もちろん、道を聞けそうな雰囲気でもない。

もしも間違ってこの場所で、何か事件が起きてしまったら、真っ先に私が容疑者になってしまうんだろうなぁと思う。まぁ、そうならないことを願いながらも、私はひたすら探し歩いた。

やっと近くの番地を見つけた。お客さんの家は15番地の8だ。よし、ここが12番地だから、この先を行けば・・・えーと、11、10、9ってどんどん離れてるじゃないかっ!(すぐに気付け!)どっちに進めば15番地に近くなるんだ?

こんな時、役立つのが街のどこかに立てられているちょっとした地図の看板。しかし、その地図でさえ、私には役に立たない。

細かく書かれていても、私にはもうわからないのだ。
どうしよう・・・どうしよう・・・

そんな時、どこからか天の声が聞こえた。
「あら、もしかして、店員さん?」

「はぁ?」と私が不思議そうな声を出しながら振り返ってみると「あまりにも遅いので、玄関で待っていたのですよ」とその人が笑った。

まさしく天使の笑顔だった。

なんだ、こんなに近くだったんだ。こうして私はお客さんの家に、やっと辿り着く事が出来たのだった。なんとも、恥ずかしいやら情けないやらの気持でいっぱいだった。

無事に交換し終えて、私は車へと向って歩いた。いいお客さんで助かった。冷たいお茶がうれしかった。手をかざし、そっと空を見上げる。

夏が私を手招きしている。

そう言えば、今度、奥さんと海に行くって約束したっけ?

私は、そんな小さな楽しみを思い浮かべながら
(道を一本間違えながらも)

やがて店へと戻っていったのだった。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一