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自動販売機と小さな彼の表情。

小学4年生くらいの男の子だった。

私を見上げるその瞳は、とても無表情と言えるもので、今何を思っているのかを想像しても、何も浮ばないような、そんな冷めたものだった。

「お金を入れても、ダメだったの?」
私は彼にそう尋ねた。

うん。というように、彼は声を出さずに小さくうなずいてた。私はいろんな想いが巡り、心は迷うばかりだった。

サービスカウンターに私は呼び出しを受けていた。自動販売機に500円玉を入れたのだけれどもジュースが出てこなければ、お金も戻ってこないという、そんなお客様のお申し出があったのだ。

サービスカウンターで待っていたのは、その男の子だった。少し意外だった。ご年配のお客様とばかり私は勝手に想像してたから。その日は日曜日だった。どうしたのだろう?こんな日曜日に、ひとりで買い物に来たのだろうか?

私は彼の視線にあわせて、少し腰を落とした。

「どこにある自動販売機か、教えてくれる?」と私は彼に尋ねた。「こっち」と彼は初めて声に出すと、私の先を歩き始めた。

小さな子供にありがちな、泣きそうな顔をするでもなく困った表情を浮かべることもなく、彼のその堂々とした態度は、とても小学生には思えず、ある意味、感心するものだった。

実は私は、このときかなり困っていた。

自動販売機にお金を入れて、お釣りが出てこないとか、商品が出ないとか
そういった事態は、ほとんどと言っていいほどありえない。何かトラブルがあるとしても、お客様の勘違いか見落としか、または、稀に自販機内の補充場所を入れ間違ったために”違う商品が出てきてしまった”というようなケースくらいだ。

つまりは、この目の前を歩いている男の子が、”ウソをついている”という可能性が少なからず、あるということだった。

もちろん、すぐにそう決め付けることは出来ない。500円玉を入れたつもりでも、実は100円玉を入れていただけかもしれないし、商品が取り出し口に出ていることに、彼は気付いていないのかもしれない。それに稀に変形したような不良コインを入れたために、うまく動作しないといったケースも考えられるのだ。

その自動販売機は、店の屋上駐車場の出入り口にあるものだった。取り出し口を確認する。何もない。表示窓の電光ランプにも異常は見られない。返金レーバーを押してみる。何も出てこない。もう一度押す。やはり同じだ。

私は自分の財布の中身を確認する。ちょうどそこに500円玉があった。私はその自動販売機に500円玉を入れてみた。ちゃんと500円と表示している。返金レバーを押す。ちゃんと500円玉が戻ってくる。

もしも不良のお金が詰まっていれば、お金はこんなふうに戻ってこない。故障の可能性がかなり少なくなった。その代わりにウソの可能性のほうが高くなった。

彼が大人だったなら、接客の中での経験上、私はその言葉や表情で、ウソをなんとなく見抜くことが出来る。しかし、子供の場合のそれは、ウソをついているという自覚がないせいか、なかなかそれは判断できない。だからといって、安易にウソを追求してしまうと親からのクレームを受けてしまうだろう。

たかが500円だ。返金してしまえば、それで終わりだ。
面倒なことにもならずにすむだろう。

でも・・・とやはり、私はどこか、戸惑ってしまう。

もしもこれがウソだったなら、私がお金をあげることで彼はその小さなウソを、次へと広げてゆくのではないか?それが大きくなってゆくのではないか?

