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大人たちの後悔と天使の笑顔と。

まだ、私が電器売場店員だった頃の
今も忘れられない大切な夏の思い出です。

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それは、扇風機の配達の件だった。夕方にお客様から電話があった。私が電話に出るなりこうだった。「今日の配達の扇風機がまだ届かないじゃないか!どうなってるんだ!」私はまず丁重にお詫びをした。たとえ訳はわからなくても、まずはお詫び。それが例えお客さんの勘違いであったとしても、そうさせたのは店のせいであり、お詫びをすることが先決なのだと私はいつも思う。

そのクレームに、私はすぐに配達の伝票を調べた。確かに今日の受付になっていたがお客様の配達先が遠方のため明日の配達になっていた。しかし、そのことをすぐにお客様に言う事は出来なかった。何か理由があるのかもしれない。とりあえず、調べてから返事をすることにした。

受付したのはうちのアルバイト。「確かに今朝このお客さんは、荷物が多いということで買われた扇風機の配達を僕が受付けました。でも確かその時に、明日の配達でお話したつもりなんですが・・・」

バイト君も、どこか自信がない様子だった。最後にちゃんと配達日を伝えなかったのかもしれない。でも、お客さんの勘違いであることも考えられた。確かに今日の受付で、今日中に届けられる場所じゃなかった。「僕の言葉が足りなかったのでしょうか?」バイト君も心配そうに悩んでいた。たぶん、お互いによく確認しなかった為なのかも知れない。

今日も外は、地面さえ溶けてしまいそうなほどの猛暑だ。お客さんもイライラしている。たとえ当日配達の約束はしていないにしても、どうにかしなければ・・・。お客さんへの対応を悩んでいる内に、そのお客さんから電話がかかってきた。また、私が電話を取る。

「さっきの扇風機の配達はどうなった?」

そのお客さんである中年の男性が私に尋ねた。「調べましたら、やはり明日の配達で受け付けているのですが・・・」私はそう言うしかなかった。それで”あぁ、そうか、すまんすまん。わしの勘違いだな。”とお客さんが言ってくれる事をどこか期待していた。

でも・・・。

「何を言ってるか!このボケが!今日の配達って言っただろうが!お前の店は、そんないい加減な商売をしてるのか!すぐ欲しいから買ったんじゃ!お前がすぐに持って来い!慰謝料払え!ただじゃ、すませんぞ!コラァ!」

実は、もっとひどい事を言われたが、この程度でとどめておく。そのお客さんのイライラが、まるで電気のようにピリピリと伝わった。

ここまで怒っているお客さんに、どんなに親身になったとしても、もう、無駄だと思った。まるで怒りのあまりに我を忘れた、真赤な目をしたオームの大群のようだ。ナウシカさえ、もうなす術がないのだ。

そのお客さんに一方的に切られて、私はただ、受話器を片手に呆然とするしかなかった。また、すぐに電話がかかった。あのお客さんからだった。私はもう、言葉が思い浮ばなかった。

かなり遠方だが、仕方ない。私がこれから配達する事を決意した時、そのお客さんがこう言われたのだった。

「さっきは言いすぎた。スマン。でも、こんな事になってしまった。商品はもういらない。出来たら返金をしてくれ」

その言葉に、さっきのお客さんと同一人物じゃないのだと思った。でも、同じお客さんだった。「今から私が配達致しますので、どうかそれで」と私は言いかけたが、お客さんはそれを丁重に断っていた。

電話していても暑さのあまり、首筋に汗がツツと流れてゆく。

「残念ながら、こんな事になってしまった事実は変えられない。後で伝票を確認したら、確かに明日の配達になっていた。よく確かめなかった私にも落ち度があるのだろう。今回はお互いにいい買物にはならなかった。あなたにもひどい事を言ってしまった。申し訳ない。でも、商品はもういらない。今からそちらに伺うから返金してくれ」

それがそのお客様の望みであり、深い後悔だった。たぶん、無理矢理配達する事も出来ただろう。でも、そのお客さんの望みを叶えるのも私の仕事には違いない。

「かしこまりました。この度は本当に申し訳ございませんでした」そう言って、私は電話を切った。心がどこまでも虚しくなった。

それからしばらくして、そのお客様が来店された。来られたのは、奥さんらしき女性と3才くらいの小さなお子さんだった。どうやらご主人は来られなかったみたいだ。

「うちの主人が、あんなひどい事を言ってしまい申し訳ございませんでした。主人は用事があるので、私が代わりに来ました」

そう言ってその奥さんが、私に深くお辞儀をしていた。私も慌ててお詫びをする。「いえ、私どもの落ち度なのです。ご主人は間違っていません。申し訳ございませんでした。」気付けば、受け付けたバイト君も私の隣でお詫びをしてた。彼にしても、相当なショックだったのだろう。

お互いが理由の所在もわからずに、なぜかお詫びをしている。それはなんて不思議な光景だろう。私がその奥さんに返金をしていると、何も知らないレジのパートさんが、あまりにもそのお子さんがかわいかったものだから、つい、声をかけていた。

「僕、いいね、今日は誰とお買物に来たの?」すると、天使みたいなかわいい声で、その子はこう言ったのだった。

「うん、今日はね、お母さんと、お父さんと来たんだよ!」

子供はなんて素直なんだろう。まるで大人だけが素直になれないままに少しだけずれた歯車を、無意味にカラカラ空回りさせているみたいだ。奥さんが気まずそうに微笑んでいた。私も少しだけ微笑んでいた。

「暑い中、わざわざご来店下さいまして、本当に申し訳ありませんでした。」

私はお得意様用の冷たい飲み物を何本か差し上げた。小さなお子さんの喜ぶ笑顔が、どこか私の心の救いになっていた。

たぶん、このお客様は、もうこの店には買物には来られないのだろう。誤った過去は、二度と元に戻す事は出来ないのだ。ご主人も、あの言葉を後悔している。私もバイト君も後悔をしている。例えお互いが後悔していても、あの気持ちは、二度と消す事は出来ない。

まるでそれは、別れを後悔している恋人たちのようだ。どうあがいても、もう元には戻れないのだ。

やがて、小さな笑顔と、奥さんの背中が消えて行っても、何か私は大きな課題を与えれたような気がした。このクレームは決して終わってはいない。これを生かすように、二度とこんな思いをしないように・・・。

それがきっと、あのご主人の望む事なのだろう。

わずか数本の冷たいジュースで、許してもらおうなどとは夢にも思っていないけど「これ、もらったよ!」と喜ぶ天使の笑顔に、あのご主人の苦笑いが見えるような・・・・

ふと、そんな気がした。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一