惣菜屋と彼女への怒鳴り声と。

昔、うちの奥さんが、小さなスーパーの惣菜屋のパートをしていたときのこと、こんな出来事があったそうだ。それは一本のお客さんからの電話で、たまたまそのとき、みんな忙しくてなかなか電話が取れず、それでもなんとか電話を取ったのはパートのYさんだった。

でも、しばらくしてYさんは「何を言ってるのかわからない!」と言って、うちの奥さんに受話器を渡して、やりかけの仕事に戻ったそうだ。(し、信じられない!)

何のことかわからず奥さんが電話に出てみると、それはもう大変なことになってたそうだ。

「あのう、もしもし、お電話、変わりましたけど」

「おぅ!ねぇちゃん、お前のとこのな、惣菜がなぁー」

彼女は思った。”あぁ、すごい怒ってる。クレームだ。どうしよう。今、主任はいないし社員もいないし、この電話を代われる人がもういない”そう思いながらも彼女はただ、震えながら受話器を握り締めるしかなかった。その中年らしき男性客の怒鳴り声は続く。

「おぅ!オレはな、いろんな店の惣菜を食べてきたけどな!」

「はぁ・・」
(怯えながら、消え入りそうに返事をする奥さん)

「お前んとこの惣菜がなぁ!!」

”あぁ、もしやひどくまずかった?それとも異物混入?腹を壊した?金銭目的の嫌がらせ?それとも何??彼女の頭の中で、いろんな不安が飛び交っていた。

そんな中、男が伝えた言葉はこうだった。

「お前んとこの惣菜が、一番おいしかった!すばらしい!!!」

つまりは彼女たちが作るお惣菜を、むちゃくちゃに誉めてくださったのだ。彼女は「はぁ、ありがとうございます」と小さく言って受話器を置いた。すると、さっきのYパートさんが忙しそうに作業をしながら「ねぇ、なんだったの?さっきの電話。声が大きすぎてわからなかったのよねぇ」(確かに、あの怒鳴り大声では聞きづらいだろうなと彼女は思ったそうだ。)

「うん・・・なんか知らないけど、おいしいって、誉められちゃった」

「へぇー、あれがお褒めの言い方だったのかねぇ~」とYさんも目が点になったそうだ。奥さんいわく。「でも、誉めて下さるんだったら、あんな怒鳴り声で言わなくてもいいのに。てっきりクレームだと思ったわ。本当にもう!」と彼女は少々ご機嫌斜め。

でも、家でそのことを聞いて私は彼女に言った。

「でもさ、それってすごいよ。わざわざそんなふうに、おいしいって電話するお客さんって、めったにいないと思うよ」

「確かにそうだけど、なーんか納得いかないのよね」

「まぁ、たぶんもともと、声の大きい人なんだよ。こういうことは素直に喜ばなきゃ」

そう言うと、次第に彼女もうれしさが、ゆっくりとこみ上げてきたようだった。あの頃、彼女がパートをするようになって1年経った頃だった。何もかもまったくわからず、何度も自分で惣菜を買ってはノートに作り方を書いて勉強していた。その惣菜屋は時給が安く新人が入ってもすぐに辞めてしまうし、人手はいつも足りない状態だった。一方、仕事はかなりきつく残業もあったりして、その職場環境は最悪と言えるものだった。

そんな中で一度は辞めることを彼女は決意したのだけど(私もそれに賛成した)結局は上司に引き止められてしまい、土日の休みを条件に仕事を続けることになった。それと残業の問題も、彼女なりに上司に意見して、それは随分と改善したようだ。

彼女は外見はおとなしそうに見えて、実は私よりもかなりタフだ。あの頃、彼女の存在で、その職場環境はかなりよくなったようだ。それが、今回のお褒めの言葉につながった・・・と言えばちょっと誉めすぎかもしれないけど、でも、彼女の力で変えたものは計り知れなく大きなものがあると思う。

私はまだ、私の知らない彼女の新鮮な部分を知ることが出来てちょっと誇らしく思った。(まだ、言葉にして言うのは恥ずかしいけどね。)

その不思議な誉められ方をした一本の電話は、彼女の中で、いい思い出として残るんだろう。そういうものを、いくつもいくつも残していって、そしていつか二人が歳をとって「あの頃は・・」と笑いあえたら、それはそれでいいなぁって思う。

でも、それはまだまだ先のこと。こんなふうにいろんな出来事に思い悩むこともあるかもしれないけれど、ひとつ、ひとつ、乗り越えてゆこう。

それが二人の人生なんだから。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一