たくさんのnoteが教えてくれる。
意味もなく、切なくなるときがある。いや、何か意味とか理由とかは、ちゃんとわかっているのかもしれない。けれどもそれを、探してゆく作業そのものが、切ないなぁと思ってしまう。
歳のせいだろうか?とも思う。けれどもそれを、理由にすると何もかもが、歳のせいになってしまうので、それは横に置いておく。これって結構大切だ。
心はなんていうか、びろーんと伸びたゼリーのようだ。うまくバランスを取らないと、たちまちぐにゃりと曲がってしまう。よいこらせっと、思いっきり立て直そうとすると、反対側にぐにゃりと曲がる。
あらあらあら、と思うが、そのうちなんだか面倒になって、いっそそのままにしてしまう。そしてその状態が、少しだけ苦しくなって、そして切なくなってしまう。たぶん、そんな感じなのかも。
みずみずしいうちはまだ、いいのだけど、そのうち水分が足りなくなって、なかなかまっすぐならなくなる。そうして頑固な人になったり、人はわがままになるのかもしれない。
さて、そのみずみずしさはどこで手に入れることが出来るだろう?やっぱりそれは、歌とか本とか絵とか写真とか、かなあと私はぼんやり思う。
あぁ、そうか。今、わかった。
私がこうしてこのnoteを見ている理由が。よかった、探さなくったって、私はいつも見つけてるんだ。たくさんの答えがここにはあるんだ。
今日もたくさんのnoteが私に教えてくれる。そして与えてくれる。ありがとう。ただ、その感謝の気持ちでいっぱいになる。
そうして私の心は伸びてゆくのだ。
すぅーっとまっすぐ、あの空に向かって。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一