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流されてはいけない言葉。

私は中学生の頃、なぜかクラス委員長的な立場にさせられることが幾度かあった。それは私に責任感があるとか、リーダーシップがあるという理由からではない。(どちらかというと私はまったくその逆だ。)

たぶん、それは私が”まじめ”だからという点と、指名しても、あいつは決して逆らわないという私の性格を知った上でのことで、だから面倒な役はあいつにでもさせとけ、みたいな感じだった。

そんなこんなで、そのとき私は話し合いの司会進行役をさせられていた。私は不思議にも、そういう人の前に立って、何かを喋るのは苦にはならなかった。

それは私がこう思うからだ。目の前にいる人たちは人間じゃなくて、これはキャベツ畑なんだと。みんなキャベツだ。だから私は恥ずかしくないし、誰もこんな私の話など、誰一人として聞いてはいない。そう思うからだ。

今も時々、そんなふうに思う。中学の頃から、私は何てひねくれていて、自虐的でつまらない人間なんだろうかと思う。

そのとき、私はクラスの司会役として教室の教壇に立っていて何かの採決をしていた。(その内容は忘れたが、たぶん風紀的な、そんな規則の決め事だったか。)

最初は男子に「反対の人は手を上げてください」と私は言った。二人くらいの男子が変な笑顔で手を上げる。その二人は冗談で手を上げたのだろう。みんながくすくす笑ってる。(どうやらそれは、賛成すべき事柄のようだ。)

次は女子に私は同じことを聞いた。「反対の人は手を上げてください」と。

すると、たったひとりの女子が恐る恐る手を上げたのだった。今度のは真剣な、固い反対の意思のようだった。男子達が野次を飛ばす。「なんで反対するんだよ!」「お前、ふざけんじゃねぇぞー」

そして誰かが言った。「おい、理由を言えよーこら!」そして誰かが続いた。「そうだ!理由を言え!」そんな声が教室を響き渡る。そして、私も調子に合わせて笑うように彼女にこう聞いたのだった。

「あのう・・・反対の理由は何ですかぁ?」

そのときだった。私にとって、その後の人生において二度と忘れられない言葉を投げかけられたのは。

「青木君!どうしてさっきの反対の男子には聞かなくて、彼女にはその理由を聞くの!?おかしいじゃない!」

その怒鳴り声は、一瞬にして教室中を静寂に変えた。

その声の主はさっきから、黙って教室の隅で聞いていた担任の佐藤先生だった。佐藤先生は、若くて背がちっちゃくてとてもかわいい女の先生だった。いつもニコニコ笑っていて、クラスでも人気の先生だった。

その先生が、顔を真っ赤にして怒っていた。たぶん、あんなに怒った先生を見たのは初めてのことだったと思う。私はそのときその言葉に、何も言えないでいた。正直言えば、膝はがくがく震えていた。のどが異常に乾いていた。私のその質問はどう考えても「悪意」の塊しか見出せなかった。ただ単に、うすら笑う為のものでしかなかった。

周りの悪意に流されて、私がその悪意というミサイルの発射ボタンを、彼女に向けて押したのだ。

あのとき確か差別的なことで、詳しく理由を聞くべき事柄ではなかったのだ。(たぶん、女性の口からはなおさら・・・。)私はすべてを公平に、なおかつその悪意を打ち消す立場だったはずなのに・・・。

女の子は泣きそうな顔をして、私の顔を睨んでいた。私はその彼女の視線に”自分のせいじゃない”と心で叫び無表情なまま、他人事のような態度をとった。私は所詮、委員長という器を持ち合わせていなかった。そして心の中では私は、私を谷底へと落としていた。「卑怯者!お前なんか死んでしまえ!」と。

なんて愚かな私なのだろうかと、その無表情とは裏腹に私は自分を責めていた。(弱いくせに強がっていたのだ。)その出来事が強すぎて、その後、どうなったのか記憶は薄れた。でも、あの時の先生が私に投げかけた言葉と、泣きそうな顔して睨んだ彼女の目が、今も私の心を握りつぶす。

もう時効になってもいいくらいに、はるか昔の出来事なのに、私は今も悩むことがある。「どうしてあんなことを言ったのだろうか?」と。この私は、あの先生は・・・。

その答えは今もわからない。

あの叱り方で先生は、たぶん私に教えてくれた。
「流されてはいけない言葉がある」というそのことを。

だから私は今も思う。
決して流されてはいけないと。

あの日から、ずっと、今も変わらず。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一