見出し画像

否定ではなく肯定から始めること。

うちの奥さんが「ショッピングモールに行きたい!」と片腕を突き上げ、私に宣言してきたので、仕方なく、車で出かけた。(彼女はペーパードライバー)

ちょっと遠くにあるその大型ショッピングモールに着く。雨がザーザーと降り始めた。私にしてみれば、モールに何も用はない。せっかくの休日だし写真が撮りたい。そういえば、この先にちょっとした公園があったっけな?そう思った私は彼女に2時間後に、このモール入口で待ち合わせることを伝えてひとり、車でまた出発した。(私と別れると彼女は猛ダッシュでどこかの売場へ消えていった。店内は走っちゃいけません。)

久しぶりに着いたその森の公園は、人は誰もいなかった。さて、どんな花が咲いているんだろう?と傘を差しながら歩いていると見つけた。

画像1

なんと紫陽花が美しく咲き誇っていた。もう7月だし、紫陽花は終わりだよなぁなんて勝手に思っていた私は、あっけにとられた。

そうだよな。勝手に終わりって決めちゃだめだよな。人って、何かの区切りに勝手に終わりを決めてしまう。勝手にあきらめてしまう。

でもそれって、そのものに対してとても失礼だ。「なんで勝手の終わらせるんだよ」なんて私に怒っているのだろうな。「ごめんごめん」と反省しつつ、何枚か紫陽花の写真を撮る。

画像2

こんなにもきれいなのに、誰もいない。まるで忘れ去られたみたいに。でもきっと、それは寂しいことじゃない。勝手に僕らは決めつけすぎるんだ。あれはダメ、これもダメ、SNSの中にはそんな言葉があふれている。大切なのは、否定ではなく肯定だ。そしてそのための提案だ。

「何が出来ない」ではなくて、「今、何が出来るか」だ。

画像3

紫陽花たちにしてみれば、ただ、そこに咲いているだけ。決してそれは人に見せるためじゃない。ただ、美しく生きてゆくことに懸命なだけなんだ。もしかしたら、ある意味僕らは、便利になりすぎて、繋がりすぎているのかもしれない。そのくせ心は、どこか離れているように見えて、それを補うために、勝手に想像で結論付けてしまう。それがさっきの「決めつける」に繋がるのかもしれない。

もっと出来ることを僕らは探そう。確かにこの世の中は、人にとって出来ないことだらけだけど、所詮、人なんて、そんなとてもちっぽけな生き物。

それが当たり前なんだ、から始めなければとつくづく思う。

あっという間に2時間が経とうとして、本格的に降り始めた雨の中、私はカメラが濡れないようにして車に乗り込む。

待ち合わせ場所に彼女が待っていた。

私に会うなり「早く行こ!」と手を引いてくる。向かった先はレストラン。今はちょうどお昼時。お客さんも程よくいる。

「あ、開いてたんだね、このレストラン!」

そこは私たちのお気に入りのレストランで、美味しい自然食材をたくさん扱っている。例の影響でずっと閉まっていたのだった。うちの近くのレストランは閉店してしまった。やはり対策が難しいのだろう。だからこの店も…なんてそんなふうに思っていた。

いろんな対策がなされていた。正直、ここまでするのに、かなりの労力がかかったのだろうなと簡単に想像ができる。それでもそれをしてくれた。そしてまた、僕らはとても幸せな気分を味わえた。心から感謝したい思いだ。

これはきっと否定ではなく、肯定から生まれた努力ではないかと思う。この地道な努力は、きっと、SNSではうまく広がらない。でもそれは一瞬では消えてゆかない。それでも続けることが、たぶん、人が生きてゆく理由の一つだ。

画像4

7月の紫陽花と再開したレストラン。何も誰も終わってなんかいない。それを始めるのも終わるのも、きっと同じ人の心なんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一