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日本の公共交通が複雑な訳

以前、公共交通の議論には経済的なマクロな視点のほかにも地域住民のミクロな視点が必要だと述べました。

しかし、日本における公共交通の事態が非常に複雑化している要因があります。

それは至極単純で、公共交通を運営しているのが「公」ではなく「私」だからです。

つまり「公」な公共交通を「私」である企業が運営していることにある訳です(市/町/村/都/道/府/県/区営を除く)。

特に公共交通は地域の外部とのかかわりを持つためには必要不可欠なインフラです。

にもかかわらずほかの企業が運営するインフラに比べて公的な団体の株式の保有率が低いことが特徴の一つとなっています。

つまり地域の考えを公共交通に反映するのが非常に難しい構造になっているのです。

一方でこれは逆にそれは地域の無理な願いを強引に提示されることのある企業側にとっても重大な欠陥を生んでいます。

もし企業の経営に地域が強く関与していれば地域の人々もしっかりと自身の税金を投入するのと公共交通を維持するのとでどっちの方が必要かを客観的に判断できるようになります。

しかし、今現在そのつながりがないため時に無理な要求を企業は地域住民から突き付けられ経営難に陥ることがあるのです。

ここまでの話を踏まえ私は経済的な公共交通の価値と公共交通を維持することに対する価値を地域住民自ら天秤にかけさせる必要があると考えているわけです。

その為にはやはり地域直営とする(国鉄化や地域100%出資の企業)か企業の株式の大半を保有する必要があると思います。

特に人口減少による経営難が深刻な北海道などの地域では早急にそういった対応が必要でしょう。

今のJR北の内部状況は依然大きな社会問題となりました。

時代が移り変わるにつれ求められるものは変わります。

今後公共交通に関する議論をする際は、部分的に公共交通を地域直営にすることも選択肢に入れた議論が必要になってくるのではないでしょうか?


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