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小さな強さと彼女の強さ。

昔の日記を見ていて、こんなことを思い出した。

「ゆー(5歳の息子)が吐いた!」と言って、まーちゃん(8才の娘)はキャーキャー騒いでいた。

私が見に行くと、台所の床に、食べたものをたくさん吐いていた。幼稚園から帰ってきてから、ずっとゆーくんは元気がなくて、テレビを見ながらボーとしていた。大好きなお菓子も残していたので、うちの奥さんがとても心配をしていたのだけれど。

夕食は奥さんが作ったおかゆしか食べなかった。どうやらそれを全部、吐いてしまったようだ。これだけ吐けば大人だって死ぬほど苦しいものだ。こんな小さな体で、こんなにもガマンしていたんだなと思うと、ゆーくんがとても愛しく思えた。

ゆーくんは泣きもせず、ただ、そこで立っていた。きっと泣きたい気持をガマンしていたのだと思う。

「ゆーちゃん、ごめんね、苦しかったんだね」と奥さんがやさしく言葉をかけていた。「まだ気分が悪いか?」と私もゆーくんに声をかけた。「汚いよー、汚いよー!」とまーちゃんは、まだキャーキャー言ってる。

私はバケツに水をくんで雑巾を濡らし、奥さんと二人でゆーくんが吐いたものを拭いていった。私は汚物を拭きながら、ふと、不思議に思った。”こんなに汚いものをどうして私はこんなにも平然として拭いているんだろう?”って。うちの奥さんも、まるで醤油でもこぼしたかのように、それを平然と拭いている。本当にそれが当たり前のことのように。それを疑問に思うほうが疑問だという感じだった。

もしも、最初に奥さんが、ゆーくんの吐いたもので汚れた台所の床を見て、
「どうしてもっとはやく”吐きそうだ”って言わないの!」と思いっきり叱ったりでもしたら、きっと、ゆーくんの大きな心の傷になったことだろう。たぶん、ゆーくんは、あの時、自分がとんでもないことをしてしまったと思っていたはずだ。

でも、彼女はちゃんとこう言ってくれた。

「ゆーちゃん、ごめんね、苦しかったんだね」と。

その言葉の裏には”気づいてあげなくてごめんね”と自分を責めながらも子供のことを思っていたのだと思う。正直に白状すると、私はゆーくんの汚物を見た時、”うわぁ、汚いなぁ”と思ってしまっていた。

でも、彼女が、自分の手を汚しながらも、それを平然と何枚ものティッシュで拭こうとしていたのを見たとき、私は気づかないうちに、ごく自然に雑巾とバケツを用意して彼女と一緒にそれを拭いていた。

彼女の言葉と行動が、”私はそうしなくちゃいけないんだ”という気持ちにさせてくれたんだと思う。こんな時、彼女は、いや、女性はやはり強いなと思う。

”何言ってるのよ。それが当たり前のことなのよ”とこの世の子供を抱えた多くの女性に、私は叱られてしまいそうだ。

このとき私は、いつのまにか私達夫婦はこうして子供を育てているうちに、”知らないうちに、ちゃんと親になったんだなぁ”と実感をしていた。ゆーくんの汚物で汚れた雑巾を絞りながら、そういえば、まだ若かった頃、子供たちが赤ちゃんの頃は、しもの世話もちゃんとしていたんだよなぁ。

それに真夜中の急な発熱、わけのわからない発疹、そして眠れないほどの夜泣き。あの頃のこともとても懐かしく思い出した。そう思うと、なんだか少しだけ自分を(もちろん彼女のこともそれ以上に)誉めたい気持ちになった。

”何言ってるのよ。それが当たり前のことなのよ”と
また言われてしまいそうだけど。

・・・・・
翌日、幼稚園を休ませて、ゆーくんを病院へ連れて行った。どうやら風邪の症状だったらしく、薬を飲むとケロリとしてしまって、まるでウソのように元気になった。

そして、その夜、元気になったゆーくんが、寝る前に悪ふざけをしていて小さな食器棚を思いっきり倒してしまった。幸いにも、ゆっくりと倒れたので、皿も割れず、ゆーくんも怪我をしなかったのだけど、でも、それだけでは終わらなかった。

「こら!ゆーちゃん!何やってんの!危ないでしょ!」

奥さんの大きな雷が落ちた。(あの時とは大違いだ。)
ゆーくんは、半べそになっていた。

やれやれ。

さて、私はどっちの味方につくべきか
とても悩むところだ。(笑)

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一