中島みゆきと蕎麦屋と。

中島みゆきさんの歌が、無性に聞きたくなってしまった。こんな自分がわけがわからない。どんな魂胆があるんだ?この私には?彼女の歌は、もうずっと聞いていないというのに、なぜ、今、彼女の歌なんだろう?

つらいのか?今の私は。
泣きたいのか?あんなふうに。

彼女の歌は、随分と昔に、よく聞いていた時期があった。あの時期は、私にとってもよくわからない。不安定な時期だったのかもしれない。彼女の歌は、どうしても、恨みを含んだ”暗い歌”という位置付けにありがちだけど、実際には、そうじゃない。

心に触れてしまうのだ。彼女の歌は。心に触れてしまうから、私たちは驚いて、泣いてしまうのだ。私たちが歌に求めるものは、たぶんそういう感情にある。心に触れない歌は、ただの、商業的歌に終わってゆくのだと、今の私は言い切ってしまいたい気分だ。

随分と昔に聞いたきりだが、確か彼女には”蕎麦屋”という歌がある。私はこの歌が好きだった。(いや、もちろん今も好きだ。)「時代」とか「ひとり上手」とか、あふれるほどの彼女のそんな名曲に比べたらこの歌は、部屋の隅に忘れられた、ビー玉のような存在かもしれないけれど、私はこの歌が好きだ。

歌はひとつの物語になっている。

薄れかけた記憶をたどってみる。(探せばその歌は聞けるかもしれないけれど、あえて今は聞かないままに。)たぶん20年以上も昔の記憶だ。ある女性が、こう思っている。”世界で自分ひとりだけがいらないような気がする”そんなとき、電話がかかる。男の声で「蕎麦でも食わないか・・・」って。

今更、あんたと蕎麦を食っても仕方がないんだけれども・・・と思いつつも、ふたりで蕎麦を食べている。

食べながらふと、男は言う。
「わかんない奴もいるさ」って。

そして彼女はこう思う。
「あんまり、突然そう言うものだから、泣きたくなるんだ」と。

そして、歌を聞いてる私も泣き出したくなる。
あんまり突然、そう歌うものだから。

それにしても、なんなのだ?こんなにもありふれたこの日常の中で、イヤなこと、悲しいこと、そんなことにいちいち傷ついている思春期の子供じゃあるまいし、どうしてこんなにも、心は泣きたがるのだろう?泣かせて欲しいと、心は求めたがるのだろう?

ただ、泣きたい夜がある。
私にも、誰かにも、眠れない夜があるように
泣きたい夜があるように。

彼女の歌が、心、ゆらす。
水たまりに浮かぶ月が泣いてる。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一