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そこへ行くまでのちょっとした旅。

これはもう昔のこと。その日はとてもいい天気だった。その頃も確か秋だったのに、暖かでとても中途半端な季節だった。

タクシーで20分。

「あとは歩きます」と運転手さんに言って車を降りた。「いつかまた、景気がよくなったら会いましょう」という運転手さんのセリフが面白かった。(景気が悪くて売上が上がらん。けしからん!とふたりで愚痴っていたのだ。)

私の目の前には、のどかな住宅街のありふれた風景が広がっていた。午後3時をとっくに過ぎてた。昼でも夕方でもない、とても中途半端なこの時間。お年寄りが日向ぼっこをしていた。私は地図を片手にテクテク歩く。(まだケータイもない時代なのだ)日差しがほのぼのとしてあたたかい。老人たちの気持ちがよくわかるような気がした。

何かいいことあるかなぁなんて思いながら歩く。こんな午後は、かわいい女の子とデートでもしたいような・・・そんなホンワカとした気分になる。なんだか心がワクワクする。誰が私を待っているんだろうかと。

目指すはあるお客さんの家。待っているのは鬼みたいに怒っているおばさんだ。残念ながら、かわいい彼女じゃないのだ。人生なんていつもこれが現実。いいことなんてあるわけないのである。コホン。

まぁ、いろいろとすったもんだがあって、とりあえず解決をする。クレームは、やはり客先訪問が一番の解決策だと実感をする。電話じゃわからないことも、お客さんの住んでる場所だといろいろとわかる。その場の雰囲気とか匂いとか空気とかそういうもの。うまくは言えないけど。

確かに行くほうは憂鬱になるし、手間と時間がかかって大変ではあるけれど、そんな時は、「そこへ行くまでのちょっとした旅」だと思って楽しめばいいのだ。

そういえば、お客さんの家を探している途中で、近くを歩いていた中年の女性に私は道を尋ねたのだけど、あせっていたせいか、せっかく親切に教えてくださったのに、私はお礼も何も言わないで、そのまま教えられた道を行ってしまったのだった。

「なんて失礼な人」と思われたかもしれない。あぁ、ときどき私は、こんな初歩的なミスをやってしまう。ごめんね、あのときの親切な人。おかげで私は、ちゃんとお客さんの家に辿り着いて、そしてちゃんと叱られてきましたよ。本当に心からありがとう。(なんだかよくわからないお礼だけど感謝してます。)

結局のところ、私はその訪問先のクレームのお客さんにどういうわけだか、好かれてしまったようなのだった。「あなたがいるなら、また、買いに行くからね!」と言われてしまった。実はこれ、私の対応に喜んでこう言ってくださっている訳じゃなかった。「そのときは、絶対に特別に安くしてくださいよ!」とその人が何度も言われるところに、その人の卑しい気持が見え隠れしている。

ただ、今回のクレームをネタに、値引きを強要しているだけだった。やれやれ、これじゃ全然円満解決じゃないじゃないか!まぁ、その時はその時のこと。もっと前向きに考えようと自分に言い聞かせた。

帰りはバス停で時間が来るまで、私はひとり、バスを待っていた。タクシーの運転手とのあの約束を、ふと、思い出していた。

「景気がよくなったら会いましょう」

一体、いつ、どこで会うというのだろうか?
ちょっとだけ苦笑いをした。

その頃も秋だったのに、暖かでとても中途半端で、まだ、そこにはのどかな午後が、やがて訪れる夕焼けを、あくびでもするかのように待っていた。

なんだかこちょこちょとくすぐられているような
そんな妙な午後なのだった。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一