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哀しくも幸せな言葉。

今までの人生の中で、一番哀しいことは何だったのだろうか?なぜか、ふと、そんなことを考えていた。

私にとってその数は、数え切れないほどだけど、それらと比べようがないほどの哀しい出来事は、やはり父の”死”だったと言える。早いもので、父の死から、かなりの長い年月が流れた。

実は、本当のことを言うと、私には父の死よりも哀しいことがいくつかあった。こう書くと父に叱られてしまいそうだが、それらはすべて父の死と関係がある。

そのうちのひとつは、母がはじめて病院の主治医から父の残りわずかな命の宣告を受けた日のことだ。今もそれは、まるで昨日の出来事のように覚えている。とてもおだやかな暖かい日だった。母は何かを決心したように、震える声で私に教えてくれた。

「お父さんね、もう、長くないんだって・・・」

母は私にそう伝えると、今まで堪えに堪えぬいてきたものが、まるでポンと栓でも抜けたかのように、その場に泣き崩れてしまった。はじめてだった。あんなに声を上げて泣く母を見たのは。

その瞬間、私の周りのすべての音が遮られてしまったような気がした。時が止まってしまった。母の泣き声だけが、どこか遠くに聞こえていた。父のもう長くない命は、その長い闘病生活から、私はなんとなく覚悟が出来ていた。

しかし、目の前の母の涙には、私はまったく覚悟が出来ていなかった。不覚だった。どうしていいかわからない。なんて言葉を掛ければいいのかさえも。

何も知らない飼い猫のミーが「ニャーオ」とかわいい声で母に甘えていた。私は、そんなミーを抱きかかえると、そっと母により添った。何も言えないで、私は母が泣き止むまで、ただ、じっとそばにいた。あの哀しみを、私は今でも言葉にすることができないでいる。

その数分間が私には永遠に思えた。あの時、母は涙を一滴も残さないようにと、すべて流してしまいたかったのかもしれない。母はあれから父が死ぬまで、一度も泣くことはなかった。

そんな母を、私は今でも誇りに思っている。

・・・・・・
私が父の危篤の知らせを聞いたのは、姉からの電話だった。父の危篤の知らせは、それが2度目のことだった。しかし、今度はこれで最後だろうと思った。仕事中だった私は、それを上司に伝えると、そのまま駅まで走った。1分、1秒でも早く、私は息が止まるくらい走りつづけた。

外は夕暮れ時だった。あたりはまるで救急車のサイレンが、どこか遠くに聞こえてきそうな、そんな不安げな夕闇だった。「間に合うだろうか?」私は、流れる汗もそのままに、何度も何度も心の中で祈っていた。当時、転勤で実家から遠く離れて私はひとり暮らしをしていた。家まで新幹線に乗っても3時間はかかる場所だった。

途中の駅で私は家に電話をした。”僕が帰るまで、どうかまだ、生きていてほしい”私は心の中で必死に祈っていた。電話に出た姉が、その時こう言ったのを、今でもはっきりとこの心に焼き付いている。

「うん、お父さんね、さっき亡くなったんだ・・・」

とても静かな姉の声だった。

駅のホームで、忙しそうな人々の雑踏が、私の意識から消えていった。それは、私がはじめて父の死を知った瞬間だった。

「そう」とポツリと答えた私は、なぜかひとり、哀しくも幸せな気持ちでいた。それはとても不思議な感覚だった。本当なら、叫びたいほど哀しいはずなのに、なぜかその時の姉の声が、私に”哀しい”という感情を思い出させなかった。

もちろん、姉も私以上に深く哀しんでいたのだけど、その時の姉は、不思議と”愛しいものに悔いを残さず別れられた幸せに感謝している”とそんな感じがしたのだ。

私は、そんな姉のそれまでの、こんな出来事を思い出していた。

姉は、父が亡くなる半年前から、母の看病疲れのせいもあり、母に代わって病院でずっと父の面倒を見ていた。病室で寝たきりの父は、口に固いホースのようなものをくわえさせられていた。父にとって、それは苦痛に耐えがたいものらしく、何度も外すように姉に訴えていた。

その度に、姉は看護師さんに「このホースを外して下さい!」とまるで狂ったように叫んでいた。しかし、それはどうしようもないことだった。今思えば、姉は、きっと疲れ切った母の代わりとして父の看病に必死だったのだと思う。

姉は父が苦しむ度に、ナースコールのボタンを押した。真夜中であろうと姉は押しつづけた。看護師の人手が足りず忙しいのか、ナースコールをしてもなかなかやって来ないことがあった。姉はその度に、何度も何度も壊れるくらいにナースコールのボタンを押したのだった。

ある日、また、看護師がすぐに来ない時があった。本当に父は苦しそうだった。苦しそうな父を前に、姉はどうすることもできないでいた。一時的に帰郷していた私は父に「もう少しだから頑張って!」と声をかけていた。その時、姉は我慢しきれずに、叫びながら直接主治医のいる中央センターまで、ドタバタと走って行ったのだった。

近くの医師が、そんな姉を慌てて止める。

「ちょっと、あなた、ここは病院ですよ!」

そして、姉はこう叫んだ。

「病院なら、なぜ患者を助けてくれないのよ!」

あの時の姉を、私は一生忘れないだろう。

・・・・・
そんな姉が、「うん、お父さんね、さっき亡くなったんだ」と私に言ってくれた。あの時みたいに泣き叫ぶでもなく、実に落ち着いた静かな声で。

言葉にできない哀しみの中で、姉はまるで幸せな想い出を、私に伝えるかのように、ゆっくりと言ってくれたのだった。それまでの必死だった姉のことを思うと、何か不思議な気持ちだった。

人は生まれる時とは違って死ぬ時は、自分で死に方を決めることができる。父は私達家族に、何一つ不幸せな思いを残さずに、幸せな思いだけ残して死んでいった。あの時の姉の言葉が、それをすべて物語っていた。

私はやがて家に着くと、そこでひっそりと眠っている父を見た。父は家族がよく一緒になって食事をしたり、一日の出来事を話したりと一番幸せな時間を過ごした部屋でひとり、顔に白いきれいな布をかぶせられていた。それはまるでお酒に酔って、上機嫌で寝ているあの日の父のようだった。

それを、母と姉が、ただ見守っていた。

「お父さんの顔を見てごらんよ」母が私にそっと言った。

私は白い布を手に取り、静かに父の顔を見た。
とてもきれいな死に顔だった。

私が父の顔を見ていると、母が声を上げ泣き始めた。知らぬ間に私の目から大粒の涙があふれていたからだった。姉も堪え切れずに母をかばように泣き始めた。電源の切れた静かなテレビを前に、すべての音が涙で埋め尽くされていった。姉が父に何か言いたそうにしていたけど、なかなか言葉にならないでいた。

やっと言えた姉の言葉は私達の心を深く癒してくれるものだった。それは「どうして、なぜ?」という後悔の言葉ではなく「ありがとう…」の一言だった。

あのとき、それは私にとって、一番哀しくも、そして一番幸せな言葉として、いつまでも心に輝いていた。

ありがとう・・・
姉に、母に、そして父さん。

あなたの家族であることを、
私は一生誇りに思う。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一