私はそれが哀しくてたまらなかった。

その自動販売機をカギで開けることが出来れば、事実ははっきりするだろう。しかしそれは、メーカー管理のものであり、私ではどうしようもなかった。(トラブルがあった場合は、メーカーに連絡するようになっている。)

私はその自動販売機のメーカーに電話した。だが、たまたま連絡が取れなかった。留守録に私はメッセージを残した。本来なら、メーカーに対応を任せるのだけれど、この場合、店が返金することになる。(もちろん、店によっては対応は異なる。)

私は彼の目を見つめた。よそを見ているその瞳は、やはり、無表情のままだ。でもそれが子供ゆえの途方の暮れ方なのかもしれない。

何の根拠もないけれど、私は彼を信じることにした。

私は500円玉を彼に渡すと「それでもう一度、やってみてごらん」と声をかけた。僕が?といった表情をすると、彼は少し戸惑いながらも、そのコインを自動販売機に入れた。そして、彼がボタンを押した。ガタンとジュースが出てくる。お釣りもカチャンと落ちてくる。すべてが正常だった。

それでも私は彼を信じた。きっと、そのときは、何らかの理由で、うまくいかなかったのだろうと。こんな小さな男の子が、ウソをつくはずはないだろうと。私はそのジュースと、お釣りを彼に手渡すと、その目を見つめ、彼に言った。

「ごめんね、時間をかけちゃったね。あとで、ちゃんとメーカーさんに来てもらって、点検してもらうからね」

私はそういいながらも、心では”ウソじゃないよね。決して君はウソをついているんじゃないよね。お金が欲しいだけなんてことじゃないんだよね。でも、もしも、ウソだったなら、今、この瞬間に打ち明けてね。決して君を怒ったりしないから。許してあげるから。だから、本当のことを言って・・・”

ひたすらそう思っていた。
いや、ひたすら私は願っていた。

でも、彼は何も言わずに、小さくうなずくだけだった。
私はそんな彼を後にした。

しかし、私は彼のその後の行動に
言葉を失いかけたのだった。

それは私が彼のことが気になって、もう一度振り向いたときだった。彼は私が見えなくなると、急ぐようにしてある場所に向っていた。その先にあるものといったら・・・。私は嫌な予感が走った。彼の後を気付かれないように、私はついて行った。

それは店の中にある”ゲームセンター”だった。彼はお目当てのゲームに立ち止まると、さっき私があげたお釣りを、たちまちのうちに使い切ってしまってたようだ。

私はその場で呆然としていた。

そして、彼から少し離れた場所で、わざと彼に気付かれやすいような場所を選んで私は、ただ、彼が振り返るのを、そのままじっと、待ち続けた。

やがて、彼が振り返る。私には見せなかったその明るい笑顔が、私の前で凍りついてた。私はとても哀しくて、悔しくて何も言わずに、黙ってそんな彼を見つめていた。何か私に言うのだろうか?と、ほんの少し期待しかけたが彼は逃げるようにして、私から立ち去ってゆくだけだった。

私はしばらく動けないでいた。もちろん、それはウソなんかじゃなく、彼はただ、ゲームがしたくて、この店に来ていただけかもしれない。けれどもその表情はウソをついた時の大人の、それとなんら変わりはしなかった。

私はひたすら哀しかった。
泣きたいような気持ちすらあった。

大人のウソには慣れているけど
子供のウソは針のように痛い。
私がウソをついたわけじゃないのに
心に小さな痛みが残った。

・・・・・・

その日の夕方、留守録のメッセージを聞いた
メーカーのサービスマンが点検に来た。

その結果は”異常なし”だった・・。


あれは何らかの皮膚炎なのだろうか?彼の首のあたりには、少しだけ焼けたように赤くただれていた。それに今も思い出されるのは、あの表情のない瞳・・・そして、ゲームセンターで見せた一瞬のあの無邪気な笑顔・・・私は彼のそんな顔を、特徴を、心に焼き付けていた。

それは今度、もしも出会ったときに、注意したりするためではなく、彼に明るく声をかけ、あのときの私の表情を、言葉を、そしてあの出来事を、ちゃんと思い出してもらうために。

そして、そのとき彼の心が、なんて彼に言うのかを、ちゃんと受け止めてもらうために。

そのために、私はいつも心の隅で
あの彼を待ち続けることだろう。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一