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怒らなくなったお客様に想うこと。

この頃、お客様が怒らなくなったなぁと思う。

レジが長い行列になっても、誰も怒らずに黙ったまま並んでいる。食品スーパーに勤める私としては、本当にそれが申し訳なくて、いつも悩みの種になっている。

それにしてもおかしいのだ。レジにまだ慣れていないパートさんがもたもたしていても、2台レジが閉鎖されていても、誰も怒る人がいない。レジの人員が圧倒的に足りなくて、レジを開けようにも開けられない。私が指示を出して、生鮮食品で一生懸命補充作業をしている社員たちにレジ応援を依頼する。

社員たちは応援に入ってくれるが、売場の補充が出来なくて、お客様が商品を買えないという本末転倒の状態にストレスはたまるばかりだろう。そんなこともあり、この頃では、私がレジ応援に入ることが増えている。

先日も私がレジ応援に入った。また、長蛇の列だ。お客さんたちはみんな文句も言わずに並んで待ってる。レジがまた、2台閉鎖されている。レジの課長からは事前に人員が足りないことを聞いているのでどうしようもない。

特に夕方遅くは人員不足が否めない。この頃、夕方に客数が集中している。お客様もきっと、忙しいのだ。なおさら何とかしなければならない。でも、慌ただしいレジの中に私は1時間近く立っていると、頭がヒートアップしてしまい、考えが働かなくなってくる。

そんな中でミスが起きた。詳しくは書けないけれども、金銭トラブルだった。確認のためにレジを一時中止しなければならない。最悪だ。

そんな中でも、並んでいるお客様たちは、理解してくれて誰一人としてクレームを言う人がいなかった。数分後に、何とか対処出来てまた、レジを手伝う私。少々慣れない手つきで、私が一生懸命にレジ応援に入っていると、なじみの中年女性のお客様が「大変だけど、がんばってね」と優しく声を掛けて下さる。ありがたくも本当に申し訳なくて、思わず泣きたい気持ちになった。

一昔前なら、こうはいかなかった。

「なんでこんなに並んでいるのに閉まっているレジがあるんだ!」と怒鳴られたり、あからさまに舌打ちされたり、平気で列に割り込んできたりと、店員もお客も、お互いに嫌な思いをすることが多かった。

最近は本当にお客様が怒らないのだ。もちろん、その他のスーパーの状況は知らないから、もしかしたら、私の店に限ったことかもしれないし、その地域の特性によるものかもしれない。

ただ、私が思うのは、今、人々は互いに助け合うという気持ちが、あの頃よりも、かなり強くなっているのではないかと思うのだ。

ここ数年、日本は数多くの災害にあってきている。その度に、大切なものを失い、また、壊され、数えきれない哀しみ、辛さを受けてきた。そんな中、多くの人々が自分の生き方を見つめ直すようになったと思う。

今では「お客様は神様だ」なんて態度で店員を奴隷のように扱う人は見なくなった。本来の店員とお客様に上下はなく、みな平等という意識が当たり前になりつつあるように思う。とても素晴らしいことだと思う。

ただ、私は思うのだ。

私たち店員は、それにいつしか、甘えていないだろうかと。店にとって一番怖いのは、クレームで怒鳴られることではなくて、黙って店に来られなくなることだ。

お客様は私たち店員を、平等に見て下さるようになった。言い方は少し大げさだけれど、みんなが一緒に、それでも今を生きてゆこうと、そんなシュプレヒコールが聞こえてくるかのようだ。

そんな人たちのために、私たち店員は、これから本当のサービスをしてゆかなければならない。それは決して、無理やりタダでサービスするような、身を削るようなものではなくて、お互いの生活や大切なものが、人生の中で輝けるような、そんなものに少しでも、近づけたらと心から思う。

そのために今日も私は、誰かのために、そして、私のために、ただ、ひたすら努力してゆくのだ。

それは決してきれいごとではなく
それが”互いに生きること”なのだと思う。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一